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灑雪庵・名残りの茶会-1

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                     吉田山(左京区)にて

灑雪庵・名残りの茶会が10月31日(金)と11月1日(土)に無事終了しました。
2年半続けてきた灑雪庵での茶事もこの茶会が最終でした。
・・・なんか、卒業式が終わったような気分でほっとし、ぼんやりしています。

でも、どんな茶会を? と案じている方のためにも思い出すままに書いておきます。
よろしかったら、お付き合いください。

茶会ですが、菓子茶事の形式でゆっくりおもてなしをしたいと思いました。
当初の「吸物と八寸」の予定が、13時待合集合なので「おしのぎ」を・・と思い、
「松花堂弁当、汁椀、一献、煮物碗(土瓶蒸し)」をお出ししました。
それで、お昼は食べずにいらしてください・・・とご案内しました。

10月31日のお客さまは「暁庵の茶事クロスロード」の愛読者の、
山口県柳井市のOさま、京都市のIさま、埼玉県新座市のWさま、西宮市のSさま、
全員初対面でした。
さぞや、申込みに勇気が要ったのでは?とお尋ねすると、
「前回、申し損ねたので、この機を逃がしては・・・とすぐに申込みました」
と思いがけない答えです。伺っただけで感激し胸が熱くなりました(アリガトウ!)。

そして皆さま、お見合いの様に初対面にときめき、すぐに打ち解けてくださったのです。
お互いを知る者同士の茶事も深い味わいがありますが、
初めてのお客さまとの茶事もまた新鮮で、新しいご縁を結ぶ喜びがありました。

             

待合には紅葉画賛で「舞秋風」、矢野一甫和尚筆を掛けました。
準教授拝受の折、お祝いにN先生から贈られた思い出のお軸です。
京都でも楓や銀杏が色づき始めました。錦秋の到来を待ちわびて・・・。
31日はハローウイン、それでカボチャの火入、煙草盆は溜塗の菓子盆です。

             

本席の床は「心静寿年長」、西垣宗興和尚筆です。
心穏やかに、次々と生じる困難に立ち向かい乗り越えて、
その年が寿年であるように、その寿年が長く続くようにありたい・・と。

ご挨拶の時、お正客のOさまから
「美味しい白湯を頂戴しました。どちらのお水でしょうか?」
白湯の水についてのお尋ねは初めてでした。嬉しく思いながら
「鴨川近くの松井酒造の仕込み水をいつも頂いています。
 自転車で10分くらいでしょうか」

              

自己紹介を兼ねたご挨拶が終わり、香盆を持ち出しました。
香を焚き、全員でまわして、身心を浄め、心を一つにする
・・そんなお話をし、Oさまの焚かれた香を聞きました。

   奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の
      声聞くときぞ秋は哀しき   よみびとしらず

優しい香は伽羅、上記の歌より香銘「小牡鹿(さおしか)」です。
香盆を床に飾り、遅めの昼食(前述)をお出ししました。
                                   

             灑雪庵・名残りの茶会-2へつづく   


灑雪庵・名残りの茶会-2

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                        錦秋の京都
(つづき)       
名残りの茶会を書き進める前に11月1日のお客さまについて記しておきます。

お正客は昨年10月に如庵茶会へお連れ下さったSさま、お詰は同門社中のYさま、
次客のKさまと三客のHさまはYさまの茶友です。
13時待合集合、用意が調いましたら玄関のカギを開け、「在釜」の札を掛けておきます
・・・とご案内しました。

火入の灰形に手間取って12時半に門を開けると、全員が待っていらして、もうびっくり!
あわてて、中へお入り頂きました。
皆さま、茶事形式の茶会は初めてで、緊張のあまり早くに来てくださったとか。
それを伺って、またまた感激に胸を熱くしたのでした・・・(アリガトウ!)

              
              31日は晴れでしたが、1日はときおり時雨が・・・

昼食がなごやかに終わり、ほっとしながら炭を置かせて頂きました。
中置ではなく、あとの薄茶点前の都合で常据えとしました。
釜は桐文真形で高橋経典、風炉は唐銅道安、一之瀬宗和造です。
炭斗は認得斎好みの松山籠、菊頭四方透かしの飾り火箸、羽根はフクロウなど、
いつもの炭道具ですが、珍しく灰形を遠山とし、お香を工夫してみました。

鴨川べりの桜紅葉に沈香をつけた「つけ干し香」を2枚焚きました。
そのあとで風炉中を拝見していただくと、ちょうど枯葉と沈香の薫りが立ちこめて
名残りにふさわしい秋の景色が部屋いっぱいひろがりました。ヤッタね!
香合は、妙喜庵古材の錫縁香合です。

              
                      桜紅葉のつけ干し香

手づくりのきんとん「錦秋」を縁高でお出しし、中立をお願いしました。
(写真を撮る余裕がなかったのが残念・・・)

後座の案内は銅鑼です。
灑雪庵の茶事で銅鑼を打つのもこれが最後かしら・・・一抹の寂しさを覚えながら
大・・・小・・中・中・・・大 と打ちました。  

いつもより2時間遅いスタートなので、部屋は早や真っ暗です。
床の間の燭台に灯りを入れ、破れ壷「仙石原」に花を入れ、諸飾りとしました。
花は矢筈ススキ、吾亦紅、アブチロン、孔雀草、射干玉(ぬばたま)です。

蝋燭の灯りが揺らぐ中、濃茶をたっぷりのんで頂きたくて、2碗点てました。
濃茶は「北野の昔」一保堂詰、京都限定だとか。
「お服加減いかがでしょうか?」
「薫り高くまろやかで、美味しゅうございます」
お客様の一言にほっとして、濃茶の緊張感が心地好く緩んでいきました。

              

手燭をお出しし、道具を拝見して頂きました。
主茶碗は高麗御本三島、古帛紗は紺地吉祥文金襴です。
もう一碗は、黒楽の長次郎「喝喰(かつじき)」の写しです。

慣れ親しんだ道具の中で特筆すべきは茶入でしょうか。
たつの市・揖保川焼の池川みどり作、Kさん所有の魅力あふれる茶入で、
ゴツゴツした黒い土肌、なぜか円周率を連想する歪んだ形状が気に入っています。
ステキな茶入は振りだしに使われていました(なんと!もったいない・・)。

Kさんからある日突然、
「京都滞在中は永久貸与します。どうぞ茶入を使ってあげてください」
と、2つの仕覆とともに送られてきました。
時々茶事で使わしていただきましたが、最後の出番です。
使うたびにKさんと池川さんの顔や思い出が浮かんできて、存在感のある茶入でした。

              
                      茶入・銘「背負い水」と茶杓

湯相、火相もよく、続いて薄茶を差し上げました。
箕に干菓子3種(奈良七大寺せんべい、つみ小菊、栗納豆)をお出ししました。
薄茶の趣向はナイショ、参加者だけの楽しみとさせていただきますね・・・。

準備を楽しみ、お客さまとのお出会いを待ちわびた茶会でしたが、
和やかに楽しくあっという間に時が過ぎていきました。

・・・こうして灑雪庵・名残りの茶会が終わってしまいました。


       灑雪庵・名残りの茶会-1へ      -3へ

灑雪庵・名残りの茶会-3

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灑雪庵・名残りの茶会の最後に、お客さまから頂いたお手紙やメールを全部は無理なのでいくつかを掲載させて頂きます。
最後なのでどうぞ大目に見てください・・・それに、茶事茶会は亭主だけのものではなく、お客さまと一緒に作り上げるものだと思うからです。

                 

                
10月31日に来庵のOさまより
昨日は、大変楽しい一時を過ごさせて頂き有難うございました。
薄暗い中をいつまでもお見送りしてくださっているお姿が、今も目に浮かびます。

206系統のバスを降りて灑雪庵を探す時からトキメキは、始まりました。
路地を入り、「在釜」を見つけほっとしながら、おシャレーと思いました。
玄関を開けて、土間に入り、少し開けられた障子をゆっくりと開けると、
可愛い火入れに迎えられ、何もかも楽しい雰囲気の一つ一つに
「わぁ!わぁ!」と皆で声をあげていました。

お白湯を持って来られた時に初めてお会いでき、いつもネットでお目にかかっている暁庵さんだと感激でした。
お香を焚かせて頂く大役を頂きましたが、皆さんと心一つに香を楽しむ事ができました。お炭点前暗さの中での炭の優しい明りが落ち着かせてくれます。

点心、とても美味しかったです。土瓶蒸しまでつくってくださり、松茸、初物をいただきました。亭主様の手造りのお菓子、秋の色どりが一杯で、餡、甘さ控えめで、贅沢を味あわせていただきました。

後座では、蝋燭の明かりで、又、初座とは、違った趣で「心清寿年長」が、心に沁みます。私も、これからの人生なんて思ってしまいます。
お濃茶、二人二人に練ってくださり、お心使いを有りがたく頂戴いたしました。
本当に美味しかったです。
今、古帛紗の上に、薄く歪につくられた茶碗をゆっくり回した事を思い浮かべ、お茶碗をお尋ねしなかったことが悔やまれます。
次茶碗の辰砂が出ているような黒の茶碗も何方のだったかなと思っています。

手燭の明かりに照らされたお道具を拝見させて頂くと、揺らぐ和蝋燭が風情を添えて、お道具を楽しませてくれました。
一つ一つの事に、お茶を本当に楽しんでいらっしゃるのだなと感じ入りました。
今回、ネットでの繋がりで皆さんと一座建立を持てた事、素晴らしいことだなぁと思います。
“お茶”が一つにしてくれました。御蔭さまです。ありがとうございました。
・・・・(後略)・・・
                  

                 
10月31日に来庵のIさまより
秋時雨の朝となりました。
先日は灑雪庵・名残りの茶事にお招き頂きまして、大変有難うございました。
お待合の温かい風情、凛とした身の引き締まるような中にもご亭主様の御心配りがしみじみと感じられる素晴らしいお茶席、
またお茶事でお香を聞かせて頂いたのも初めてでした。

ご相席の皆さまにも温かい配慮を頂き、初めてお会いしたことも忘れて
初心者の私でものびのびと過ごさせて頂きましたこと、これもひとえに暁庵様から頂戴したかけがいのないご縁と、心より感謝申し上げます。

あまりに名残惜しく何とかお引止めしたい気持ちで一杯ですが、どうぞまた京都にお越しの際はお声掛けくださいましたら幸いに存じます。    未熟な私ですが、
この次お目に掛かれるときは、一服差し上げられるよう、自分なりに精進して参りたいと存じます。
連日のお席でさぞお疲れのことと存じますが、どうぞお元気で錦秋の京をお楽しみくださいますよう・・・。

                  

11月1日に来庵のYさまより
晩秋の候、先日は灑雪庵・名残りの茶会へお招き頂きまして、ありがとうございました。
思いやりにあふれる御心配りに、和やかでとても楽しい一日を過ごさせて頂き、幸せに思っております。

小雨の中、神戸を後にし、電車に乗っていても落ち着かず、お宅の前に佇むS様のお姿を拝見し、安堵いたしました。
何もかも初めてのことで緊張感いっぱいでお詰めの仕事が出来るのだろうかと不安が押し寄せました。厳粛な席入り後、S様にお香を焚いて頂き、少しずつ落ち着きを取り戻しました。

頂いた点心の数々、季節の土瓶蒸しまで美味しく頂戴いたしました。
三島の主茶碗の手の感触や黒楽茶碗「喝喰」で頂いた濃茶のまろやかで美味しかったこと、お手づくりの桜の葉の香りが席中にあふれ、なんとしあわせなこと、手燭のあかりで揺れる幽玄な世界が未だ目に浮かび、蘇えります。

嘗て経験したことのないお茶、ほんとうのお茶に出合えたような気がしています。
暁庵様に感動を頂きました。ひとり亭主でのおもてなしを頂き、とても感謝しています。
後日、お疲れが出ていないかと気がかりですが・・・。
この度は暁庵様に出会えたことやお茶に対してのお考えを知ることができ、
私も一層精進しようと思った次第です。
あとわずかの時間しかご一緒出来ませんが、どうかよろしくお願いいたします。
S様には不慣れな者ばかりとご同席頂き、感謝しております。よろしくお伝えください。
・・・・後略・・・

                 

暁庵より
お客さまからのお手紙を頂戴し、有難く涙しながら何度も読みました。
全員のお手紙を掲載できませんでしたが、お客さまお一人お一人に御礼申し上げます。
京都へ来て茶事をすることを心新たに選択し、続けてきて本当に良かった!と思います。お客さまに支えられて、灑雪庵・名残りの茶会で無事卒業式をすることができました。
ありがとうございました! 

末筆ながら、いつも私を支え、無言で励ましてくれた主人に感謝いたします。
  
                                 

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炉開きの茶事-1  壺荘と献上かざり

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                高松市・玉藻城の菊花展にて

11月に突入した途端、行事や旅行が続きました。
どれも得難い経験なので、ゆっくり書いていきます・・・。

              
              紅葉が見ごろです・・・鷹峯・常照寺にて(6日撮影)

11月2日(日)炉開きの茶事へ招かれました。

10月31日、11月1日と前日まで灑雪庵・名残りの茶会があり、
正直、かなり疲れていましたし、片づけもまだ終わっていません。
でも、Mさまからのお招きが「一人亭主で2日間頑張ったご褒美」のように思われ、
茶友Yさま、Nさまと待ち合わせ、いそいそと出かけたのでした。

待合掛けは「千里同風」。
後日(14日)、茶道資料館「茶の湯の名椀」展で、
無爾可宣(むにかせん)から南浦紹明(なんぽしょうみょう)へ送られた
「送別の偈」に「千里同風」の一句を見出し、やっと待合掛けの意味を悟った次第です。

席入すると、床に「好日」のお軸と網袋に入れられた茶壺が飾られていました。
「好日」は谷耕月和尚筆、鵬雲斎大宗匠参禅の師のお一人だそうです。
半年ぶりに対面する炉のなんと温かく、なんと釜が大きく魅力的なことか。
炉縁は高台寺蒔絵、炉開きにふさわしい華やかさです。

              

ご挨拶で、ご亭主から
「横浜へ帰る前にと思い、何とか今日の茶事に漕ぎ着くことができました・・・」
と伺い、私のことを忘れずに覚えていてくださって・・・胸が熱くなりました。
さらに床に飾られた壺を見て、とても嬉しくドキドキしながら
「ご都合により、お壺の拝見をお願いします(3年ぶりかも・・・)」

銹朱色の網袋が外され、口紐が取られ、口覆が置かれました。
ご亭主が正面を確かめられた頃に
「お口覆ともにお壺の拝見を」と声を掛けました。

右から左へ転がしながら拝見すると、小振りですが形佳く、
黒、茶、焦げ茶、薄茶、青など網目のように交じり合った釉薬が複雑な景色を生み出し、
うっとりしながら二度も転がしました。
地元兵庫県の立杭焼(たちくいやき)、母上の代から使われていた壺だとか。
口覆は角倉金襴、これも大好きな裂地でした。

              
                  後座の紐飾

壺が水屋へ引かれ、いよいよ炉の初炭手前です。
新瓢の炭斗が運び出されました。
古色あふれる釜は富士形だそうですが、かなりの大釜で鐶付は遠山、
なまず肌が好い味わいを醸し出しています。
作は大西浄久、二代大西浄清の弟で、浄清に次ぐ名手とされています。
また釜蓋は、逆さ瓢のつまみ、座は桔梗、古色の中に雅な造りでした。

炉中を拝見すると、石の炉壇が珍しく、五徳は大釜を支えるのに頼もしい猫爪です。
そして、丹精の灰に菊炭が3本、半年ぶりの炉中の風情を味わっていると、
湿し灰が撒かれ、炭が置かれ、炉の季節到来の幸せを実感しました。
香合の持ち出しが無かったので、どんな趣向かしら?と楽しみです。

「お香を用意させて頂きました」
香盆が運び出され、香所望です。
次客Yさまにお願いし、ご亭主も同席して頂き、香炉が廻わされました。
やさしく確かな伽羅の香りに心が和み、一つとなるような充実したひと時・・・。
母上から受け接いだという香木は伽羅(薫玉堂)、香銘は「千代の峯」です。

そして次は「もうびっくり!」の懐石でした。 


        炉開きの茶事-2 壺荘と献上かざり へつづく

炉開きの茶事-2  壺荘と献上かざり

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                  はじめて拝見した「献上かざり」
(つづき)
懐石担当はなんと!Mさまのご主人でした。
茶事前の電話で「いろいろ試作しているのですが、四つ椀は初めてで・・・」
あれはMさまではなくご主人のことだったのね。
お二人で試作やらデスカッションを繰り返し、ご主人の懐石デビューでした。

煮物碗・・ざっくりした海老真蒸が食感、味とも素晴らしく、松茸、三度豆に
輪切り柚子のシンプルさ、盛付の美しさに学ぶべきことばかりです。
進鉢・・巨峰と菊花の胡麻和えが絶品でした。が、食材がすぐにわかりませんでした。
巨峰(ぶどう)と胡麻の絶妙なハーモニーで、箸が止まらない美味しさです。
サプライズもあり、是非つくってみたい一品でした。
八寸・・一塩の生鱈子と渋皮煮

ご主人との共作(?)の懐石がほほえましく、うらやましく、きっと回を重ねるほどに
いろいろな懐石料理が生み出され、お二人のコラボが楽しみです。

舌鼓を打ちながら、すべて美味しく平らげました。
さらにお菓子が続きます。
朱赤に花、鳥、蝶の蒔絵が描かれた縁高が運び出され、亥の子餅を頂きました。
どうしたら亥の子餅に見えるか、ご亭主苦心の手づくりです。
そして、中立となりました。

                  
                  見事な大輪の菊(三本仕立て)

美しい響きの銅鑼に導かれて後座の席入をすると、
床の上座には飾り紐を真行草に結んだ壺が飾られ、
中央には三本の菊が奉書に包まれ、赤白の水引が結ばれていました。
初めて見る、珍しい菊花の飾り方です。
茶花の菊は野紺菊、嵯峨菊など数種に限られていると伺ったことがあるので、
あとでお尋ねするのが楽しみでした。

菊花は「献上かざり」といい、明治天皇誕生をお祝いする飾り方だそうで、
11月3日は「文化の日」ですが、昔(昭和23年まで)は「明治節」といい、
明治天皇の誕生日でした。
最初の写真のような「献上かざり」をして祝ったそうですが、本来は黄色の菊で、
2日までは小菊にします。

詳しく知りたくてネットなどで調べましたが、よくわかりません・・・。
でも、「献上かざり」の風習を後世に伝えていきたいと思いました。
素晴らしいご趣向で私たちに教えてくださったMさまに感謝です。

                 
                     高松市・玉藻城の菊花展にて
濃茶点前がはじまりました。
はじめて拝見する棚は淡々斎好の尚歌棚。
ステキな備前の水指が映える桐木地の一重棚で、天板と地板の前後に切り込みがあり、
継色紙風になっています。柱は、短冊をかたどった桐の板と白竹が一組になり、
勝手付と客付に立てられ、簡素の中に風流な趣きがありました。

それに・・Mさまのお点前が一番のごちそうでした。
足の運びにため息をつき、丁寧で優雅な袱紗捌きや所作に魅せられながら、
濃茶の時間を心ゆくまで愉しみました。

萌黄地に雲文金襴の仕覆が脱がされると鹿の子斑の瀬戸の茶入が現われました。
飴色の窠蓋(すぶた)が開けられ、緑の濃茶が黒の茶碗へなだれ落ちる様子、
茶が入ると茶香があたりに漂い、もう濃茶が待ち遠しい思いです。
丁寧に練られた濃茶が出され、トルコブルーのエキゾチックな古帛紗が添えられました。

一口頂き、「まろやかで美味しゅうございます」
濃茶は「松花の昔」小山園詰、甘くまろやかな濃茶をたっぷり堪能しました。
茶碗は那智黒釉、紀州焼の寒川栖豊作、黒々と重厚で重そうですが、
手に取ると意外に軽く、茶の緑が美しく映えて濃茶にぴったりです。

                  
                  野紺菊・・・鷹峯・常照寺にて

続き薄になったのですが、裏流ではなく表流で、私(正客)から薄茶を頂戴しました。
続き薄で何回も茶事をしているのに、美味しそうな干菓子(木守と栗)に気を取られ、
恥ずかしいですが、全く動じないご亭主、YさまとNさまがなんと頼もしかったこと!

個性の異なる3つの茶碗で二服ずつ薄茶を賞味し、ご亭主にもご自服してもらい、
愉しくのんびり過ごさせて頂いた、貴重なひと時でした。
帰りはご亭主と水屋で奮闘してくださったご主人に見送られ、車へ乗り込みました。

床のお軸の如く、素晴らしい「好日!」でした。
そして、横浜へ帰っても決してこの茶事を忘れることはないでしょう。
いつまでも「千里同風」でありますように・・・。
                                

        炉開きの茶事-1 壺荘と献上かざり へ戻る

吉田神社の献茶式

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11月4日は吉田神社の献茶式でした。

氏子ではありませんが、散歩によく出かける大好きな神社なので
この度献茶式へ伺えて、とても嬉しく思っています。
茶券を手配してくださった真ML会員のTさまと待ち合わせ、ご一緒しました。

            

先日の平安神宮と違い、吉田神社は参列者が少ないのが好ましく、
吉田山の樹木に囲まれた式場は清閑として献茶式にふさわしい佇まいです。

雅楽が演奏され、お祓いを受け、神箋が供えられ、祝詞があげられ、
いつものように、厳かに坐忘斎お家元の献茶のお点前が始まりました。

            

            

よく見える席だったので、坐忘斎お家元の所作や間合いに合わせて、
頭の中でご一緒に茶を点てさせて頂いていると、いくつか気が付いたことがありました。
帛紗の色が、濃茶では白、薄茶では紫だったような気がします。
仕覆は白、緒の色が濃茶器と薄茶器で違っていましたが、しかと思い出せません。
もう一つ、水次を運ぶ時、水次を持ったまま水指前へ斜めに膝行し、
水次を台子と平行に置き・・・
水を次いだ後も水次を持ったまま斜めに膝退されたような・・・。

このような臨場感のある献茶体験ができるなんて、
なんて素晴らしい献茶式なんだろうと感激し、吉田神社にも感謝です。

            
                 薄茶の緑が美しく映えて・・・

献茶式のあと、拝服席、本席、副席、点心席へTさまとまわり、
一人ぽっちで参席した平安神宮とはちがい、心豊かな愉しい時間でした。
社務所の奥に茶室や広間があるのを発見したのも嬉しいサプライズです。

            
                   吉田神社の社務所

ますます吉田神社が好きになりましたが、来年の節分に来れるかしら?

                               

炉開きの日に・・2014年11月8日

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                  だいぶ紅葉がすすんでいます

2014年11月8日はS先生宅の炉開きでした。
毎年、11月の最初の稽古日に炉開きのお祝いをしてくださいます。

床には「万年松在祝」、江雪和尚筆が掛けられ、
濃い紫の飾り紐で真行草に結ばれた茶壺が飾られています。
存在感溢れる茶壺は瀬戸の祖母懐(そぼがい)、鵬雲斎大宗匠により銘「香楽」です。
お軸と茶壺に再会すると、今年も炉開きへ参加できた喜びがこみあげてきました。

              

床柱の花入には白玉椿とハシバミが生けられていました。
竹花入は箆筒(へらつつ)写、職人が使う箆差しの形をしています。
本歌は四代仙叟の好みで、ごま竹の箆筒だそうです。
あとで「古宗室好 箆ら津々 碩叟(淡々斎)」の箱書きを拝見しました。

書院に置かれた優雅な「板文庫」に惹かれました。
料紙筥と硯箱を兼ねた文具で、文挟み板のような板に紐を通して、
上に料紙、硯をのせて紐で結び、書院などに飾ります。
手に取って拝見させて頂きましたが、料紙にさらさらと和歌を書くのでしょうか。
利斎作、蒔絵の硯箱は三代宗哲、文庫結びのひもかざりは友湖です。

              
                        珍しい板文庫              

ご挨拶の後、Kさんの台子の初炭手前から始まりました。
風炉から炉へ変わり、炉の設えが新鮮です。
淡々斎好の松唐草蒔絵の炉縁が炉開きの釜を華やかに惹き立てています。
釜は古芦屋の常張釜(上張釜とも)、胴に文字の鋳込みがありました。
釜の上に板状に突き出て、外側に張っている鐶付にびっくりです。
この珍しい鐶付は常張鐶付といい、唐犬釜や九輪釜にも使われているそうです。

常張鐶付なので、鐶も初めて見る常張鐶(掻立鐶とも)でした。
先生が手品師のように鮮やかに片方だけを返し、使い方をご指導頂きましたが、
何回も練習しないとかっこよく出来そうもありません。
釜が上げられ、炉中の様子、湿し灰の撒き方を実際に見せてくださったり、
炉開きの日の稽古は、道具や設えと言い、所作と言い、覚えることばかりで
頭がくらくらするほど満杯でした・・・。

             

初炭が終わると、湯が湧く間に大好物のぜんざいを頂きました。
先生と奥様の手づくりの粟ぜんざいは程よい甘さで、もう美味しく頂戴しました。
さて、炉開きの一番の楽しみな濃茶となりました。
いつも先生が濃茶点前をし、点ててくださいます。

先生の足運び、姿勢良い点前、流れるような所作、皆、息を呑んでみつめます。
ぷう~んと茶香が漂い、一碗目の濃茶が古帛紗を添えて出されました。
Tさんが茶碗を取り込み、一同総礼をし、次々と三服点てられた濃茶を頂きました。
丁寧に練られた濃茶は香り好く、まろやかな甘みが口の中でとろけるようです。
たしか「炉開き用の濃茶」で小山園だったような?
私は桜高台の古萩で頂戴し、古帛紗は淡々斎好みの七宝雪月花金襴でした。

濃茶の後は、Yさんと私が台子薄茶点前のお稽古を兼ねて薄茶をお点てしました。
薄茶を頂きながら、炉開きのために準備してくださった、台子や道具組のお話を
愉しく伺いながら、先生のお心入れを一入感じ、一同幸せなひと時でした。
心の中でいつまでもこの時間が続いてほしい・・・と思いました。

午後も、行之行台子、台子の平花月とびっしりお稽古が続き、充実した一日でした。
先生宅へ伺う炉開きも最後かしら・・・寂しいより残念です。
                                   


鷹峰・光悦会-1

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              光悦寺より京の街を望む(11月6日に撮影)

京の北、鷹峰三山(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)を見渡す景勝の地、光悦寺。
その昔、本阿弥光悦が家康よりこのあたりの土地を拝領して拓き、
太虚庵を建てて住し、一族と配下の工匠とともに芸術村を創りました。

ここで毎年行われる光悦会へ11月13日に行ってまいりました。

光悦会は、本阿弥光悦の遺徳をしのぶ茶会で、土橋嘉兵衛らが世話役となり、
三井松籟、益田鈍翁、馬越化生、団琢磨らの賛助を得て、
大正4年(1915)に財団法人として発足しました。
光悦寺に大虚庵、騎牛庵、本阿弥庵などを新築して、11月に最初の茶会が開かれ、
東京の大師会とともに近代数寄者の二大茶会として始まったのです。
現在も11月11日~13日の三日間、東京、京都、大阪、名古屋、金沢の
美術商が世話人となって茶会が行われています。

             

京都に居る間に参席したく思い、或る方に茶券をお願いしました。
関東から茶友のSさん、Oさんが参席することになったので、
ご案内の下見を兼ねて光悦寺を訪ね、掲載の写真を撮ってきました。

当日、三人で9時前に光悦寺へ到着すると、1週間前より紅葉が進み、
朝陽を浴びて、赤橙黄緑のグラーデーションが輝いています。
東京、金沢、大阪、京都、最後に点心の順で各席をまわりましたが、
とても覚えきれず、各席ごとに印象に残ったことを記念に記しておきます。

             

第一席は薄茶・東京席で、本席は三巴亭です。
青磁竹の子の花入に季節外れの大きな牡丹(花無し)。
たった一枝ですが、枯れた葉あり、青葉あり、花芽あり、新芽ありで、
人の一生を託したとか・・・東京席世話人の心意気を垣間見た気がしました。

源氏夕顔文の芦屋釜と、七宝蒔絵(道恵造)の炉縁の華やかさにも惹かれましたが、
乾山の色絵夕顔文水指が一番のお好みでした。
鉄絵も好いですが、斬新でモダンな乾山の色絵にすっかりほれ込みました。
茶碗(黄伊羅保、絵唐津、色絵)のうち、仁清造の黒地芭蕉葉文(横山家伝来)が
珍しい文様で、仁清の色絵も佳いなぁ~とため息です。

             
                  三巴亭 (薄茶・東京席)

第二席目は濃茶・金沢席です。
了寂軒が寄付になっていて、床には元伯宗旦の松絵自画賛のお軸が掛けられ、
香合は金沢席らしく、仙叟手捏ねの飴釉寿星香合。
垂涎の炭道具が飾られ、こちらで金沢・吉はし製の「初霜」と薄茶を頂きました。

本席は太虚庵、外には有名な光悦垣があり、了寂軒から庭伝いへ進みます。
三畳台目の落ち着いた席へ入ると、奈良先生が対応されていました。
床は、春屋宗園墨蹟「諸悪莫作衆(修)善奉行」、
以前に拝見した一休禅師の墨蹟と違い、柔らかく優しい人柄が想像される墨蹟で、
光悦の遺跡・太虚庵にふさわしく思いました。
花は白玉椿とズイナ、花入は古銅四方蝶耳(芳春院伝来)、
この花入は本阿弥光悦より大徳寺芳春院へ寄付されたものとか。

             
                   紅葉が美しい光悦垣

             
                   太虚庵 (濃茶・金沢席)

インパクトがあったのが水指でした。
仙叟好飴釉海老撮手付(初代長左衛門造、一井庵旧蔵)で、
一井庵不言斎記によると、
「長左衛門が同じ水指を二つ造り、一つは宗室へ、一つは自分が持ち、
 互いに懐かしく思う時は是をみるべし・・・と」

茶入、茶碗、帛紗、茶杓・・・どれも素晴らしく相和して、金沢席っていつも凄い!
・・と思うのはお道具もさることながら、郷土愛を感じるせいかもしれませんね。
                                       

            鷹峰・光悦会-2へつづく                            

鷹峰・光悦会-2

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             鷹峯三山(鷹ヶ峯、鷲ヶ峯、天ヶ峯)の一つ、鷹ヶ峯

(つづき)
光悦会の第三席目は大阪席、藪内燕庵の席主でした。
あとで光悦会の席主は今年が初めて・・と伺いましたが、一番心に残るお席でした。

寄付の本阿弥庵の床には「うらやましの文」、利休筆の剣仲宛の消息です。
書院には「東籬御茶箱」(白菊の絵、茶通箱)が飾られ、
香合は燕庵名物「織部 袂」(古織より到来)でした。
続いて飾られている炭道具にも惹かれましたが、
中でも羽箒「伝来形 青鸞 三ツ羽」が今でも目に鮮やかです。

待合は自得軒、床には竹心筆
「茶井 留得先生一片心」
莨盆一式があり、火入(伝来形 鐵銀象嵌入り三ツ足)の灰形が藪内流独特らしく、
藁家を思わせる屋根型に香道のように灰筋が入って、風情がありました・・・。

              
                   本阿弥庵(濃茶寄付・大阪席)

              

本席は騎牛庵、こちらの席へ少人数に分かれて入りました。
床には「無傳」の二字横物、薮内剣仲筆です、
最晩年の筆だそうですが、無駄なものが削ぎ落とされたような清々しさを感じます。
何か後世に茶の道を伝えるものは?という問いに
「無傳」
伝えるものなど何もないよ、各人が己の茶の道を拓けばよい・・ということでしょうか。
心に残る「無傳」の二字です。

「わぁー! 薮内燕庵って太っ腹!」
はしたなくも心の中で歓声をあげたのは
燕庵名物の古萩茶碗・銘「是界坊」(古織より到来)を全員に回して
手に取って拝見させてくれたことでした。
井戸茶碗のように大振りの古萩は手に取ると軽やかで、一段と味わい深く、
割高台の力強さも目の当たりに鑑賞し、感激しました・・・。
名物茶道具を手に取って見せてくださったのは如庵茶会以来です

              

第四席は京都席、最後の席になってだいぶ疲れ、お腹もすいて集中力が・・・。
濃茶席の寄付の床には尾形光琳筆「蔦・雪絵 団扇」 桂洲道倫賛がありました。
この賛について詳しい説明がなかったのがちょっと残念です。
脇は本阿弥光悦 宗達下絵「三十六歌仙色紙帖」、光悦会らしい設えです。

本席は徳友庵、床には「熊野懐紙 寂蓮」(重要文化財)の二首。
  山川水鳥
    いはたがた こほりをくだくすゑまでも
      あはれとおもへ をしのひとこゑ
  旅宿埋火
    くさまくら あたりもゆきのうづみ火は
      きえのこるらむ ほとぞしらるる

熊野懐紙は、後鳥羽上皇が熊野御行の際に歌会を催し、和歌が書かれた懐紙です。
寂蓮法師の和歌もさることながら、近々熊野詣を予定しているので
正治2年(1200)の法楽歌会の二首和歌懐紙に改めて興味を持ちました。

ニシキギ、ツルウメモドキ、曙椿が入れられた花入は古伊賀・唐犬耳(双軒庵旧什)、
古伊賀の深い趣きは「カラタチ」(畠山美術館)を彷彿させます。
大井戸・銘「平野屋」、嵯峨桐茶地金襴の帛紗など未だ目に焼き付いています。

               

四席をまわり、お菓子と抹茶ですでに満腹ですが、仕上げの点心席へ。
鷹峯三山を眺めながら外の席で、偶然お会いしたSさんの知人Nさんも加わり、
4人で瓢亭弁当を味わいながらゆっくりしました。4人の感想は
「紅葉を愛でながら各席をまわる光悦会って好いわねぇ~。また来年も来たい・・・」

天気も良く、寒くもなく、参加人数が比較的少なかったのでゆったりと、
4人で愉しく各席をまわることができ、恵まれた一日でした。
素晴らしい機会を与えてくださった方々に感謝いたします。  


              
                軒下の吊るし柿・・・光悦寺近くの民家にて


          鷹峰・光悦会-1へ戻る

                     

熊野の旅ー1 日本一長い路線バスに乗って

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                  奈良県十津川村・谷瀬のつり橋

久しぶりに旅へ出ました。
前から行きたかった「熊野詣で」へ11月の終わりに行ってきました。
12月に行く予定が、調べてみると交通の便が悪く、
12月になるとさらにバスの便数が減るので11月になったのでした。

京都から熊野へ入るルートはいろいろありますが、
大和八木駅始発の「日本一長い路線バス」に乗りました。
近鉄大和八木駅始発から終着の和歌山県・JR新宮駅まで紀伊半島を南北に縦断し、
上野地、十津川、熊野本宮大社を通り、6時間以上かかります。

             
              「日本一長い路線バス」に乗って見たくて・・・

最初の休憩は五條バスセンターで約10分、隣りのスーパーへ走り、
昼食の柿の葉寿司、惣菜、飲み物などを買い込みました。
古い街並みが残る五條新町を通り過ぎ、次第に山へ分け入っていきます。
紅葉・黄葉が美しく折重なり、この路線バスに乗った甲斐がありました。
狭い山道をこともなげに走り抜けていく、ベテランの運転手さんのなんと頼もしいこと!

             

その日は曇っていて時折小雨が降るような天気だったのですが、
バスが登るにつれて現われる山々や渓谷には雲や霧がかかり、幽玄深山の趣きに
12名ほどの乗客から歓声が上りました。

  万丈の山、千仭の谷、前に聳え、後に支う、
  雲は山をめぐり、霧は谷を閉ざす・・・唱歌「箱根八里」を想い出します。
・・・大正解です。この路線バスに乗ってヨカッタ!

  

上野地で20分の休憩があり、近くにある「谷瀬のつり橋」へ行きました。
上野地と谷瀬を結ぶ巨大なつり橋は長さ297メートル高さ54メートル。
十津川に架けた丸木橋が台風のたびに流されるので、1戸20~30万円出し合って、
生活のために必要な大吊橋を昭和29年(1954年)完成させたそうで、
今では十津川村の観光名所です。

20メートルも進んだでしょうか、つり橋の揺れに気持ちが悪くなりそうで
あわてて引き返しました・・・まだ2時間バスに乗らなくてはなりません。

次は十津川温泉で10分の休憩。
ここに足湯があったらどんなに嬉しいかしら・・・と思いました。
前の席のご夫婦も私たちと同じ湯の峰温泉の宿だそうで、常連さんらしく
「湯の峯荘の100%源泉かけ流しの風呂が素晴らしい!ですよ」
と教えてくださいました。

            

熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)の一つ、熊野本宮大社で
路線バスを下りました。
約5時間かかりましたが、山々を紅葉、雲、霧がおおい、山間に暮らす人々の
暮らしをちょっぴり垣間見られた、印象深い熊野の旅のアプローチでした。
                                       

               熊野の旅-2へつづく


熊野の旅ー2  熊野本宮大社と湯の峰温泉

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                大斎原(おおゆのはら)の大鳥居

日本一長い路線バスを下り、熊野本宮大社へお詣りしました。
社殿が4社並んでいて、第3殿だけをパスしたら、説明板を読んで主祭神とわかり、
あわてて引き返しお詣りしました。
主祭神は家津御子大神(素戔嗚尊、すさのおのみこと)です。

   

熊野本宮大社から約5分に大斎原(おおゆのはら)があり、巨大な鳥居が聳えています。人がとても小さい存在で、神妙に見えます。
もともとこの地(熊野川の中州)に本宮大社がありましたが、明治22年(1889)の大洪水により甚大な被害をうけ、現在地へ移されました。
社殿こそありませんが、大斎原は今も神気あふれる熊野の聖地でした。

その日は湯の峰温泉の湯の峰荘に泊まりました。
湯の峰温泉は、1800年前に開かれた日本最古の温泉場です。
硫黄を含む湯が肌に馴染んで心地好く、夕食前、就寝前、朝湯と露天風呂に浸かり、
久しぶりの温泉を堪能しました。

翌朝、宿のご主人に湯の峰温泉バス停まで送ってもらい、「つぼ湯」を見学しました。
「つぼ湯」は、室町時代から伝承されている「小栗判官物語」に登場する薬湯です。

             
              一心不乱に土車を押す照手姫
               伝岩佐又兵衛「小栗判官絵巻」(パネル展)より

「小栗判官物語」では、常陸の国の小栗判官は相模の国の照手姫と恋におちますが、
照手の父の怒りに触れ、毒殺されてしまいます。
地獄に落ちた小栗は閻魔大王の計らいにより餓鬼の姿でこの世に戻されました。
その後、照手と再会するのですが、
「耳も聞こえず目も見えず口もきけない」餓鬼の身となった小栗は、
照手の引く土車に乗せられ熊野・湯の峰温泉をめざし苦難の旅を続けます。

善男善女の助けを受けながら四百四十四日で湯の峰温泉に辿りつきました。
熊野権現の御加護と、「つぼ湯」に浴するうちに四十九日目に奇跡が起こり、
小栗は見事に元の姿に回復したと伝えられています。

   
小栗判官湯治場「つぼ湯」              「つぼ湯」の中

「つぼ湯」は天然の岩風呂で、今も熊野古道が通る川添いにあります。
入湯料200円也、小栗判官にあやかって蘇生したかったのですが、
時間がなかったのが残念! 次の新宮行バスに乗らないと長時間待たなくてはなりません・・・。

              
                  山本玄峰師の顕彰碑「玄峰塔」
              
                  玄峰師揮毫の看板・・・新宮にて

湯の峰温泉バス停近くで山本玄峰師の顕彰碑「玄峰塔」に出合いました。
山本玄峰師が湯の峰温泉出身だったことを思いだし、その数奇で偉大な生涯に思いを馳せました。
新宮市で「熊野(ゆや)」という菓子銘に惹かれて菓子屋さんへ飛び込んだら、
「十紀和屋」という玄峰師筆の看板が店に飾られていて、旅のご縁を感じました。
こんな出逢いも旅の楽しさですね・・・。
                                    やっと 

           熊野の旅-1へ戻る    熊野の旅-3へつづく


熊野の旅-3  熊野速玉神社と西村伊作記念館

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           樹齢1000年を越す「ナギの御神木」・・熊野速玉神社
(つづき)
新宮では先ず熊野三山の一つ、熊野速玉神社へ詣でました。
元々は近隣の神倉山の霊石「ゴトビキ岩」をご神体としています。
いつ頃からか現在地に祀られるようになったそうで、神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮と呼んでいます。

           
              熊野三山の一つ、熊野速玉神社

境内にある「熊野御幸碑」を見てびっくり!
平安時代から上皇や女院たちが驚くほどの回数の熊野御幸をしていました。

907年、熊野へ初めて詣でた上皇は宇多法皇ですが、白河上皇が9回も熊野御幸されたことから熊野信仰が熱狂的な高まりを見せるようになりました。
一番多いのが後白河上皇の33回、次いで後鳥羽上皇28回、鳥羽上皇21回・・・。
女院たちも負けていません。待賢門院12回、美福門院4回、建春門院4回・・・。

現代、しかもバスに乗っても分け入るのが困難な道のりを京都から往復1ヶ月かけて
なぜ熊野だったのでしょうか、その理由はわからないそうですが、
中世の人々の内面に渦巻くエネルギーの凄さを感じます。

            
                      熊野御幸碑

鎌倉時代前期に熊野御幸を27回行った後鳥羽天皇(1180-1239)は、途中で
旅の慰めとして頻繁に歌会を催しました。
随行の人たちは与えられた歌題を和歌に詠み懐紙に認めましたが、
これが熊野懐紙と呼ばれ、30数葉が残されています。
先日の光悦会・京都席で寂蓮法師の和歌が書かれた熊野懐紙が本席の床に掛けられていました。

熊野速玉神社の熊野神宝館を見学して、またまたびっくり!
天皇・上皇・将軍家から奉納されたお宝がぎっしり、素晴らしい国宝や重要文化財も多いのですが、展示や説明、照明にもう少し力を入れてくださったら・・・と残念です。

  
        佐藤春夫記念館                佐藤春夫の書斎

新宮市内は「佐藤春夫記念館」「丹鶴城址」など見所いっぱいですが、一番楽しみにしていた「西村伊作記念館」について書いておきます。

   
                       新宮市にある「西村伊作記念館」

西村伊作(1884~1963)は1884年(明治17)年、和歌山県東牟婁郡新宮横町で生まれました。22才のとき、当時米国で流行していたバンガローを新宮の日和山山頂に建築。これが、最初の居間を中心とした現代住宅で、以後、住宅建築家として活躍します。文化学院創設者でもあります。
行きつけの美容院のマスターから西村伊作の本「楽しき住家」を借りて、伊作が設計した温かみのある洋風の家やその設計思想についてマスターと語り合い、憧れていたのです。

           
                 南向きにある居間
           
                 庭から全景を写す

その西村伊作が自ら設計・監督した自邸が新宮市にある「西村伊作記念館」でした。
館内には伊作自筆の住宅設計図、油絵、自作の陶器、家具などが展示され、それらを自分の目で見れて、西村伊作について熱心なお話も伺えてとても満足しました。
ただ、老朽化が進んでいるのが気がかりです。
「西村伊作記念館」を後世に伝え残して欲しいと願っています・・・。
                                     
        熊野の旅-2へ戻る      熊野の旅-4へ

熊野の旅-4 紀伊勝浦でお茶を・・・

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              紀伊勝浦・・・ホテルへ向かう船の桟橋から
(つづき)
新宮からバスを乗り継ぎ、一番行きたかった「那智の滝」を目指しました。
那智山でバスを下り、表参道の石段を登り、熊野那智大社へ詣でました。
主神は熊野夫須美大神、太古の自然崇拝では「那智の滝」そのものが御神体です。

樹齢800年の「那智の樟(くす)」(天然記念物)が聳えていました。
老樟は御神木(樟霊社)として崇められ、根幹に大きな洞(うろ)があります。
ナニナニ・・胎内潜りをすると願いごとが叶うとか、早速、護摩木に願いごとを書いて洞へ入ると、数人が寝れる広さがありました。
手塚治虫の漫画「ブラックジャック」の中に道路建設で切られようとしている老樹の物語「緑の想い」があり、DVDを見て以来、いつか老樹の洞で一夜を明かしてみたい・・と願っているのですが・・・(DVD「緑の想い」お勧めです)。

   
   樹齢800年の「那智の樟(くす)」          老樟から見た景色

隣の那智山青岸渡寺は西国三十三所第一番札所で、如意輪観音が祀られています。札所の持つ独特の雰囲気があり、四国遍路を思いだし離れがたかったのですが、那智の滝が控えていました。

先ほどから見え隠れする那智の滝へ一歩一歩近づいていきます。
飛瀧(ひろう)神社へ到着し、一番近くで見上げると、
落差133mの瀑布は畏敬の念を感じるほど見応えがあり、
いつまでも時を忘れて眺めていたい那智の滝でした。
来てよかった・・・来れてシアワセです。


            いつまでも見ていたい「那智の滝」

晩秋の陽射しは短く、これから大門坂を下るのでやっと腰を上げました。
今回の旅は熊野古道を歩かなかったので、せめて熊野古道の面影を残す大門坂を歩きたかったのです。
大門坂は杉の大木が多く、樹齢800年の夫婦杉を眺めながら、滑らないように石畳を注意深く踏みしめて行きました。
私たちは下りでしたが、那智大社や那智の滝を目指し、最後の力を振り絞って登ってくる老若男女の参詣者が目に浮かぶようでした。
登ってくる若いカップルに出会い、エールを交わしましたが、4時をまわっていたので他にすれ違う人は居らず、バスの時刻に合わせてゆっくり下りました。

           
            晩秋の大門坂を下る

再びバスに乗り、紀伊勝浦へ向かいました。
その日の宿は紀伊勝浦温泉・中の島ホテルです。
潮騒の聞こえる露天風呂が素晴らしく、こちらでも3回湯船に浸かりました。

翌日、ホテルへ送っておいた和服を着て、桟橋で茶友Aさんと待ち合わせました。
最終日にAさん宅で薄茶一服頂きたく・・とお願いしたのでした。

             
                 桟橋で茶友と待ち合わせました     

「茶事ではないし、洋服でよいかしら?」
迷いましたが、8月の暑い最中の茶事にAさんが着物で来てくださったことを思い出し、ホテルへ着物一式を送ることにしました。
桟橋まで車で迎えに来てくださったAさんはステキな着物をお召しでした。
「着物にしてヨカッタ!・・・」

最初にAさんの終の棲家を建てる予定地へ連れて行ってくださいました。
そこは海が近く、静かな住宅地の一画です。
老後の暮らし方に合わせて、どんな家にするか考慮中だとか・・私まで楽しみです。

            

ご自宅へ案内されると、ついキョロキョロ。
「えっ!どうして別宅を建てるの??」
私には申し分のない「素晴らしいお茶環境」に思われたのですが・・・。
順不同ですが、おしゃべり、初炭、昼食、濃茶、薄茶とフルコースで、
お弟子のSさんと一緒にアツイおもてなしをしてくださいました。

紀伊勝浦ならではの生マグロ丼や伊勢海老が入った汁椀に舌鼓を打っていると、
炉に掛けられた釜に煮えがついてきて、Aさんのお点前で濃茶を頂戴しました。
表流の濃茶点前に見惚れ、ご縁があって集まったという茶道具の話に聞き惚れ、
二人で濃茶を頂いたのも好い思い出です。

続いてSさんのお点前で薄茶を頂戴し、お尋ねしたいことがいっぱいあったので
茶談義に花が咲きました。
熊野詣の最後にお茶一服とお話を愉しむことができ、もうもう大感激でした。
Aさん、Sさん、ありがとうございました!

帰りは、新宮の丹鶴城や神倉神社を探索した主人と紀伊勝浦駅で待ち合わせ、JR特急で京都へ帰りました。特急で約3時間半、さすが疲れて遠く感じました・・・。
                                 

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茶道具こわい in Kyoto

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                       雪の金閣寺

ぶるっ!お寒いですね。
京都では昨夜から雪になりました。   

ずっーと前に書いた「茶道具こわい」の京都編です。
京都に住みだしてから年金生活となったので茶道具購入をあきらめていました。
それでも茶道具との嬉しいご縁があり、いそいそと書き留めておきます。

今年10月、Sさんの名残りの茶事へ招かれたあとのある日、
道具屋さんのちらしに藤村庸軒好みの「凡鳥棗」(写し)の出物がありました。
庸軒流の隆盛に力を尽くされた、横浜在住の伊藤庸庵氏(故人?)が写しをいくつか作ったそうで、そのことをSさんから伺っていたのです。
早速、道具屋さんへ電話をすると、すでに売れていてご縁がなかったみたいです。

   
         姫路・好古園                  凡鳥棗

あきらめきれず、Sさんへ電話しました。
Sさん所有の伊藤庸庵箱書の「凡鳥棗」をお譲りいただけないか・・・と。
すると、おもいがけない言葉が返ってきました。
「「凡鳥棗」を二つ持っていても仕方がないので、横浜へ帰る暁庵さんに
 伊藤庸庵ゆかりの凡鳥棗を使ってもらいたいと思い、電話するところでした」
「えっ・・・!(思わず絶句)」
二人で同じことを考えていたのです。

後日、Sさんから「凡鳥棗」が手渡されました。
「アリガトウ・・・大事に使います」
お返しに平棗を差し上げると、とても喜んでくださって二人ともハッピーでした。
横浜へ帰ったら、小林芙佐子先生に仕覆を注文して、○○茶会にどうかしら・・・
と今から楽しみにしています。


        ギャリラー池川               「茶道」須田剋太書

11月の或る日、Kさんから永らくお借りしていた茶入をお返ししました。
京都在住中永久貸与とのことで送られてきたのです。
「濃茶をしないから使ってください。茶入も喜ぶと思います」
でも、この茶入はKさんが崇拝している揖保川焼の池川みどり氏作ですので
横浜へ持ち帰ることもできず、御礼の薄器と一緒にお返ししました。

すると、またKさんから
「ステキな贈り物をありがとう。
とても気に入り、取り合わせをあれこれ考え、愉しんでいます。
もう一つ、濃茶をしていた頃に購入した茶入がありました。
代わりに送りますので、どうぞ使ってあげてください・・・」

思いがけず、ステキな茶入が二つの着物(仕覆)と共に送られてきました。
「アリガトウ・・・大事に使います」

             
                  クリスマスツリー 京都駅ビル

茶道具が取り持つ、思い出すたびに心がウルウルするご縁でした。
今回は「茶道具こわい」より「茶道具やさし」でしたが、次回はこわい?話かも。            
                                  

忘れたくない「茶の教え」

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 Merry Christmas!

今日はクリスマスイブ・・・
来年1月末に引っ越しが決まり、いろいろ片づけなくてはなりません(苦手です・・)。
いざ始めると、捨てられないものも多く、日々葛藤していますが、埋没していたお宝に出会う愉しみもあります。
大事に取っておいた「言の葉」のコピー類がでてきました。
出典不明もありますが、忘れたくないものをこちらへ書いておくことにします。

                  

1.募集された「座右の銘」の中から

〇人生の醍醐味は、開き直った時に味わえる

「優秀賞」に輝く。京都市の秋岡翔さんの自作とのこと。
受賞者コメント:ゼミ、サークル、バイト、就活の準備に追われる日々。ちょっとしたことから全てのバランスを崩し上手くいかない毎日にイライラしていた時に、普段、無口な父がポツリと一言。
大した意味は込められていなかったかもしれないが、この一言で前を向けた。
(出典は「目の眼」10月号No.409)

(感想)けっこう好きな言葉。茶事をしていると、開き直らないと前へ進めないことが多かったので、勇気づけられました。

               

2.忘れたくない「茶の教え」
・・・それは稽古ノートの表紙裏に印刷されていた、S先生のメモ(教え)です。
ノートは既になく、コピーだけが仕舞ってありました。

薄茶点前
〇 呼吸を良くととのえること
〇 吐く息の時に右手茶碗にいく
〇 釜の蓋をまっすぐにしてもってくる
  しづくを落とせば、そのお点前はゼロである
〇 自分が気持ちよく出来た時は我が出ている
〇 服の良き様に
  四季、寒暑、食前、後、に応じて茶を点てる
〇 一楽 二唐津 三萩
  一番最初に楽茶碗でけいこをすれば、すべて他の茶碗にも応用されていくことを言っている

点前上の注意
〇 点前の後には客同志で後礼する
〇 点前をくずすのは何時でも出来るから、絶対くずさないでけいこする
〇 点前は軽く、重く、ふくみをもってする
  ぎこちない点前は自分でなおすこと
  点前の働きに何時も気をつけること
〇 点前はゆとりを持って、環境に飛び込む
〇 けいこ上、湯水をこぼすのは修練が足りないからである
〇 茶は幾つになってもかくしゃくとしている所を見せるもの

・・・ここで終わっていますが、S先生(故人)の厳しく有難かったご指導がこれを見るたびに思い出されます( )。そして、いつも自分自身に問うのです・・・
「あなたの点前は?」「あなたのお茶は?」と。

                

来年は
  真摯な気持ちを忘れずに
  「じぶんのお茶」を大事に
  ゆっくり丁寧に暮したい・・・と今は思っています。
                                     

 
  

楽茶碗に恋して・・・茶道具こわい in Kyoto Ⅱ

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               御ちゃわん屋の暖簾が遠く感じられて・・・

茶道具こわい in Kyoto の続編です。
京都へ家うつりして以来、何度か訪れた楽美術館と楽美術館茶会
特に楽美術館茶会では、所蔵の楽茶碗で薄茶を頂き、楽茶碗を手に取って鑑賞する機会を得ました。
席主の15代・楽吉左衛門氏の話が興味深く、歴代の楽茶碗の魅力や特徴、また自らの体験を通して作り手の葛藤や思いを伝える話に毎回魅了されました。

そんなこともあって、「当代の楽茶碗が欲しい・・」と憧れたのです。
でも、とても高価なので(私にとって)半ばあきれながら、
京都で最初の友人TYさんに相談しました。
「当代の楽茶碗を私が手に入れる方法があるかしら?」
すると
「1つだけあるとしたら、高島屋のオークションかしら?
 茶碗がでるとは限らないけれど、誰でも入札できるので可能性はありますよ」
「う~ん・・・・!」
身分が釣り合わない恋のようなもの、入手は無理とあきらめて、
楽茶碗は鑑賞するだけの近くて遠い存在になりました。

            
                石碑「楽焼窯元 楽吉左衛門宅」

その後、楽美術館茶会や京都の茶会で楽茶碗でお茶を頂き、楽焼の茶道具を鑑賞していくうちに、4代一入と5代宗入の作品に心惹かれるようになりました。
元々、長次郎の静謐な、素を感じる佇まいの茶碗が好きだったので・・。

現在、楽美術館で「特別展・宗入生誕350年記念Ⅱ 初源への視線 -楽家五代宗入と三代道入、四代一入、九代了入、十五代吉左衛門-」が開催中です。
(期間 2014年12月10日~2015年3月1日)

            
             楽美術館茶会の日に(12月14日)


12月の或る日、茶友Sさんから電話があり、
「好い黒楽茶碗の出物があるので、少し遠方ですが見にいらっしゃいませんか?
 茶道具大好きの友人Jさんと一緒に道具屋さんへご案内します・・・」

思いがけないお誘いでしたが、なにかご縁を感じて○○市へ向いました。
電車を降りると、師走の冷たい風が吹く中、Sさんが出迎えてくださり、Jさん夫妻の車で道具屋さんへ一目参です。

            
                     師走の京都駅
 

最初のA店で4代一入、10代旦入、14代覚入の黒楽茶碗を見せて頂きました。
どれも箱書の確かなものばかりで、私は4代一入の黒楽が気に入りましたが、
とても買える値段ではありません・・・ 

心を奮い立たせて次のB店へ、併設の茶室で6代左入と7代長入の黒楽を見ました。
特に左入の茶碗は内側に小宇宙の景色が感じられ好かったのですが、小振りで濃茶2~3人がやっとの大きさでした。
出来たら4~5人分が点てれる茶碗が希望です・・。

            

最後のC店には4代一入の黒楽茶碗が一点だけありました。
茶友Sさんは、私の一入好みを知らずに
「この楽茶碗をどうかしら?」と連絡して来てくださったのです。
・・・出逢った時から、茶碗が私を待っていてくれたように思われ、
箱書も確かで、お値段も納得のいくものでした。
決まる時って、驚くほどスムースに行くものなんですね。
一緒にまわって、アドバイスしてくださったSさんとJさん夫妻に感謝です!

            
               灑雪庵のドア飾り

こうして、一入の茶碗が灑雪庵へやってきました。
自分へのクリスマスプレゼントですが、何よりの京都の記念品と喜んでいます。
ただ、問題が一つ・・・主人になかなか言い出せませんの! 



             茶道具こわい in Kyoto へ戻る

除夜釜・・・無事是貴人

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                    知恩院の試し撞き

今日は大晦日。

12月27日、先生宅の除夜釜にお招き頂きました。
京都へ来て3回目になりますが、これでもう除夜釜へ伺うことはないかしら?
と思い、胸に込み上げるものがありました。          

玄関すぐにかわらけ売りの絵が掛かり、年末らしい風情です。
寄付の小間には和漢朗詠集の「歳暮」、漢詩と和歌が右三分の一に書かれ、
紙を足して茶筅と紐が画かれていました。
読み下しが置かれていたのですが・・・・。

  歳暮

  寒流帯月澄如鏡。夕風和霜利似刀。
  江楼宴別   白居易
  風雲易向人前暮。歳月難従老底還。
  花下春    良岑春道
  古今
  ゆくとしのをしくもあるかなますかがみ
     みるかげさへにくれぬとおもへば    紀貫之

身支度を整えて、待合へ入ると、そこは灯火だけの世界、
ほの暗い中で床を拝見すると、圓能斎賛と淡々斎画、父と子の微笑ましい合筆で
「是喰 茶味深  鉄中」とあり、画は蕪と慈姑(くわい)です。
火鉢を囲み、甘酒を頂いて、すっかり温まりました。

             

すっーと本席への手掛りが開いて、席入しました。
八畳の広間には手燭と短罫が置かれ、床、点前座を順次拝見しました。
床に「無事是貴人」
前大徳・大徹和尚筆の身が引き締まる墨蹟に今年もまた出会うことができました。

先生のお話では夜咄の床の掛物は大字か小字(消息など)のどちらかだそうです。
端正で力強い大字の横物で、白風袋、揉紙の簡素な大徳寺表装が好ましく、
大徳寺棒は八代宗哲の塗でした。

短罫の灯りが点前座を照らしています。
薄暗い部屋の中で炉の炭火、煙草盆の火入、手あぶりの透かしから覗く火・・・
こんなに火がひそやかで美しく、雄弁だったなんて・・・火に魅せられるひと時でした。

S先生が入席されたので、一同、除夜釜にお招き頂いた御礼のご挨拶をしました。
早速にいろいろなお話をしてくださり、除夜釜を始められた経緯、掛物のこと、
行灯や燭台は長年掛けて好みのものを集められた話など、興味深く聞き入りました。

先生の薄茶点前が始まりました。
先月の炉開きの時は濃茶点前でしたが、薄茶点前を一同目を凝らして見つめます。
客は12名、一人一人違う茶碗で薄茶を点てて下さいました。

             

私は玉水焼の初代・一元作の茶碗で頂戴しました。
赤楽の筒茶碗で、箆目がすっきりと美しく、光悦を思わせる明るく柔和な印象です。
不見斎(?)の銘で「網代守」と箱書にありました。
一元は四代一入の庶子ですが、養子の宗入が五代を次ぐことになり、
楽家を離れて玉水焼を興しました。
初代・一元の茶碗で頂くのは初めてで、とても嬉しい思い出になりました。

        

「2服目は水屋からで失礼します・・・」
結局、2服も美味しく頂戴しました。
その間も12個の茶碗やお道具の詳しいお話が伺えて、夢のようなひと時でした。
特に印象にのこっていることは
武者小路千家・九代好々斎在判(裏千家・九代不見斎の三男)の松絵竹薄器と、
三浦宗巴作(表千家四代江岑宗佐の庶子)の華奢なつくりの茶杓(歌銘あり)。
灯火の元では黒漆のものはなるべく避けた方がベターなこと、
花ではなくセキショウの鉢植または盆石を床の間に荘ること(この日は盆石でした)、
除夜釜では必ず来年の干支のものを一つ荘り、来年への橋渡しをすること・・・。

昼食(懐石弁当)を美味しく完食し、書院に荘られた羊の伏見人形に来年の夢を託してお暇しました。
先生、奥様、水屋の皆さま、除夜釜のおもてなしを ありがとうございました!

             
              除夜鐘を撞く 金戒光明寺にて (昨年の写真です)

「無事是貴人  目出度千秋楽」
 
皆さま、どうぞ佳い年をお迎えくださいませ。
来年も元気にお目にかかりましょう!    
                            


謹賀新年 2015年元旦

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明けまして おめでとうございます


幸多き初春をお迎えのことと お慶び申し上げます


今年1月末で京都暮らしに別れを告げ 横浜へ戻ります

戻りましたら 先ずは 居心地の良い「終の棲家」づくりに取り組む所存です

お茶の世界も新しい展開が待っていそうで 楽しみにしています


京都在中はいろいろお世話になり 誠にありがとうございました

本年も変わらぬお付き合いのほど 宜しくお願い致します

            2015年 元旦   暁庵     


            

追伸)
伏見稲荷へ初詣に出かけました
往きは青空だったのに 稲荷山で雪がチラつきだし 帰りは吹雪のようでした
まだ雪が降り続いています。17時で積雪10センチ位、大雪になりそう・・・。
みなさまの処はいかがでしょうか?     

            


HOLLYWOOD FESTIVAL ORCHESTRA

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                  園児制作の羊の絵馬 吉田神社にて

1月3日、ハリウッド・フェスティバル・オーケストラのニューイヤーコンサートへ行ってきました。
会場は大阪のオリックス劇場です。

ハリウッド・フェスティバル・オーケストラは、1990年アトランタを拠点として結成されました。
映画、テレビ、ブロードウェイミュージカルから幅広いレパートリーを有し、アメリカはもちろんアジアツアーも人気を誇っているとか。
今回が3度目の来日で、1月3日の大阪オリックス劇場をスタートに1月25日まで横浜、岡山、福岡、神戸、札幌など全国各地を回り、「日本ツアー2015」を行います。

                
                     雪の日に  近衛坂から   
           
昨年末、次男から電話があり
「もし行くなら切符を2枚予約しておくけど・・・。
 お馴染の映画音楽だから十分楽しめると思うよ」
「3日なら二人とも大丈夫、よろしくお願いします・・・」と私。

「それ何? 」
きょとんとしている主人に
「息子からの招待なんて、めったにないことだから兎に角喜んで行きましょう!」
やっと重い腰をあげてくれました。

・・・そうそう、ドレスコードがあり
「ニューイヤーコンサートだから、それなりの服装で来てね」
着物で・・・と思っていましたが、京都は2日夕方からまた雪が降り、
積雪10センチを超え、歩道もグチャグチャだったので、洋服にしたのですが・・・。


                雪の日に愛宕山を望む  近衛坂から

ドレッシーな洋服のお出かけはめったにないので、もう苦戦しました。
ホテルで食事の時に着ようと買っておいた黒のパンタロン、
金糸の飾りで一見ゴージャスに見える薄手のセーターにカシミヤ風のカーディガン、
襟に紺のスカーフを巻いて、キラキラ光る大きな首飾りを垂らしました。
一張羅の白いオーバーコートに着物用の毛皮襟巻、
バッグはTYさんからの到来品があり、助かりました。

会場へ着くと、入口でチケットを渡され、颯爽と(?)中へ。
何も言われなかったのでドレスコードはOKだったかな? (ほっ!)
席は2階一番前のど真ん中、とても良い席でした。

久しぶりの生のオーケストラの演奏する懐かしい映画音楽が心に響きます。
イケメンのヴァージル・ルブー(コンサート・マスター)のバイオリンに惹き込まれ、
ビリー・キング(ヴォーカル)の伸びのある歌声にうっとりし、
ラストの「オズの魔法使い」「シャレード」「風と共に去りぬ」の映像を見ながら聞く、
臨場感ある演奏に思わず涙しました。
しあわせな時間に大満足し、しばし立ち去り難い思いでした。    

           
                吉田神社にて (1月2日)
プログラムは
 「第一部」
 ~ジョン・ウイリアムズ(作曲家)の世界~
  1.インディ・ジョーンズのテーマ
  2.E.T。
  3.ハリー・ポッター
 ~ミュージカル映画傑作選2015~
  4.サウンド・オブ・ミュージック・メドレー
  5.オペラ座の怪人
  6.グレン・ミラー物語
  7.レ・ミゼラブル
 ~大ヒット作品より~
  8.ニュー・シネマ・パラダイス
  9.アラビアのロレンス
  10.戦場にかける橋
  11.タイタニック

 「第二部」
 ~ビリー・キング・ヴォーカル作品~
  1.007 ロシアより愛をこめて
  2.スタンド・バイ・ミーのテーマ
  3.ゴッドファーザーより愛のテーマ
  4.慕情
 ~オードリー・ヘップバーン出演作品から~
  5.マイ・フェア・レディ・メドレー
  6.ティファニーで朝食をよりムーンリバー
  7.昼下がりの情事より魅惑のワルツ
 ~懐かしの名曲(映像とともに)~
  8.オズの魔法使い
  9.シャレード
  10.風と共に去りぬ

新春から好い刺激を受け、横浜では生の音楽を楽しみたい・・と思っています。 
                                

2015年乙羊の初釜-1 花箙(はなえびら)

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                  梅の蕾はまだ固けれど・・・(季節の花300提供)

2015年1月5日、乙羊(きのとひつじ)年の初釜へお招き頂きました。
有馬温泉・雅中庵で行われ、三度目の参席ですが、毎年とても楽しみに伺っています。
京都から新大阪へ、そこからバスで有馬温泉へ向かいました。

               
                      

ホテルの喫茶室でTさん、Yさん、Wさんに逢い、ご一緒に雅中庵の点心席へ。
奥様のお接待にて愉しく談笑しながら遅めの昼食を頂きました。

点心席のガラス越しに冬枯れの庭が広がっています。
「あらっ! あれは梅かしら?」
節のある梅の古木が数本植えられていて、枝垂れ梅もありました。
冬の寒さにじっと耐え、春に先駆けて咲く梅・・1ヶ月もすれば蕾もほころぶことでしょう。
ガラスの向こうで一斉に開花している姿を想像し、また来れたら・・と思います。

               
                    雅中庵の庭
 
               
                寒牡丹 (季節の花300提供)

薄茶席へ席入りすると、心地佳いお香の薫りに包まれました。
床には「和敬清寂」(又みょう斎筆 坐忘斎御家元箱)、
利休居士の茶の湯の真髄を示す四規、拝見するといつも背筋が伸びる思いがします。
春牡丹がインパクトのある飴釉・大鶴首(九代長左衛門作)に生けられ、
書院には羊の伏見人形が荘られ、乙羊の初釜を迎える歓びに溢れていました。

               

薄茶席は同門社中の方々が交代に担当していて、今年はさつき会です。
さつき会へはよく見学に伺ったので、Yさんのお点前で頂く薄茶は一入嬉しく、
S先生お心入れのお道具の話をNさんから伺え、これも良き思い出となりました。

青漆、青海波の彫文様が個性的な大棗(近左作)も印象に残っていますが、
特筆したいのは玄々斎手づくりの茶杓です。
茶杓は、生田神社「箙(えびら)の梅」の一枝を以て作られたそうで、十二の内の一つとか。
箙とは、矢を挿しいれて背中に背負う武具で、「箙の梅」には地元神戸の歴史を伝えるエピソードがありました。

       
                      生田神社の「箙(えびら)の梅」

源平盛衰記には、源平一の谷合戦の折、梶原景時・景季父子が生田森で平家方の多勢に囲まれて奮戦した時の様子を次のように記しています。

   中にも景季は、心の剛も人に勝り、数寄にたる道も優なりけり
   咲き乱れたる梅が枝を箙に副へてぞ挿したりける
   かかれば花は散りけれども匂いは袖にぞ残るらん

    吹く風を何いといけむ梅の花
         散り来る時ぞ香はまさりけり

   という古き言までも思い出でければ
   平家の公達は花箙とて優なり、やさしと口々にぞ感じ給いける

また、謡曲「箙」は、梶原景季が箙に梅を挿して奮戦した様子を描いています。


「箙の梅」で作られた茶杓は、武家の出の玄々斎の一面を思わせる、荒々しさが魅力的な豪快な削りです。
舟の櫂のような上部は茶事で拝見したことのある「幾千代」(玄々斎が写す)を思い出しました。
茶杓にまたご縁があったことが嬉しく、風流な銘「花箙」に梅の香りが漂って来るようです。

                                         

             2015年乙羊の初釜-2へつづく

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