(富士山がだんだん大きくなりました・・・東名高速にて)
2月28日は〇〇周年の結婚記念日でした。
緊急事態宣言中ではありましたが、静岡へ車で出かけました。
静岡市は私ども夫婦が出会った地であり、どうしても結婚記念日に行きたい・・・と。
その日は快晴、車窓から前に右に後ろに白銀の富士山と追っかけっこをしながら静岡へ1時間半で到着。
(富士川サービスエリアから富士山を臨む)
先ずは浅間神社へコロナ退散と旅の無事をお詣りしました。徒歩で臨済寺へ向かいました。
(浅間神社の花手水・・・コロナ禍で手水を使う人はいませんが)
「おせんげんさん」と静岡市民に親しまれている浅間神社、総漆塗りの極彩色の豪壮華麗な社殿が素晴らしく、お詣りするのがいつも楽しみです。
竹千代(徳川家康の幼名)が元服式を行ったことから徳川氏の崇敬を受け、江戸時代60年の歳月をかけて再建されました。社殿は26棟あるそうで、全てが国の重要文化財に指定されています。
浅間神社に車をおいたまま、徒歩で臨済寺へ向かいました。途中で見える富士山にびっくり!「静岡から見える富士山ってこんなに大きく低かったかしら?」
(山門の仁王像の迫力に圧倒されました・・・)
(静寂な中に読経が聞こえて・・・臨済寺にて)
臨済寺は臨済宗妙心寺派、修行僧の専門道場のため拝観ができませんが、辺りを祓い清めるような読経が聞こえてきました。
竹千代が今川家の人質時代に預けられていた寺で、ここで今川家の軍師でもあった雪斎和尚から薫陶を受けたことが知られています。
本堂に向かう石段の途中に茶筅塚を見つけ、興味深く碑文を読みました。
(茶筅塚の碑文に大先輩の心意気を感じて・・・)
裏千家茶道・名誉師範の岡田宗清さまの米寿を記念しての茶筅塚で、昭和五十六年十一月十五日に建立とありました。もちろん、お会いしたことはありませんが、「七十有余年振り続けた茶筅の霊を供養するためとあり・・・」なにか、岡田さまの茶道を追求した万感の想いが心に迫ってきました。
(・・・ここまで書いて中断していたら電話があり、今日庵へ伺う用事ができました。急なことだったので驚きながらも、何かとても不思議です・・・岡田大先輩のお導きでしょうか?)
(臨済寺近くにあった今川義元公の墳墓)
丁度昼時になり、臨済寺入り口にある手打ち蕎麦屋「無」にて天せいろを食べました。手打ち蕎麦という看板を見ると入りたくなり、困っています。中に入ると、とてもステキな雰囲気のお店で、お味も良くお勧めです。
(蕎麦ちょこを染めた暖簾・・・「無」にて)
浅間神社に戻り、日本平へ向かいました。
日本平ではロープウェイに乗り、久能山東照宮をお詣りしました。
昔、静岡にいる頃だったら1159段(いちいちご苦労さん)の石段を駆け登ったことでしょうが、最初から諦めてロープウェイです。疲れて痛み出した左膝をかばいながら、それでも石段を登らないと本殿にたどり着けません。
ロープウエイから海や伊豆半島が望めます。海岸添いに並ぶ石垣イチゴのハウスが夕陽に輝いていて、明日のイチゴ狩りが楽しみです。
(久能山東照宮拝殿の正面にある「司馬温公の甕割り」の彫刻
その日は日本平観光ホテルで1泊しました。(つづく)