Quantcast
Channel: 暁庵の茶事クロスロード
Viewing all articles
Browse latest Browse all 896

野の里の名残りの茶事-3

$
0
0
(つづき)
後座は花所望からはじまりました。
名残りの花を花台に溢れんばかり用意してくださいました。
私は吾亦紅、秋海棠、白杜鵑を手付き籠に生け、
Yさまはヤブミョウガの実と白秋明菊を揖保川焼の花入へ。

いよいよ濃茶です。
古備前の水指の前に荘られている濃茶器が気になっていました。
笹蔓緞子の仕覆が脱がされると、藤村庸軒好の凡鳥棗が現われました。「凄い!」
その形と桐の蒔絵に心惹かれ、あとで棗のことをお伺いできるのが楽しみです。

濃茶はもちろんSさま好みの成瀬松寿苑の「松寿」です。
お茶を掬いだしたとたん、薫りが立ち、よく練られた濃茶を頂戴すると、
香り佳く、ふっくらと丸味のある、甘い濃茶でした。

茶碗は高麗三嶋刷毛目。
ゆがみのある茶碗には2カ所金継があるので名残りに使ったそうですが、
探すとひそやかな美しい金模様でした。
形も三嶋模様も魅力的なのですが、美しい波文を画いている刷毛目に見惚れました。
緑の抹茶が映える茶碗なので、名残りだけではもったいない・・・です。

             

凡鳥棗と茶杓の拝見をお願いして、いろいろな話を伺いました。
凡鳥棗は漆芸工芸士・岩崎祐二氏に写しを特別注文した、思い入れのあるものでした。
甲に金蒔絵で桐、蓋裏に「凡鳥」と朱漆書があり、その字がまた・・・。

凡鳥棗(本歌)は、藤村庸軒好で初代宗哲が作っています。
外は黒の刷毛目塗、東山時代の塗師・羽田五郎が得意としたので五郎塗と呼ばれ、
甲に桐文を金蒔絵、銘は棗の盆付に「凡鳥」と庸軒の朱漆書があります。
せっかくの機会なので凡鳥棗の由来を調べてみました。

元禄7年(1694)の庸軒の漢詩に「鳳凰」があります。
この漢詩は、中国の「世説新語」にある「はるばる親友を訪ねてきたが会えず、
門上に「鳳」字を書いて去った」という話に基づいています。

    鳳凰
   彩羽金毛下世難    高翔千仭可伴鸞
   棲桐食竹亦余事    更識文明天下安

凡鳥とは鳳のことで、鳳の字を二つに分けると凡鳥(平凡な鳥、とるに足らぬ俗人)
というような意味で、「世俗新語」では親友に会えぬ無念さを物語っているとか。
庸軒はストレートに「鳳」とせずに、凡鳥と言って「鳳」を暗示し、
さらに甲の桐の蒔絵で、桐に棲む鳳を暗示しています。

・・・鳳凰の蒔絵がずばり描かれた平棗を愛用していますが、庸軒さんって
シャイだったか、シニカルだったか・・・でも、その捻り味に惹かれます。

             

茶杓は銘「ぶかん(豊干)」足立泰道和尚作です。
豊干は、中国唐代の詩僧で天台山国清寺に住み、寒山拾得を養育した人と伝えら、
虎に乗って僧たちを驚かすという奇行で知られています。

薄茶になり、カスガイのある楽茶碗と案山子絵の茶碗で愉しくお話しながら
2服ずつ頂きました。
棗は拭き漆の武蔵野(司峰作)・・ここで最後の月に出合いました。
茶杓は銘「寅(虎)」、先の茶杓「ぶかん(豊干)」と見事に対を成し、
Sさまの「吾心似秋月」の心意気や庸軒流への深い思いに触れて、
こちらまで熱くなりました。
これからも素敵な茶事を続けてくださいね・・・またきっとご縁がありますように。

姫路駅でYさまと天を仰ぐと、早や満月が欠け始めています。
10月8日、名残りの茶事のその日は十五夜、皆既月食、寒露でした。  
                                   

       野の里の名残りの茶事-2へ      -1へ戻る

  

Viewing all articles
Browse latest Browse all 896

Trending Articles