
・・・やっと蓮華院へ着きました(蓮華院の歴史などはこちらへ)
(つづき)
蓮華院の薄茶席のことをいろいろ書きたいのですが、春草廬(濃茶席)に缶詰状態だったので全く様子がわかりません。
それで、席主のお二人、中野宗等氏と藤田宗厚さんから頂いたメールを掲載します。

「古筆百人一首切」 冷泉為相卿筆・・・蓮華院・本席
おうけなく浮世の民におほふかな
わが立つ杣(そま)にすみぞめの袖
花さそう嵐の庭の雪ならで
ふりゆくものは我が身なりけり
こぬ人をまつほの浦の夕なぎに
やくやもしほの身も焦がれつつ

蓮華院・薄茶席のことを思い出すまま書いてみました。
竹巻煎茶葉盆に花筏の干菓子が運ばれてきます。薄茶席は濃茶席と違って明るい雰囲気です。
6畳の席に7~8名ゆったりと座り、歓談され、たいへん和やかな席になったと思っています。
濃茶席のあの凛と張りつめた小間の雰囲気から、蓮華院の土間待合のほの暗い世界から解き放たれるような茶席になったのでは・・・と。

琵琶床に高麗狂言袴香炉、床に古染付の扇面香合
外では竹林が葉を揺らし、かろうじて残った桜が舞い、日頃の精進をほめるがごとく天気に恵まれました。
そして多くのお客様に接し、お話しし、お茶のご縁をつくづく感じ、感謝した・・・そんな三渓園での茶会でした。 合掌

薄茶席の芦屋釜と煙草盆

宗曉先生へ
先日の「春のクロスロード茶会」蓮華院薄茶席の報告をいたします。
が・・・なんとまだ10日しか立っていないのに
「あ~何とか無事に終わった」と思った途端に記憶が定かではなくなってボ~としています。
でも印象深いことは、本当に皆一丸となって、お客様に美味しい薄茶を差し上げるべく、それぞれの担当することをしっかりやり遂げたことと思われます。
幸い大きなアクシデントもなく、和気藹々と各席が進み、帰って行かれるお客様の顔や話し声も弾んでいたように思いました。
会話を交わす双方に、春の佳き日を賞で合いたいという気持ちが呼応して どのお席も「この時こそが一期一会なんだ・・・」と思いました。

薄暗い待合の土間席で少氏の時間ですがお過ごし頂き、本席に入られた時の床の間や琵琶床の設えに感動される方もいられて、土間席の扉を閉めて良かったです・・・。

点前座の設え
薄茶茶碗の数々もそれぞれに面白味があり、種類が違うのにもかかわらず、何故か不思議な調和が取れていたようです。
社中一同で成し遂げた経験をこれからも活かして、益々茶道に精進して行きたく思いました。

忘備録として濃茶席と薄茶席の会記を記します。
濃茶席(春草蘆)
待合(広間)
床 「灑雪庵」(さいせつあん) 泉奏筆
花 イチハツ 山吹
花入 天平瓦写
敷板 ミャンマー古寺古材
主菓子 銘「さくら前線」(金団) 石井製(旭区都岡)
菓子器 漆器蓋物
本席(春草廬)
床 「點笑」(てんしょう) 清水公照師筆
香合 「一蓮弁」 東大寺大仏殿修復古材 鉄光造
棗 鵬雲斎好 三景棗 幸斎造
釜 霰唐松真形釜 美之助造
炉縁 東大寺二月堂松明竹張
水指 絵唐津 12代中里太郎左衛門(無庵)造
茶入 帖佐焼 銘「翁」
仕服 裂地「シマモール(19世紀、東南アジアの縞)」
主茶碗 黒楽 一入作 藪ノ内流7代桂陰斎銘「不老門」
替 大樋焼飴釉 6代朔太郎作 認得斎銘「松山」
茶杓 後藤瑞巖和尚作銘「無事」
蓋置 古竹
建水 古瀬戸沓形
御茶 坐忘斎家元好「松花の昔」 丸久小山園詰
薄茶席(蓮華院)
待合(土間) 鉄地透かし彫り観音菩薩像
本席(広間)
床 古筆百人一首切 冷泉為相卿筆95、96、97
脇床 高麗狂言袴香炉
花 藤
花入 竹尺八
香合 古染付 扇面
釜 芦屋 甑口 遠山桜菊地文
炉縁 輪島塗 七宝蒔絵 前志芸男造
風炉先 桜金砂金張
棚 淡々斎好在判 丸卓 宗哲造
水指 楼閣城桜花文 葉山有樹造
棗 金地山水大棗 清瀬一光造
茶杓 又玅斎作銘 「寶船」
茶碗 古唐津 玄々斎銘「鳴海」
替 絵唐津 川喜多半泥子作銘「水面」
安南 ほか
蓋置 萩七宝透 13代陶兵衛造
建水 淡々斎好 モール
薄茶 「金輪」 丸久小山園詰
干菓子 「桜」(和三盆)「花筏」(煎餅) 打出庵大黒屋製(中区日ノ出町)
菓子器 鎌倉彫葉盆
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