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七事式の偈頌と5月人形

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今日は5月5日、端午の節句、こどもの日です。

5月から風炉に変わり五葉会(七事式の勉強会)花ゆう会(花月を中心とする勉強会)が新年度に入りました。
それぞれ新しいメンバーが入られて、爽やかな新風を届けてくれそうです。
心新たに七事式や花月の稽古を積みあげていけたら・・・と思っています。

そんな気持ちもあって、床に七事式の偈頌と五月人形を飾りました。
五月人形は、名将が出陣の際に身に着けるとされる、武の七つ道具「弓・矢・刀・剣・甲・冑・戈(ほこ)」を意識して飾ってみました。(思うことは毎年同じで?、前にも似たようなことが書いてありました(トホホ・・・



(さて・・・勉強だから気を取り直して続けます)
江戸時代の中期、表千家七代・如心斎天然宗左と弟の裏千家八代・又玄斎一燈によって七事式が創定されました。
「七事式」の基本の精神や成り立ちを何度か読んでいるものの難解でして、これを理解し身に着けることは大変難しいのですが、七事式を修練する者として少しでも理解を深めるためにここに記します。

「七事」という言葉にはいろいろ深い意味があるそうです。

七事とは七大事ともいい、中国の周礼(周礼(しゅらい)は、儒家が重視する経書で十三経の一つ、『儀礼』『礼記』と共に三礼の一つ)に国を治めることの要諦を7つ教えています。
即ち、祭祀、朝観、会同、賓客、軍旅、田役、喪荒の大事をいい、これを司る人を七事者といいます。



禅では、禅の修行の基本理念として「七事随身」の教えがあります。
「碧巖録」(正しくは「仏果圓悟禅師碧巖集」)の注釈書に、大智和尚の撰述した「種電抄」12巻があり、その第2巻の「碧巖録」第15則につぎの語句が書かれ、詳細な注釈があるそうです。

具七事随身可以同生同死
(七事を具して身に随えて、以て同生同死すべし)

大智和尚による注釈を要約すると、禅の七事には内ノ七事と、外の七事の2種があり、
内の七事は、禅の修行における精神面の大事を次のように伝えています。
1.大機大用(たいきたいゆう)
2.機瓣迅速(きべんじんそく)
3.語句妙霊(ごくみょうれい)
4.殺活機鋒(さっかつきほう)
5.博学広覧(はくがくこうらん)
6.鍳覚不昧(かんかくふまい)
7.隠顕自在(おんけんじざい)

外の七事とは、禅の修行に必要な調度や用具などの七つ道具です。
1.拄杖(しゅじょう)
2.拂子(ほっす)
3.禅板(ぜんぱん)
4.几案(きあん)
5.如意(にょい)
6.竹箆(しっぺい)
7.木蛇(もくだ)

(正直・・・外の七事の七つ道具ですら禅板・几案などようわからん・・・です。
 またまた、気を取り直して続けます)

茶道の「七事式」の創定には、以上の「七事」の教えが基本にあり、特に「七事随身」の精神が基本精神になっていると理解しております。
また、当時の大徳寺・玉林寺の住職・大龍宗丈禅師と、その法嗣で一燈・如心斎の参禅の師であった無学宗衍和尚の助力があり、川上不白、多田宗菊、速水宗達、中村宗哲ら多くの方々が協力して確立されたそうです。

茶道における七事式とは、花月(かげつ)、且座(しゃざ)、廻り炭、茶カブキ、一二三、員茶(かずちゃ)の七つの式です。
無学宗衍和尚がそれらの一つ一つに偈頌をつけられました。(この偈頌が素晴らしい!ですが、またの機会に・・・)

大型連休中ですが、5月1日から七事式の偈頌が書かれた御軸の下で、風炉の初炭、薄茶、濃茶、後炭など基本点前から稽古に精出しています。






      暁庵の裏千家茶道教室   前へ    次へ   トップへ


大型連休の或る日・・・横浜美術館へ

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   横浜美術館  1989年11月3日に開館しました


横浜美術館(横浜市西区みなとみらい3-4-1)が開館して30周年になるそうです。
大型連休中の或る日、、「meet the collection -アートと人と、美術館」展へ出かけました。

最初に出合ったのは、2階正面の「特集:宮川香山」。
「高浮彫(たかうきぼり)」と呼ばれる、ちょっとたじろぐような特異的な真葛焼の大作が展示されていました。


  初代宮川香山  高浮彫桜ニ群鳩大花瓶  明治前期  陶器一対

初代宮川香山は明治3年(1870年)、29歳の時に京都から横浜に移り、輸出向けの陶磁器を作る工房・真葛窯を開きました。
香山は「高浮彫(たかうきぼり)」と呼ばれる新しい技法を生み出します。
これは金で表面を盛り上げる薩摩焼の技法を、金のかわりに精密な彫刻を掘り込むことで、薩摩焼の技法に変わる新しい表現方法を確立しました。
明治9年(1876年)、35歳の時に高浮彫で作られた真葛焼はフィラデルフィア万国博覧会に出品されると絶賛を博し、真葛焼と宮川香山の名を世界に知らしめました。


  初代宮川香山  高浮彫大鷲雀捕獲花瓶  明治前期  陶器一対


      横浜美術館の内部

「あっ!これいいな」「なんとなく気になる絵」「惹きつけられる絵」「不思議な絵」「作品のある空間が作品みたい」「素材が面白い!」などと、自分と語り合いながら写真を記念に撮ってきました。
そんな絵(アート)をいくつかご紹介します。




  山村耕花  「謡曲幻想 隅田川・田村」  1930年 紙本着色
 (上と下は四曲屏風一双になっています)(能が好きなので能画が気になります)



  小倉遊亀  「良夜」  1957年  紙本着色



 浅井裕介 「いのちの木」  2019年  土、ペンキ、アクリルレジン、水、板


  「いのちの木」の制作中  ホール1階にて


  ダナ・ザメチニコヴァ  「小サーカス」  1988年  ガラス
(見ていたら「あっ!これ好きかも・・・」と夢の中のような空間に惹きつけられた作品)



パブロ・ピカソ  「肘掛椅子で眠る女」  1927年  油彩、カンヴァス
(3点並ぶピカソ作品の内のお気に入り・・・平和な微睡がほほえましい一枚)



 桂 ゆき 「はだかの王様」  1969年   油彩、小石、紙、板
 (まなざしの交差・・・ウン?まなざしのクロスロード?と題したテーマの一枚。
  不思議な感覚に捉えられて絵から離れられない。はだかの王様を見詰める多くのまなざし。
  王様の落ち着かない挙動が胸をえぐる・・・)


     鑑賞風景

    サルバドール・ダリ   1942年   テンペラ、カンヴァス
    ヘレン・ルビンシュタインのための装飾壁画
    幻想的風景・・・暁、英雄的正午、夕べ



2階廊下に設置された望遠鏡から作品を覗くと、3つの小さな鉄塔のような物が見える
(作品の見せ方に魅せられる・・・下の写真で作品を探してみてね)


  岩崎貴宏 「アウト・オブ・ディスオーダー(夜ノ森線)」 2011年  髪の毛、ホコリ、望遠鏡
  (ベネッセハウス・ミュージアムで見た「雑草」(須田悦弘)を思い出した)

他にも紹介したい作品がいっぱいありますが、これにて・・・。
ご自身の目と感性で楽しみながら、「meet the collection -アートと人と、美術館」展でお気に入りを探してみてください。
2019年4月13日~6月23日まで横浜美術館で開催中です。       

四国遍路の支度中です

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2009年4月のこと、右足の甲のアクシデントのため途中で引き返した四国遍路
あれから早や10年の年月が過ぎました。
その間、もう一度四国遍路へ挑戦しよう!という気になりませんでした。
次々と目の前にしなくてはならないこと、どうしてもやりたいこと、熱中したいことがあったからです。

・・・今年に入ってから何かしきりと誘われるものがありました。
「再び遍路へ行こう!」と言う気になったのは、一つは歳のせいだと思います。
「今やらなくていつやるの? 行きたいのなら、今行くしかない」と誰かが耳元でささやきます。
それでツレと話し合って、二人で車で廻ることにしました。両親の墓参りを兼ねて約2週間の予定です。




「二人で車で廻る」・・・これは最大の難しいテーマかもしれません。
先ず、車という閉鎖的な場所に長時間一緒にいなくてはなりません。
運転を交代し、お互いの疲れや気持ちを気遣いながら四国の札所を一周するのですから、相当の覚悟が必要かもしれません・・・。
でも今はあんまり深く考えないで、喧嘩だけは最小限度にして四国遍路を楽しみながら達成したと考えています。


 我が家近くの「遍路道」と名づけた散歩道にて

5月に入ってから、道路地図、遍路関係の本やインターネット情報をテーブルに広げ、シュミレーションを楽しんでいます。
前は歩いて廻ったので、車遍路は距離感や時間間隔が実体験と合わず、机上のお遍路もなかなか大変です。

歩き遍路の時は名所旧跡があっても素通りが多かったので、後悔の無いようにその時寄りたかった所に優先的に寄ることにしました。
今の所、番外二十札所、ツレは龍ヶ洞(高知県)、私は安芸の野良時計、丸亀城(香川県)かしら・・・・。

もう一つ、松山在住のSさんが手を差し伸べてくださって、途中でお会いすることになっています。
石手寺か太山寺で一緒にお献茶をするか、または施茶と言って、お詣りに来る方に薄茶を点てて飲んで頂くか、まだ決まっていませんが、Sさん宅で薄茶一服の御接待もしてくださるとのことで今回一番の楽しみです。


     我が家近くの「遍路道」と名づけた散歩道にて

前回の四国遍路で心残りの一つに、女の一人旅でもあり野宿ができなかったことがありました。
今回は車なので、途中何度か車中泊をすることにし、どこで泊るかはそこへ行ってから決めることにしています。
車窓用のかわいい(?)カーテンを縫ったり、寝袋や敷き布団を干したり、遍路用品や持ち物を点検したりしていると、早や心は四国の緑あふれる遍路道にいます。

お大師様に身を任せて、御心のままに何かを体験し、何かを体得できたら・・と思います。  合掌


原三溪の美術ー伝説の大コレクション-展が横浜へやってきます

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    国宝「孔雀明王像」  東京国立博物館蔵


   横浜美術館開館30周年記念 生誕150年・没後80年記念 
   原三溪の美術 伝説の大コレクション

   会期 2019年7月13日(土)~9月1日(日)
   主催・会場  横浜美術館 
(横浜市西区みなとみらい3丁目4番1号  TEL:045-221-0300(代表) アクセス


今年(2019年)は、横浜三溪園の創始者である原三溪翁の生誕150年・没後80年になるそうです。
そんな折に三溪園・春のクロスロード茶会を三溪翁ゆかりの春草廬と蓮華院で開催できましたことに、勝手ながら何とも言えないご縁と喜びを感じております。
この度、敬愛する原三渓翁が蒐集した幻の至宝「伝説の大コレクション」が横浜に里帰りするそうで、鶴首の思いで待っているところです。


   国宝「孔雀明王像」(部分)

ずっ~と憧れ、拝見したかった国宝「孔雀明王像」(平安時代後期(12世紀)東京国立博物館蔵、展示期間:2019年7月13日(土)~8月7日(水))がやってきます!
それから、国宝「寝覚物語絵巻(部分)」(平安時代後期(12世紀)大和文華館蔵、展示期間:8月9日(金)〜9月1日(日))、
重要文化財 下村観山「弱法師」(よろぼし)(大正4(1915)年、絹本金地着色・六曲一双 東京国立博物館蔵 展示期間:2019年8月9日(金)~9月1日(日))も横浜へ里帰りします。
他にも三溪翁が茶会などに使った茶道具もたくさん展示されるそうで、どんな茶会が三溪園で繰り広げられたことか・・・と興味津々です。
「志野茶碗 銘 梅が香」 (桃山時代(16世紀末~17世紀初期)五島美術館蔵 展示期間:2019年7月13日(土)~8月7日(水))


 重要文化財 下村観山「弱法師」 六曲一双の部分 東京国立博物館蔵


展覧会概要(HPより抜粋)は以下の通りですが、詳しくはこちらをご覧ください。https://yokohama.art.museum/exhibition/index/20190713-538.html

原三溪(はら・さんけい)は、横浜において生糸貿易や製糸業などで財をなした実業家です。
明治初年に生まれ、昭和戦前期にいたる近代日本の黎明・発展期に経済界を牽引しました。

一方で三溪は、独自の歴史観にもとづき古美術品を精力的に収集したコレクターであり、
自由闊達(かったつ)な茶の境地を拓いた数寄者(すきしゃ)、
古建築を移築して三溪園を作庭・無料公開して自らも書画・漢詩をよくしたアーティスト、
そして、同時代の有望な美術家を積極的に支援し育んだパトロンでもありました。
三溪のこうした文化的な営みは、財界人としての活動や人的交流、社会貢献活動家(フィランソロピスト)としての無私の精神にもとづきつつ、近代日本における美術界・美術市場の確立の過程と軌を一にしながら展開したと言えるでしょう。

本展は、原三溪の四つの側面、すなわち「コレクター」「茶人」「アーティスト」「パトロン」としての業績に焦点を当てます。
それらの相互関連を時代背景も視野に入れて探りながら、今日、国宝や重要文化財に指定される名品30件以上を含む三溪旧蔵の美術品や茶道具約150件と、関連資料を展観することによって、原三溪の文化人としての全体像を描きだします。
三溪自身も一堂に観ることが適わなかった旧蔵の名品を、過去最大規模で展観する貴重な機会となります。


     横浜美術館にて

関連イベントも盛りだくさんで、忘れぬよう書いておきます。予約が必要なイベントもあるようですのでご確認ください。
詳しくはhttps://yokohama.art.museum/exhibition/index/20190713-538.html

          

○ レクチャーと鼎談「三溪の古美術収集と美術家支援 ―三溪資料研究の現在(いま)」
  2019年7月20日(土)14時~16時(13時30分開場)
  講師  清水緑(渋谷区立松壽美術館学芸員、元三溪園学芸員)
      三上美和(京都造形芸術大学准教授、『原三溪と日本近代美術』著者)
  聞き手 内山淳子(横浜美術館主任学芸員)

○ 講演会「三溪の茶と美」(原三溪展)
  2019年7月21日(日)14時~15時30分(13時30分開場)
  講師 千宗屋(武者小路千家家元後嗣、美術史家)

○ 学芸員によるギャラリートーク(原三溪展)
  2019年7月26日(金)、8月16日(金):18時30分~19時
  2019年8月12日(月・休)、8月17日(土):14時~14時30分

○ 抹茶茶碗創作 志野と黒織部にせまる   瀬戸 毅己(陶芸家)
  2019年8月3日(土)、4日(日)、18日(日)、9月1日(日)【全4回】
  申込締切 2019年7月16日(火)

○ 日本画の材料と技法にふれる   藤井 聡子(日本画家)
  2019年8月24日(土)【全1回】
  申込締切 2019年7月29日(月)


しばらくお休みします

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      緑陰の憩いのひと時・・・・ミナトミライにて


脊椎調整術マッサージ(気功?)の治療院へ通っています

一昨年(2017年)11月21日、ちょうど2度目の口切の茶事の前でした。
右膝を故障して以来、左膝、右膝、腰、左腕など次々と痛みが出たり引っ込んだりで、ずっ~と整形外科に通院しています。
主な治療はリハビリです。
リハビリは2種類まで健康保険がきくので、一つは腰の暖めと牽引、もう一つは暖めと低周波(?)をあてていました。
痛みがひどい時はロキソニン湿布薬(鎮痛・消炎)を貼る、またはロキソニン錠剤を飲むという対症療法です。
治療の一つとして手術があるそうですが、そこまでする勇気はありません・・・。

半ば歳のせい・・・とあきらめ、それでも治したい一心でリハビリに通っていました。



今年1月になって、右足側の臀部から腿、足先に掛けて痺れを伴うような激痛が走るようになり、一時は歩くのも大変でした。
病名は坐骨神経痛だそうです。
「このまま整形外科へ通っていても良くなるのかしら?」ふと不安が走ります。
歳のせいなんかにしないで、もっと根本的な治療がないのだろうか?
4月13日に三溪園で茶会をすることが決まっており、既に準備もスタートしていました。
「茶会までにもっともっと良くなっていたい!」
「腰や膝のことをいつも気にしながら行動するのはいや!」

そんな折、知人の紹介で横浜市港南区の「にしおか治療院」へ1月末から通ってみることにしました。
先ずは問診、痛みの部分、どのような症状か、ささいなことでも気になっていることを全てお話ししました。
「こんなにたくさん痛い所や気になる症状があって驚いたでしょう・・・」
と申しましたら、先生は笑いながら
「いいえ、まだ少ない方ですよ」



気功による治療のことは以前から聞いていましたが、正直、半信半疑でした。
でも先生に治療して頂くと、確実に痛みが和らぎ、楽になるのです。
先生を信頼して通い続けています。
自覚としては、少しずつですが確実に良くなっています。
痛みやしびれの緩和もありますが、脊椎調整術マッサージ(気功?)と言って背骨の歪みなどを徐々に治しながら、身体全体の調和を取り戻していく・・・といったイメージでしょうか。
茶会前に念入りに治療して頂いたせいか、「春のクロスロード茶会」が無事に終わり、疲れたけれど最後まできちんと動けた自分を褒めてあげています。



サルバドール・ダリ  薔薇の頭の女性  鋳造1980-81 
(素敵な薔薇の頭だけれど、重そうで私みたいに疲れて見えました・・・横浜美術館にて)

茶会後の打ち上げ会も楽しく終了しました。
心身のメンテナンスが必要みたいなので、しばし休憩をとることにしました。
今、ツレと車で四国八十八ヶ所の遍路へ出かけています。  

ブログはしばらくお休みいたします。
また、元気にお会いできますように・・・  


車で四国遍路・・・初日

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令和元年(2019年)5月19日から6月3日まで16日間、車で四国遍路へ行って来ました。

暁庵にとって3回目の四国遍路です。
1回目は15年ほど前のこと、歩きの独り遍路で約3年かけて3回に区切って廻りました。
2回目は「歩きの独り遍路に再挑戦したい・・・」と張り切って出かけたのですが、第23番薬王寺で足を痛め、すごすご引き返しました。
それから10年が経ち、3回目の四国遍路へ出掛けました。今回は独りではなくツレと一緒(ツレも7年前に独り遍路に行っています)、歩きではなく車で・・・かなり変化しました。
年齢に伴う腰痛や膝痛の持病もあり、これも仕方が無いことと受け止め、今度はどんな遍路になるのかしら?・・・と新しい体験に胸を膨らませて出かけたのでした。

車で四国遍路を考えている方の参考になればと思い、15日間の行程を記しながら、今でも心の中にくすぶっていること、胸からあふれ出てくる思いを書いておきたい・・・と書き始めました。
先は長くなりそうですが、よろしかったらお付き合いください。


     第1番霊山寺(りょうぜんじ)の山門

5月19日(日、初日)
6時に横浜を車で出発。
東名、新東名、名神、神戸阪神、淡路島、徳島道の高速道路を走り、15時頃に第1番札所・霊山寺(りょうぜんじ)に無事到着しました。
途中の休憩(4回かな?)を含め約9時間掛かりましたが、運転を2時間くらい交代しただけでツレが大奮闘してくれました。(たぶん、私の運転に不安があったのでは・・・)

霊山寺の売店で足りない遍路用品を買いそろえました。
白衣、輪袈裟、金剛杖、菅傘、頭陀袋は前回使用の物を使い、蝋燭、線香、ライターは持参、経本の「仏前勤行次第」、納札、忘れた数珠を新しく購入しました。
今回は納経帖はやめて、前回(2回目)薬王寺まで印判を頂いた笈つる(経帷子)を完成させたいと持参しました。

二人で話し合ってお詣りの仕方を一応決めました。
前回は札所で献茶をしましたが、今回は献茶はなしです。それでも何処かで誰かにお茶を差し上げられたら・・・と茶箱を持って行きました。
①山門(入口)で礼拝  ②手水場で心身を浄める  ③鐘を衝く(あったら、衝けたら) ④本堂(蝋燭、線香、納札、賽銭、読経) ⑤大師堂(④と同じ) ⑥納経所に寄り、印判(第23番札所から)を押して頂く。

読経ですが、経本にはいろいろなお経(懺悔文、三帰など)が載っていましたが、かなり省略して次のようにしました。
先ず最初に「開経偈(かいきょうげ)」を唱えます。
「開経偈」は、「これから読経を始めます。仏教の教えに今ここで会うことができました」という意味だそうです。
次に「般若心経」を唱和します。この「般若心経」についてはあとでまた書きたいと思っています。

三番目にご本尊真言を三返唱和します・・・各札所のご本尊の真言を唱えて、「私を悟りの世界にお導き下さい」とお願いします。真言はサンスクリット語なので全く意味不明ですが、神秘的な仏の世界へ導いてくれる摩訶不思議な呪文のような詩のような・・・ご本尊によって違うのも訳がわからないなりに魅せられました。
四番目は光明真言を三返唱和。これを唱えることで全ての罪状が消滅するそうで、有難いことです。
  おん あぼきゃ べいろしゃのう 
  まかぼだら まに はんどま
  じんばら はらばりたや うん
五番目は御宝号「南無大師遍照金剛」を三返唱和する。
最後に回向文(えこうもん)を一返唱和する。仏道成就を願う言葉で、仏の心に目覚めることを祈願する経文です。

そうそう、お賽銭の用意をお忘れなく。
1つの札所で本堂と大師堂に納札とお賽銭を奉納するので、小銭が沢山いるのです。
二人なので5円玉を一札所4個とし、88ヶ所+別格20ヶ所で計108ヶ所、全部で450個くらいを持って行きました。
札所にはお賽銭を入れたくなる神仏が沢山おわしますので、最後には足らなくなり10円玉をかき集めました。


         第2番極楽寺の山門


極楽寺にある「弘法大師お手植えの長命杉」(樹齢1200年余)

5月19日の徳島地方の天気予報では夕方から明日にかけて雨の予報が出ていました。
出来るだけ19日の内にお詣りしておきたいと、2番極楽寺、3番金泉寺まで済ませ、今宵の宿をお願いしている第7番札所十楽寺へ向かいました。


第3番金泉寺(こんせんじ)の黄金の井戸
(水不足に苦しむ村人のため弘法大師が掘ったと言う伝説がある)


井戸の水面に自分の姿が映ると長生きできるとか・・・

十楽寺で般若心経を唱えているとポツリと雨が落ちてきて、ぎりぎりセーフで初日が終わりました。
十楽寺の中国風山門の横に石づくりのテーブルと腰掛が置かれた休憩所があり、見る見る雨に濡れていきました。
それを見た途端、胸キュンになりました。
10年前の4月、ここで石井町の渡辺さんにお会いし、茶箱の雪点前で薄茶一服差し上げたことが昨日のことのように蘇ってきたのでした。


第7番十楽寺の山門(鐘楼門?)


胸キュンの休憩所・・・石のテーブルと腰掛が雨に濡れて(翌朝撮影)      

十楽寺本堂と大師堂でお詣りを済ませてからチェックインすると、予想に反してモダンな宿坊(エレベーター付き、バス・トイレ付のツインの洋室、椅子席の食堂)でちょっとびっくり! 
エレベーターは有難く、洋室の方が膝には良いかもしれないと、お大師様の思し召しに感謝でした。


第一日目 横浜自宅(6時出発)~第1番霊山寺(15時着)~第2番極楽寺~第3番金泉寺~第7番十楽寺(17時前着、十楽寺宿坊泊)


       車で四国遍路    次へつづく     前へ戻る

車で四国遍路・・・別格1番大山寺へ

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     第7番十楽寺に祀られている愛染明王

5月20日(月、2日目)
雨は上がったもののどんよりとした曇り空、早朝6時半から本堂で朝のお勤めがあり、喜んで参加した。
十楽寺は開基が弘法大師、生老病死などの8つの苦しみを除き、極楽浄土の10の楽しみを得るように・・・と名づけられたという。
本堂に祀られたご本尊は阿弥陀如来さま、ご真言は「おん あみりた ていせい から うん」。
ご住職が小声でご真言を唱えながら蝋燭に火を点けて行き、朝の勤行が始まった。
お経が終わると一人ずつ焼香をさせて頂いた。
その後、ご住職から十楽寺に祀られている仏様たちのお話があり、興味深く伺った。

中でも中国風の山門の楼上に愛染明王さまが祀られており、特別なお詣りの仕方を教えて頂く。
良縁を願う人は左扉から、縁を断ち切りたい人は右扉から入るそうだ。
よくばりにも両方お願いしたいので、ご住職にお尋ねすると、
「両方の方は、先ず左扉から入って拝んでから右へ出る。再び右扉から入って拝んで左扉から出ればよろしいです」
縁結びと縁切りの両方を愛染明王さまへお願いしてまいりました・・・。




朝、雨が上がっているうちにと、最初に大山山麓にある別格1番大山寺(だいせんじ)を目指しました。
別格霊場とは、弘法大師(空海)が四国の山野を駆け巡って修業中、四国八十八ヶ所霊場(札所)の他にも沢山の足跡が残されていて、中でも厚い仏縁で生まれたのが四国別格二十霊場、番外札所とも呼ばれています。
別格霊場は山中奥深き場所にあることも多く、八十八ヶ所を歩くのに精一杯だった吾が身には遥か遠い存在で、それ故に強く憧れていたのでした。


     別格1番大山寺の山門(靄の晴れた帰りに撮影)

大山寺への山道は途中から急に狭くなり、登るにつれて霧なのか白雲なのか、見通しが悪く、助手席の私から見ると「あっ!路肩から落ちるぅ・・・」と何度も悲鳴を上げ、手に汗しました。
怖い山道をしばらく登ると、靄の中に山門のような建物が幽かに見えたので車を停めました。




     山門の仁王像に惹きつけられ、圧倒されました

屋根が今にも崩れ落ちそうな古びた山門が別世界の入口でした。

山門も凄い迫力ですが、仁王像2体に惹きつけられ、圧倒されました。
丹色が剥げ落ち、素地を剥きだしにし、威圧的な力をみなぎらせて迫ってきます。
「何故この寺に参ったのか?」と厳しく心中を問われるようでした。
一礼して山門をくぐると、今度は白い靄の中に石の狭い階段が天上へ伸びていて、先が見えません。

なんか、ゾクゾクしてきました。
白い靄の中に現われた山門、折からの小雨、雨に濡れたおどろおどろの長い石段、深緑の木々・・・番外霊場・別格第1番大山寺になんてぴったりなアプローチなのだろう・・・!
金剛杖(お大師様)にすがり、この情景に秘かに歓声を上げながらゆっくり石段を登って行きました。


         見上げる先はまだまだ・・・

         途中で一休み

         こちらは中門です

登り切ると、傘の様に枝を広げた大銀杏があり、樹下に手洗い場がありました。
晴れていたらどんな景色がここから見られるのでしょうか、全て白い靄に包まれています。
ご本尊は弘法大師が唐の恵果和尚から授かったという千手観世音菩薩。
四国三十六不動霊場の第1番で、弘法大師が自ら彫ったという波切不動尊が祀られています。
本堂と大師堂でお詣りを済ませた所へ、別格15番箸蔵寺近くに住むという老夫婦が登って来て、念珠のことを教えてもらう。
別格参拝記念の念珠玉を集めるのが人気とのことで、早速、大山寺の念珠玉とお守りのストラップを購入しました。



帰りの山道のこと、ナビが指示する道と違っているのに気が付き、あわてて引き返そうとしていると、突然山道に赤い郵便配達車が現われたのです。
これはお大師様のお導きに違いないと、急いでその後を追いかけ、無事に家が点在する場所まで戻ることが出来ました。
錯覚でも思い違いでもよし!・・・嬉しいことでした。


第2日目行程
別格1番大山寺~第4番大日寺~第5番地蔵寺(奥の院の羅漢堂へ行く途中に句碑あり、岡田製糖所へ寄り、施茶用の霰糖(和三盆)を購入)~第6番安楽寺~第8番熊谷寺~第9番法輪寺~第10番切幡寺(333段の長い階段)~第11番藤井寺(茉莉花 (まつりか)の香り)~別格2番童学寺(可愛らしくモダンな山門(江戸期建立)が特徴的、大師堂には稚児大師が祀られている。平成29年の火事で本堂焼失。再建を願い、ささやかな寄付をする)~神山温泉・ホテル四季の里(泊)


     別格2番童学寺(こちらの大師堂には稚児大師が祀られている)


     神山温泉・ホテル四季の里にて

この日は神山温泉の道の駅で車中泊の予定でした。
車中泊が初めてなのに雨天では無理とのツレの判断で、急遽神山温泉・ホテル四季の里に宿泊(素泊まり1人7,040円のバス・トイレ付の和室)することに変更です。
ホテルに着く頃に雨が激しくなり、大正解でした。
温泉が素晴らしく、夜はジャグジー付きのホテル付属の温泉施設、朝は館内の宿泊者専用大浴場で、2度も温泉に浸かり、長時間車に揺れた旅の疲れを癒しました。
素泊まりなので夕食は館内のレストランで、けっこうボリュームがあったのですが、予算(一人千円)以内ですみました、朝食は持参のコーヒーと途中で買ったパンとヨーグルトです。
「よしよし、遍路は質素倹約を旨とすべし」・・・どこかでお大師様の声が聞こえてきますが、まだまだですね。


      車で四国遍路    次へつづく    前へ戻る

車で四国遍路・・(3)焼山寺と慈眼寺

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     第12番焼山寺(しょうざんじ)の山門


5月21日(火) 雨が上がり青空が広がっています。
8時にホテル四季の里を出発し、遍路ころがしの第12番焼山寺(しょうざんじ)を車で目指しました。
途中、焼山寺から下りてくる車にも合わずに順調に山道を進みましたが、1つだけびっくり!することが・・・。
ナビの指示通りに走っていたら
「本当にこれが焼山寺への道なの? 人も車も長らく通っていない廃道みたいだけれど・・・」
その後も狭く急峻な山道をたくさん通ったけれど、この廃道は一番ひどい経験でした。
それからは愛車のナビが今一つ信用できず、最新のナビを入れておくべきだったと後悔しきりです。





広い駐車場から見覚えのある焼山寺参道を進むと、大師像が傍らにたたずむ山門が聳えています。
山門をくぐると、樹齢500年を超えるという杉の大木の参道が続き、清冽な霊気がみなぎるお気に入りの札所です。
本堂のご本尊は虚空蔵菩薩、
虚空蔵菩薩のご真言は初めてで、しかも超難しく、二人ともしどろもどろで3返唱えました(あまりのしどろもどろさについ笑ってしまい、どうぞお許しを・・・)
   のうぼう あきゃしゃ きゃらばや
   おん ありきゃ まりぼり そわか

焼山寺大師堂ではお大師様がライトアップされていて、これはこれで素晴らしく親しみを覚えます。
読経を終えたらすぐに立ち去るのではなく、弘法大師像(もちろんご本尊も)を拝見するように心がけましたが、そのお姿は札所によってさまざまでした。

参拝者近くに大師像(またはご本尊)を祀っているところ、厨子の奥深くお姿が暗くてよく見えないところ、厨子の扉が固く閉ざされているところ、拝顔どころか階段から堂上へ上がらせない札所もありました。
印象に残っているのは、内陣近くで読経できる札所、読経用の椅子が用意されている札所、ライトアップしている札所、大師像は見えにくかったけれど、天井から釣り下げられた灯籠の灯りが美しく幻想的な札所・・・などなど。

大師像も若き日の御姿を髣髴させるもの、悟りを開いた後の落ち着いた御姿など、いろいろありました。
20日(2日目)の最後に訪れた別格2番童学寺の大師堂には稚児大師(子供の姿のお大師様)が祀られています。
童学寺という寺号は、弘法大師が幼少の頃、こちらで学問修業に励んだ故事に由来しているとか。



 弘法大師が水行を行ったと伝わる「灌頂ヶ滝(旭の滝とも)」

3日目の最後に訪れた別格3番慈眼寺(じげんじ)のことを書いておきます。
山道に入り、しばらく進むと素晴らしい滝に出合いました。
「灌頂ヶ滝(旭の滝とも)」といい、弘法大師がこの滝で水行を行ったことからその名がついたと伝わっています。
直下70mの雄大な滝は見ているだけで身に付いたこの世の垢が洗い流されるようでした。
晴天時の8時から10時頃に滝の飛沫が五色の虹に彩られ、「不動の来迎」と崇められているそうです。

15時30分頃に慈眼寺に到着。
鐘を突いてから本堂(?)にお詣りすると、「こちらは大師堂で、本堂は20分ほど階段のある参道を登ったところです」と寺の方が教えてくれました。
「穴禅定へ行きたいのですが・・・」と尋ねると、
「穴禅定へは15時過ぎているので今日はご案内できません」

穴禅定についてよくわからなかったのでいろいろお尋ねしてみました。
弘法大師19歳の時、修行中に夢のお告げにより不思議な鍾乳洞を発見した。
弘法大師は洞窟の邪気を払うため護摩をたいて洞窟を清め、悪魔悪霊を洞窟の壁に封じ込め、末代衆生のため結縁潅頂の秘法を修せられたそうです。この洞窟の行場が穴禅定でした。

本坊で着替えてから案内の導師と一緒に心身を清めてから穴禅定(鍾乳洞)という行場へ入る習わしになっています。
僅か100メートルの洞窟ですが、案内の導師の言われるとおりにしないと進退窮するそうで、素直な自分(心)を取り戻す御利益があるそうです。
穴禅定を無事に御参りできると、他にも無病息災、金運、開運などの御利益がいただけるとのことでした。



     20分登り、慈眼寺本堂へ辿り着きました

本堂まで約20分かけて登り、お詣りしました。
急階段の参道には楓が数多く植えられていて、秋の紅葉の美しさを想像しました。
ご本尊は十一面観世音菩薩。
本堂近くに怖いような霊気を感じる岩屋の行場(水行を行う)がありました。
岩屋の上方に穴禅定の入口があり、それなりの修業の覚悟を持つ行者がお詣りするところだと思い至り、すごすごと退散したのでした。

初めて車中泊をする道の駅「ひなの里かつうら」へ向かいました。


       岩屋の行場(水行を行う)


穴禅定(洞窟の行場)の入口

第3日目行程
第12番焼山寺~第13番大日寺~第14番常楽寺(池の畔の参道が懐かしく、自然の岩盤を生かした「流水岩の庭園」にまた出会えました)~第15番国分寺~第16番観音寺~第17番井戸寺(面影の井戸に我が身を映しました)~第18番恩山寺(古い札所の雰囲気があり、大好きな寺です)~第19番立江寺(前回、尺八さんと再会した寺)~別格3番慈眼寺~車中泊(道の駅「ひなの里かつうら」泊)

  
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車で四国遍路・・・(4)初めての車中泊

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初めての車中泊は道の駅「ひなの里かつうら」(徳島県勝浦郡勝浦町)でした。

慈眼寺(別格第3番)から道の駅「ひなの里かつうら」へ到着したのは17時の閉店間際でした。
「えっ!17時で食堂が閉店なのですか? 近くに食堂があったら教えてくれませんか?」
「喫茶オレンジ」の店員さんがとても親切にお接待してくださって、飲食店やらお風呂の情報を教えてもらい助かりました。
道の駅は17時閉店が多く、食堂や産地直売のモールがあっても車中泊の人にはほとんど役に立たないことがわかりました。
その代りといっては何ですが、駐車はフリー、閉店中なので静かで、トイレが夜間でも使用可能なので有難いです。


       勝浦町の「ガーデンタイムこのむ」で夕食

お勧めのレストランは「ガーデンタイムこのむ」、19時閉店なので最初に行くことにします。
イングリッシュガーデン風の広い庭があり、300種類以上の木や花が植えられているとそうです。
早速食事前に散策しました。
白、ピンク、紫の花々が咲き乱れ、庭を見ながら食事できるスペースもあって、素敵で個性的なレストランでした。
こちらで夕食(ツレはピラフ、私はパンが食べたくってオーブンサンドのプレート)を食べました。
お遍路さんなので、なるべく倹約して夕食の予算は一人千円以内です。


     第8番熊谷寺の山門脇の田んぼ

風呂は「清流荘」というデイサービスの施設内に「天然温泉かけ流し・喜楽の湯」があり、入浴料300円で入れるとのことでした。歩くと30分以上かかりそうなので車で行きました。こちらは20時まで。
途中のコインランドリーで3日分の洗濯と乾燥をすませ、21時頃に道の駅へ戻りました。

私たちの他にも車中泊の車が10台ほど居たように思いますが、広い駐車場だったし、手作りのカーテンで窓を覆ったので、外のことはあまり気になりませんでした。
後部座席を倒して設えたベッド部分から段ボール2個(食料、調理器具、食器、雑貨、茶箱などを収納)とリュック2個(衣類が入っている)を運転席側に移すと、そこは快適な(?)寝室空間に早変わりです。


    昼咲月見草と古い道しるべ・・・第9番法輪寺で

いつもなら本を読んだり、パソコンに向かったり、テレビを見たりの気ままな時間帯ですが、電気もなく何もやることがありません。明日のスケジュールを確認して、早々に寝袋へもぐり込みました。
ベッド部分は敷布団2枚を重ねているので、背中も腰も痛くなく快適でしたが、敷布団一枚に大人2人が寝るのですから横幅が狭く、寝返りをうつのが大変でした。

それでも疲れていたし、「天然温泉かけ流し・喜楽の湯」のおかげでポカポカ温かく、いつの間にか寝入っていました。
夜中に寒くって目が覚めました。ツレも寒くって目が覚めたみたいです。
怖いので一緒にトイレへ行ってもらいました。
ふたりとも持って来た衣類を重ね着して、また寝袋にもぐり込み、朝までぐっすりでした。

翌朝、6時に起床。道の駅のトイレが大活躍。
トイレはもちろんのこと、歯磨き、洗顔、飲料水の調達までお世話になりました。
持参の薬缶とコンロで湯を沸し、備え付けの木のテーブルで朝のコーヒーを飲んだのですが、朝食に何を食べたのか・・・う~ん、思い出せません。
今日(5月22日)も車中泊の予定ですが、どこに泊ることになりますやら?


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原三溪の美術展と粗茶一服いかがですか?

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横浜美術館で「原三溪の美術」展
がもうじき開催されます。

横浜美術館開館30周年記念 生誕150年・没後80年記念 
   原三溪の美術 伝説の大コレクション

   会期 2019年7月13日(土)~9月1日(日)
   主催・会場  横浜美術館 
(横浜市西区みなとみらい3丁目4番1号  TEL:045-221-0300(代表) 詳しい案内やアクセスはこちら







原三溪翁を尊敬申し上げている暁庵は胸をときめかせながら、原三溪の至宝、伝説の大コレクションと出逢える日を待っているところです。
関東近郊はもちろんのこと、夏休みを利用して全国から展覧会を見に来る方も多いかと思います。
ささやかながら、横浜美術館の「原三溪の美術」展を応援したく、下記の日程で我が家で気楽な茶会(?)を致します。
「原三溪の美術」展や、横浜や横浜美術館のことなど、楽しくお茶談義しながら、粗茶一服と点心はいかがでしょうか?
茶会の時間帯だけ決めて、どなた様も気軽にお立ち寄りくださると嬉しいです。
また、御一緒にお点前やお運びをお手伝いしてくださる方がいらしたら、宜しくお願いいたします。メールにてご連絡くださいませ。





「原三溪の美術展」応援のお気楽茶会
日時:令和元年 8月2日(金)と3日(土)の2日間  
   14:00~18:00(時間内フリーです)
茶席:拙宅・暁庵  横浜市旭区今宿
   横浜駅より相鉄線二俣川駅下車(2台駐車可能、参加の方にアクセス、集合時間など別途お知らせします)
会費:1000円 (当日お持ちください)
概要(予定):薄茶と点心をお出しします
お客さま:各日10名様(準備の都合上) 
参加資格:原三溪の美術」展の参加者またはブログ読者
応募方法:メールにてお申込みください(氏名、住所、連絡先電話、簡単な茶歴(流派も)など)
     メールアドレス:akatuki-ane@grace.ocn.ne.jp
応募期間:7月13日(火)~7月31日(水)まで(定員になり次第、応募を終了いたします)
その他:満席になりましたら、この欄の追伸にてお知らせいたします。
     

横浜美術館の「原三溪の美術」展へ・・・その1

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7月20日(土)、横浜美術館の「原三溪の美術」展へ行きました。

10時に横浜美術館にN氏の車に便乗して到着。
入口でN氏、KTさん、Hさんと合流し、早速、余分な荷物をロッカーに預けて2階の展示室へ。
20日14時から レクチャーと鼎談「三溪の古美術収集と美術家支援 ―三溪資料研究の現在(いま)」があり、こちらも今日のお目当ての一つです。詳しくは後ほど・・・。
 

 

「原三溪の美術」展は主に4つのテーマ(視点)に分けて展示されていました。
①コレクター三溪、②茶人三渓、③アーティスト三溪、 ④パトロン三溪です。
プロローグとして、原三渓の生い立ち、横浜の生糸商人・原善三郎の孫娘の原やすと結婚し、婿養子となったことなどが紹介されていて、こちらも原三溪の人となりやアーティストとしての天分を知るうえで貴重です。




感動したたくさんの展示品の中からいくつかを記念に書き記しておきます(順不同ですが・・・)。

孔雀明王像 (国宝、東京国立博物館蔵)
コレクターとして原三渓が世間の注目を浴びたのは、明治36年(1906年)「孔雀明王像」(平安時代後期)を井上馨から破格の1万円で購入したのが始まりだったようです。
原三溪が蒐集した美術品は5千点とも言われていますが、その中でもお目に掛かりたかったのが「孔雀明王像」、今回の展示でやっと願いが叶いました。
音声ガイドを借りたので、3回解説を聞きながらゆっくり見学しました(混んでなく、ゆったり鑑賞できるのが嬉しい!)。



孔雀の背に乗っている(?)孔雀明王は、毒蛇を食べその毒を甘露としてしまう孔雀を神格化したもので、病気平癒や無病息災また請雨止雨に効果があるとして信仰されていました。
光背のように孔雀の羽を広げた部分は特に美しいけれど、肉眼では距離もあり細部が見えにくく、双遠鏡で見ている人を羨ましく思いました。
4つの手には柘榴、孔雀の尾羽根、蓮華、俱縁果(レモン?)を持ち、それらには呪術的な意味があるらしい。
深く沈んだ色調の中に朱、緑、金の鮮やかな色彩が孔雀明王をより神秘的、魅力的に輝かせている。

いったいいつの時代に誰がこのような画像を誰に描かせたのだろうか?
(昨年6月24日、山形の鈍翁茶会・呈茶席の床に掛けられていた「春日鹿曼荼羅」が思い出されました・・・)
原三溪は「三溪帖」(関東大震災で焼失、草稿だけが残っている)解説草稿において藤原中期の代表作と評価したそうですが・・・。



「高野切古今集」(国宝 平安時代)
「藍紙本万葉集」(国宝 平安時代 京都国立博物館蔵)
「葦手下絵和漢朗詠集」(国宝 平安時代 京都国立博物館)

さりげなく置かれている貴重な古筆類、あやうく見落としそうに・・・「高野切古今集」「藍紙本万葉集(伝藤原伊行)」「葦手下絵和漢朗詠集(藤原伊行)」はいずれも国宝です。
まったく読めないかしら?と思いきや、なんとなく読める部分があって嬉しく、美しい仮名文字や個性あふれる絵を散りばめた書きぶりに魅了され、これまたわからないなりにワクワクしながら観賞しました。

仮名文字に急に興味を持ったのは、先日茶事があり、社中のKさんに紀貫之の七夕の和歌を繊細な仮名文字で色紙に書いてくださったからです。
仮名文字の美しさや奥深さに触れる機会にまた巡り合うことができました・・・。

日課観音と井戸茶碗「君不知(きみしらず)」
暁庵は茶人三溪のテーマに一番関心があり、どのようなお客様を招いてどのような茶会をし、その茶会に用いた茶道具は何を語ってくれるのかしら・・・と興味津々でした。

唱和12年8月6日、原三溪の長男・善一郎が急逝し、8月15日に三溪は追善の思いを込めた浄土飯の茶会を催しました。
床に日課観音が掛けられ、井戸茶碗「君不知」で薄茶がふるまわれたという。
日課観音は源実朝が日々描いた白衣の観音像で、こちらも長年一目拝みたいと思っていたのでした。
白衣の日課観音は一瞬の清寂の中、何か悲しげに見え、描き手の実朝の生真面目な性格や、ストイックで孤独な日常などが想像されました。
井戸茶碗「君不知」はとても小ぶりな茶碗で、松平不昧旧蔵です。



蒲生氏郷の茶杓
時代を経て、作り手や持ち主の趣向を感じさせる茶杓がどれも素晴らしく、三渓の好みが窺える楽しいひと時でした。
蒲生氏郷、瀬田掃部、杉木普斎、高橋箒庵(の四杓が展示されていましたが、それぞれ個性や見どころが違い、興味深く拝見しました。(展示時期を変えて、佐久間将監や藤村庸軒の茶杓も展示されるとか・・・)

特に蒲生氏郷の茶杓がお気に入りです。(展示が7月24日までです)
蒲生氏郷といえば、織田信長、豊臣秀吉に使えた武将で、利休七哲の筆頭とも言われている桃山時代の大名茶人です。
利休切腹の折、少庵をひそかに領地・会津若松に引き取り、徳川家康と共に少庵の赦免帰京を秀吉に嘆願した、気骨も情けもある人物です。、
細身で武人の茶杓らしい緊張感と共に、丸い穏やかな露の形状が氏郷の人柄を髣髴させる。
竹の縞模様がアクセントになって、よく見ると縞模様が絣の格子模様のようにも見え、モダンな印象を与えて、レオン(レオ)の洗礼名を持つキリシタン・氏郷がしのばれます。
原三溪の「一槌庵茶会記」に、大正7年(1918)1月30日の蓮華院の茶会で「宗旦まけもの」の茶入とともに使用したと書かれていて、きっと愛杓の一つだったことでしょう。



   
      「原三溪の美術」展へ・・・その2へつづく


PS)お席がありますので引き続き、「原三溪の美術展」応援のお気楽茶会のお申し込みをお待ちしています。
   詳しくはこちらをご覧ください。 申し込みは28日(日)までに変更いたします。

   「原三溪の美術展」応援のお気楽茶会
   日時:令和元年 8月2日(金)と3日(土)の2日間  
   14:00~18:00(時間内フリーです)
   席:拙宅・暁庵  横浜市旭区今宿
   横浜駅より相鉄線二俣川駅下車(2台駐車可能、参加の方にアクセスなど別途お知らせします)
   会費:1000円 (当日お持ちください。薄茶(何服でも・・・)と点心をお出しします)
   メールでお申し込みください。 メール:akatuki-ane@grace.ocn.ne.jp 

横浜美術館の「原三溪の美術」展へ・・・その2

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(つづき)
沢山の展示品の中で特に心に残ったものを記念に記しています(順不同)。

森川如春庵が作った信楽茶碗2碗(昭和4年ごろ)
信楽茶碗2碗が並んで展示されていました。
両方とも森川如春庵作、同じ土で作られていることが一目でわかりますが、次のエピソードが興味を引きました。

大きい方の信楽茶碗は、森川如春庵が自作し、中村富次郎(中村好古堂)に贈呈したもので、中村はこの茶碗に仕覆と箱を作り、三溪に箱書きを頼みました。
三溪は「熟柿」と名づけましたが、魅力的な信楽茶碗が大いに気に入り、「是非小生にも一碗御恵投願上度」と書かれた書簡を如春庵に送ったそうです。
後日三溪の元へ贈られたのがもう一つの、一回り小ぶりの信楽茶碗でした。
「熟柿」はどっしりとした形状が素晴らしく、茶事や茶会に映えると思いますが、三溪は贈られた小ぶりの信楽を日常的に愛用したのではないでしょうか。
手持ちの頃合いが良さそうで、上から覗き込むと見込のビードロ釉が美しい茶碗です。




    三溪園の茶室・春草廬(重要文化財)

黒織部茶碗「文覚」
久しぶりに黒織部茶碗のお気に入りにお出合いし、この茶碗でお茶を一服頂けたら・・・とつい想像した。
歪みがあるので、「どこを飲み口にしようかしら?」と迷うのも楽しそう・・・緑色のふっくらとした薄茶が黒織部に映えて美しく、やがてゆっくり喉を潤していく。
飲み終わると、平たい底部に小さな緑の茶溜まりができて、その風情は如何ばかりか・・・想像はどんどん膨らんでとめどない。
胴に描かれた織部独特の大胆な幾何学模様がシンプルで好ましく、茶碗の印象を鋭くモダンなものにしている。
口縁部に白い釉薬が掛かり、その貫入の景色に一入魅せられました。

買入覚や「一槌庵茶会記」にこの作品と特定できる記述はないそうだが、漆塗りの箱の蓋表に「をり部」の紙片があり、蓋裏に朱の漆で「文覚」の銘と、三溪の花押が書かれている。
三つの△が並んだ三溪の花押、始めて拝見した朱漆の花押は生々しく今も脳裏に焼き付いています。


三溪園の茶室・蓮華院(元の場所と違う場所に建てられているが、こちらの小間が「一槌庵」)

高麗根来茶箱  朝鮮時代
「う~ん、何これっ?・・・なんて個性的な茶箱なんだろう!」と少々呆れ顔で三渓が自ら仕組んだ茶箱を長時間睨んでしまった。
説明よりも是非一見を・・・。手帖に書き写してきた解説を記します。

真鍮の鍵付きの李朝の手箱を茶箱としたもの。
S.13年4月の白雲洞の茶事に用いられている(仰木政斎「雲中庵茶会記」)。
当時の茶碗は柿の蔕「木枯」(別に展示中のNo.79)、茶杓は宗旦「何伽」。
薄器と香合は今も収められている。宗旦在判の曲物の中次と、香合は唐招提寺の釘隠しであった。
茶巾置に瓦経(がきょう)断片、釜敷に枯蓮の実が収められている。


   枯れた蓮の実


   9月頃の三溪園の蓮池

伝雪舟等楊 「四季山水図巻」 室町時代 京都国立博物館
三渓は終生この作品を鍾愛し、死去の前々日にこの巻子を枕頭に披いて生涯最後の鑑賞とした・・・と解説にありました。

牛を引いて田畑を耕す農夫、
仕事を終えたのだろうか・・畦道を行く農夫
池のほとりの梅の木の下で語り合う二人の男
川と橋が描かれ、風が松の梢を揺らしている
・・・絵を見ていると「まるで三溪園みたい・・・」と思いました。
三溪園を作り、三溪園で暮し、三溪園を深く愛した三溪翁が最後に見たという「四季山水図巻」、
その時の三渓の様子を想像すると、胸が張り裂けそうになりながら
「きっと三溪翁はこの図巻を見ながら三溪園を愉しく逍遥していたに違いない」と思ったのでした。


 原三溪 「芙蓉」 (大正14年)

これから展示替えが2回位あるそうで、横山大観の「柳陰」(7/26~8/7)や下村寒山の「弱法師」(8/9~9/1)を鑑賞しに、また「原三溪の美術」展へ行きたいと思っています。 この夏は忙しくなりそうです。


      「原三溪の美術」展へ・・・その1へ戻る

古稀をお祝いする茶事・・・その1 七夕のうた

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7月14日にN氏の古稀をお祝いする茶事をしました。

N氏は暁庵の茶道教室の生徒さんです。
この度目出度く古希を迎えられたので、なにかお祝いをしたいと思いましたが、茶事しか思いつきませんでした・・・。
社中の方や小堀遠州流の友人にお声掛けしたところ、皆様、快く茶事へ参席してくださるとのことで感激しました。

茶事支度をしながら茶事の師匠(勝手ながら秘かに思い込んでいる)のお言葉を急に思いだしました。
「茶事をするからには心を込めることは当たり前、心を込めるということをどのように表現し、相手にわかってもらえるか、自分なりの表現をすることが大切です」・・・と。

「お祝いの気持ちを温かく、さりげなく、されどしっかりと、どのように伝えたらよいかしら?」
あれこれ試行錯誤で考えている時が茶事支度で一番楽しい時かもしれません。
思い詰めている時よりも全く違うことをやっている時にふっとアイディアが浮ぶことが多く、不思議です。
7月なので七夕に因むエピソードや事柄を散りばめながらお祝いの気持ちを表わしたいと思いました。

その日はあいにく朝から雨模様、昨日のうちに腰掛待合や庭の蹲踞はあきらめて、雨仕様に切り替えました。
亭主の迎え付けは省略です。
玄関前の陶器の蹲踞を使い、そちらで心身を清め、茶道口から席入りして頂きました。



待合の掛物は色紙、紀貫之の七夕の和歌(新古今集)が書かれています。
大好きな和歌なので、社中のKさんに頼み込んで書いて頂いたもので、本日一番の御馳走かもしれません。
万葉仮名でしょうか、繊細で美しい仮名文字ですが、読めませんので下に注釈を置かせて頂きました。



    ひとゝせに
  日とよ登於もへと
   七夕の阿能見牟
    秋農可き利那き
          可奈

(読み下し)  ひととせに一夜(ひとよ)と思へど 七夕の
           逢いみむ秋の かぎりなきかな         

歌の意味は、一年にたった一夜と言うけれど、七夕の二人が逢う秋はこれからも限りなく続くのだから、なんと羨ましく、素晴らしいことだろう。
時の流れに色褪せない二人の永遠の愛を謳ったこの和歌は、N氏にぴったりと思いました。

お正客はもちろんN氏ですが、次客と三客は小堀遠州流のFさんとKTさん、四客から六客(詰)は暁庵社中でSさん、Uさん、Kさんです。
本席の御軸は「喜 無量」、前大徳 教堂宗育和尚の御筆です。
古希を迎えたN氏を皆さんと一緒にお祝いする喜び・・・様々な喜びが何重にも重なってはかりしれません。



ご挨拶の後、半東・KSさんと懐石・佐藤愛真さんに同席して頂いて、短冊にN氏へのお祝いの詞と自分の願い事を一つだけ書いてもらいました。
皆様、思い思いの和歌や俳句、お祝いの詞などを筆で短冊に書いています。(ご披露したいところですが・・・)
うたを唱和した後、うんうん唸って書いた和歌と願い事の短冊を笹飾りに結びつけました・・・童心に帰ったような楽しい時間が過ぎていきました。
和気合い合い、照れくさそうに耳を傾けているN氏、願い事にそれぞれの個性やら家庭事情やら諸々が見え隠れし、一段と皆さまとの距離が近くなり親しみが深くなった気がしました。

いつまでも七夕の思い出に浸っていたいところですが、初炭になりN氏に炭所望しました。
「何卒、お炭をお願いいたします」
炭所望は、炭を置いた後の風炉中拝見や水次を持ち出して釜を清める所作もあります。
稽古で何回かやって頂いているので淡々と素敵な所作でした。「ありがとうございます」



床前に七夕飾りがあるので、点前座は丸畳、長板二つ置きです。
風炉は唐銅道安、一之瀬宗和造、釜はお気に入りの糸目桐文車軸釜、長野新造です。
水指は李朝の刷毛目そろばん形(?)、N氏は李朝の物がお好きなので、この水指を選びました。

炭斗は淡々斎好みの鵜籠(竹宝斎作)を使ってみました。
火箸が面白く、岡山城大手門古釘で作られています。
羽根は天の川の星座をイメージして白鳥にしました。
香合は秋草蒔絵琵琶香合、山中塗の中村孝也作です・・・織姫の琴座に因み琴にしたかったのですが、琵琶で七夕の二人の逢瀬を奏でました。


        古稀をお祝いする茶事・・・その2へつづく


古稀をお祝いする茶事・・・その2 エール

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       後座の床  白い木槿と紅い水引をやな籠に活けました

(つづき)
炭手前(炭所望)が終わったので、待合のテーブル席へ動座して頂きました。
そちらでゆっくり懐石を味わって頂きたいと思いました。
なんせ佐藤愛真さんがお祝いのためにあれこれ考えて作ってくださった懐石料理なので・・・。
一献目はスパークリング・ロゼワイン、二献目からはN氏お好みの久保田の千寿をお出ししました。
献立を記念に記します。

  向付  鱚の昆布〆 細造り 水前寺海苔 花穂 山葵 加減酢
  飯   一文字
  汁   胡麻豆腐 順菜 赤味噌 溶辛子
  飯器  赤飯
  煮物椀 小鯛の素麺巻 隠元 青柚
  焼物  かますの塩焼
  強肴  茄子 蛸 おくら 炊き合わせ ふり柚子
  箸洗  岩梨 梅香仕立
  八寸  車海老 若桃の密煮
  香の物 沢庵 水茄子 
  湯桶

お菓子を召し上がっていただいてから中立をして頂きました。
主菓子は特注の金団 銘「紫雲(しうん)」、石井菓子舗製(旭区都岡)です。
紫(古希の色)とクリーム色の金団が掛け分けになっていて、お目出度い金粉が上に飾ってあります。

後座の床の中釘にやな籠を掛け、白い木槿と紅い水引を活けました。
用意していた木槿と葛の花・・・迷っていたのですが、朝開いた白い木槿の清廉な美しさに息を呑み、すぐに決まりました。

後座の茶道口、茶碗を置き、お点前に集中するべく呼吸を整え、襖を開けました。
さぁ・・・茶事で一番大事な濃茶の始まりです。
濃茶茶碗を持ち出しの時、意識するとかえって身体がふらついて・・・修業が足らず困ったことです。
それでも静かに点前が始まりました。
藤紫色の帛紗を捌き、茶入、つづいて茶杓を清め、茶碗で茶筅通し・・・お客さまと一体となるような心持でした。

N氏のお祝いの一服目、緑が美しく映えるよう滑らかな濃茶となるよう心を込めてお点てしました。
「どうぞ3人様で」
「お服加減は如何でしょうか?」
「大変美味しく頂戴しております」
この言葉に安堵して2碗目の濃茶に取り掛かりました。

半東KTさんが3人分の濃茶が入った茶碗を時間を見計らって持ちだしてくれました。
湯を入れるとすぐに馥郁とした香りが立ち上ります。
濃さは飲み易いように少し薄めを心がけています。
濃茶は「錦上の昔」 京都の柳桜園詰です。

お祝いの茶事ですが、あれもこれもお目出度い道具づくしというのも如何なものかしら?と思い、
茶碗と蓋置に気持ちを託しました。


      高麗御本三島   古帛紗はバトラです

1碗目は黒楽で楽4代一入作、藪ノ内流7代桂陰斎の銘「不老門」です。
お祝いをするのに茶事しか思いつかなかったように、主茶碗は黒楽「不老門」しか思いつきませんでした。
2碗目は高麗御本三島 銘「伊備津比売(いびつひめ)」、古帛紗「バトラ」を添えました。
19世紀頃の貴重な古裂の「バトラ」、初使いです。



   干菓子は常盤と紅白のすり琥珀(いずれも佐藤愛真製)、干菓子器は蛍籠です

続き薄茶は半東KTさんにお点前を交代して頂きました。
主茶碗は御目出度い鶴の象嵌が愛らしい青磁雲鶴、銘「玉帚木(たまははき)」、替茶碗は染付祥瑞、三代三浦竹泉造
です。
鶴(青磁雲鶴)にはやはり亀でしょう・・・と少ない道具を探したところ、亀の蓋置(松楽造)を見つけ、長板の点前ですが喜んで使いました。


    続き薄茶の点前座

薄茶になり、和やかに楽しくいろいろなお話が飛び交ったのですが、小堀遠州流の次客YさまからN氏へ掛けられた素敵な御言葉(エール)を記しておきます。
「古希は人生の大事な節目ですが、ゴールではありません。
 むしろこれから・・・だと思いますよ。これからが本当のスタートなのです・・・」

暁庵からのエールは茶杓です。
茶杓は大徳寺聚光院雪山和尚の八十九歳の作、銘「雲錦(うんきん)」です。
雲錦(うんきん)は、「運(うん)」と「金(きん)」にも通じるので、健康に留意し、これからの人生が「うんきん」に益々恵まれ、心豊かに過ごされますように・・・と願っております。

最後に、お祝いの茶事に快く参席してくださったお客様、半東KTさん、懐石の佐藤愛真さんに心から感謝申し上げます。
ありがとうございました・・・。


       古稀をお祝いする茶事・・・その1へ戻る


「原三渓の美術展」応援のお気楽茶会

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8月2日(金)と3日(土)に我が家で「原三渓の美術展」応援のお気楽茶会をしました。

横浜美術館で開催中の「原三渓の美術展」をささやかながら応援したいと思い立ちました。
「原三渓の美術展」へいらっしゃる方々に我が家へ寄って頂き、薄茶一服と点心でおもてなしできたら・・・と思ったのです。

梅雨明けと共に猛暑が襲来、横浜でも珍しく連日35℃近くまで気温が上昇しました。
そんな中での茶会なので、普段とは違うことを心配しました。

暑い中を我が家まで辿り着けるだろうか?
熱中症にならないように冷房と水分補給をしっかりしなくては・・・。
着物は嬉しいけれど、どうぞ無理をなさらずに・・・。
一番、注意を払ったのは点心でした。
前日(夜)作ったものは冷まして冷蔵庫に保管し、翌日火を入れて再び冷やしたり・・・とにかく安全第一を心がけました。

予期せぬ失敗や計画変更もたくさんありました。
2日のこと、冷たいお絞りをお出ししようとしたら、冷凍庫に入れたまま忘れていました(トホホ )。
コチンコチンのお絞りを流水で溶かし、搾りなおしてお出ししました[汗)。さすがに3日は失敗なし・・・。
当初、点心を食べて頂いてから中立(休憩)、その後蹲踞をつかって席入りの予定でした。
当日、庭を見ると陽がカンカンに照り付け、日陰もなく、見ただけでクラクラするような露地でした。
急遽、蹲踞は使わず、茶道口から席入りして頂きました。
3日は、玄関先に蹲踞を用意し、こちらを使って茶道口から席入りして頂きました。





 オレンジの清楚な花がキツネノカミソリ、玉紫陽花は水揚げが悪く・・・(3日の夜に撮影)

茶室の床には「白雲抱幽石」の御軸、前大徳 明道和尚の御筆です。
2日の花は、ピンクの木槿、糸ススキ、金水引、紅水引を鉄製灯明台(白洲正子氏好み)に、
3日の花は、キツネノカミソリ、玉紫陽花、金水引、紅水引を有馬籠に生けました。
キツネノカミソリと玉紫陽花は2日のお客様MYさまが大事に持参してくださった花です。
炭手前がないので、床に独楽香合を荘りました。



2日のお客さまはスタッフ(社中)を含めて10名になりました。
お気楽茶会なので、初めて御目文字の方、再会が嬉しい方、親しい茶友など素敵なお客さまと会話が盛り上がりました。
小堀遠州流のお点前を拝見する事が出来たり、お点前をお願いしたお客さまが美味しい薄茶を点ててくださったり、席中では皆様にお助けいただき、和やかに茶会が進行していきました。
薄茶の後、再びテーブル席へ戻ると、図録を引っ張り出して「原三溪の美術」展のお話に花が咲きました。
横浜美術館の関係者が参席していたので、いろいろな苦労話や展示品の解説なども伺うことが出来て、皆、一層「原三溪の美術」展に興味をつのらせ、いつまでも話が尽きない勢いでした。



     茶会で使った虫明焼の三碗・・・エピソードをご披露しました


     茶会で使った茶碗です

3日のお客さまはスタッフ含めて7名様でした。
2日とほぼ同じなのですが、点心の時に差し入れのスパークリング・ロゼワインをお出ししました。
そのせいもあり、点心中にお客さま同士の会話が進んだかもしれません。
点心後、茶室へ席入りし、スタッフ(社中)のお点前で薄茶を差し上げました。
お菓子は銘「夏の思い出」、かわいらしい西瓜の練り切りです。石井菓子舗(旭区都岡)製。
2つに割ると中身が赤と黄色の2種類の西瓜があって種はごま塩、これがインパクトになって美味しかった!
薄茶は江雲の白(柳桜園詰)です。


    薄器の1つ、秋草花文化粧壷

薄茶の2服目は元のテーブル席へ戻って頂きました。
魔法をエイッ!と掛けて・・・・立礼席に変身です。


    立礼席の設えです

立礼席で茶友Yさんにお点前をお願いしました。
膝を痛めてもう1年位お点前をしていないというので、是非とも・・・と思いました。
なんか水を得た魚のように嬉しそうでした。
久しぶりとのことですが、しっとりと落ち着いた所作は健在で、暁庵も嬉しく薄茶を頂きました。

暁庵社中Sさんの点前デビューがあったり・・・こうして応援のお気楽茶会は愉しく終わり、安堵と共に「もう終わってしまったのね・・・」
お客様、スタッフの皆様のおかげで、ささやかながら応援の茶会ができて嬉しいです!  



「原三溪の美術展」応援のお気楽茶会・・・つづき

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(つづき)
8月2日、3日の2日間、夏休み中に珍しく頑張って開催した茶会ですが、無事楽しく終了し安堵しています。
お客さまやスタッフの皆様から頂戴したメールや手紙を何度も読みながら、茶会の余韻に浸っています。
読み返すたびにふんわりと「極楽の余り風」が吹いて来て、疲れをやさしく癒してくれました。
ありがとうございます! 
いくつかを紹介させて頂きますね。


 8月2日のお客様Yさまより

暁庵さま、こんにちは。
先日は、「原三渓の美術展」応援のお気楽茶会にお招きくださり誠にありがとうございました。
美味しい点心にお心尽くしのお茶席。それでいて、堅苦しさの無い和やかな席で、心より堪能致しました。お菓子も美味しかった‼︎
小堀遠州流のお点前を拝見する貴重な機会を頂きました事感謝いたします。いつか最後の仕舞のお点前まで拝見する機会を持てたら・・と思いました。

原三渓さんの事、4月のお茶会で初めて三渓園に伺うまで、詳しいことは殆ど存じ上げませんでした。
知れば知るほど、立派で魅力的な方だと、興味が尽きません。
展覧会の後半日程にも、是非伺いたいと思っております。

私事ですが、会社の仕事の状況が中々改善せず、鬱々とした気持ちが続いていたのですが、おかげさまでとてもリフレッシュさせて頂き、気持ちが晴れました。
五体満足に感謝をし、また頑張ろうと思いました。

酷暑の日々が続きます。くれぐれもご無理をなさらないよう、ご自愛くださいませ。
またの機会を楽しみにしております。    Yより



林床に群生するキツネノカミソリ (季節の花300提供)

 8月3日のお客様Tさまより

昨日はお心のこもった「原三溪美術展応援茶会」にお招き頂き、ありがとうございます。
春のクロスロード茶会に続いてのお招きに感謝いたします。

お待合での冷たい梅ジュースに緊張がほぐれ、ほっと致しました。
点心の美味しかったこと、暁庵様のおもてなしの心に皆さんと感激し、打ち解けてお話もはずみました。
和室でのスイカのお菓子に思わず笑みがこぼれました。
それぞれのお道具とのお出合いのお話、お茶に寄り添う思い入れがやさしいお話からうかがいしれました。
お薄器の化粧壷にいにしえのお姫様の姿が想像できました。

テーブル席での立礼、形式ばらずに季節に応じた組み合わせで、
皆さまとご一緒に美味しいお茶をいただき、幸せな一日となりました。

暑い中、私達を楽しませて下さったこと、ほんとうに有難く感謝申し上げます。
お社中の皆様、ご主人様にも心よりお礼申し上げます。

まだまだ暑さが続く様でございます。くれぐれもご自愛下さいませ。
又、お目に掛かれますのを楽しみにさせて頂きます。 かしこ    Tより




  八ヶ岳の高原では吾亦紅が咲いているとか・・・秋が近づいていますね

 社中Sさんより(8月3日)
吹く風も暑い毎日ですね。
お手伝いとは名ばかりで何もせずじまいで・・・お点前も失敗ばかりで申し訳ありませんでした。
しかしながら気持ちはとても楽しんでしまいました(お手伝いもせず、すみません💦)。
お茶会経験まだ3回目で色々なお茶会があるのだなぁ・・・と、先日のお茶会は温かなおもてなしの心を見た気がします。

お部屋のしつらえからお食事、お菓子、そして色々なお話し…あっという間に時間が経っていました。
最後のお片付けをしなかったのも本当に申し訳なく自分に腹立たしい気持ちですが、本当にありがとうございました。
あの美味しいお料理から膨大な量のお片付けまでをされ大変お疲れになられたと思います。
どうぞお身体充分休めてご自愛下さい。
8月○○日のお稽古宜しくお願いします。しっかり練習していきます。    Sより


           「原三溪の美術展」応援のお気楽茶会へ戻る


 

お盆の独り言・・・夕去りの茶事支度

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お盆休みの大型連休に突入し、大型台風10号の動向が気になるところです。
毎年8月16日に京都・大文字送り火をしのびながら夕去りの茶事をしています。今年で3回目になります。
暑い中の茶事は今年で最後にしようと、毎年思うのですが・・・気が付いてみると、いそいそと汗をかきながら茶事支度をしている自分がいます。
不思議と、ぽちぽちと茶事支度している方が身体と頭が活性化するのか、元気で夏を乗り越えられる気がします。


理想の「夏の過ごし方」(納涼図屏風(部分)久隅守景 国宝)

この暑い時期に懐石をお願いするのもはばかられ、手づくりで頑張っているのですが、お盆ならではの悩みもあります。
お盆休みで休業する店が多く、休漁の影響もあり、お目当ての魚介類を入手するのがとても大変になります。
1週間前から魚屋さんの品揃えが気になり出し、ついに早目にゲットしようと重い腰を上げました。

向かった先は車で約20分の大型スーパーマーケット。
連休初めなので買い出しの親子連れで車も人も溢れているのですが、スーパー内は寒いくらい冷房がきいていました。
メモを片手に魚介類や季節の野菜を買い込み、家に帰り冷凍庫や冷蔵庫に収納すると、やっと一安心です。
真夏なので作り置きは難しく、前日夜から集中して調理に取り掛かる段取りです。



     ペルシャ紋燭台  (鈴木盛久工房)

気になる灯火と庭の手入れを少しずつ始めました。
先ずは灯火、短罫1つ、床の燭台1つ、手燭2つ、膳燭2つ、足元行燈4つ、水屋用行燈(電気)2個などを用意しました。
今年は、懐石中も電気をつけずに移り変わる夕暮れの障子の色を楽しんでもらえたら・・・と思うのですが、途中で膳燭をお出しすることになると思います。
16日の横浜の日の入りは18時31分(毎日1分ずつ早くなります)、中立する45分頃は薄暮ですが、19時の後入りの頃には真っ暗になります。
後座の迎え付けですが台風の影響で雨だったら喚鐘、晴れていたら手燭交換の予定です。
手燭交換は夕去りの茶事一番の心躍る瞬間でして、想像するだけで今から胸が高鳴ります・・・。



  お盆と言えば「ミソハギ」

庭ですが、7月初めに植木屋さんに入ってもらったので、草を少々抜くくらいかしらと思ったら、あちこちで葉が枯れています。
茶色の葉を落とし、掃除していると、植物たちの声が聞こえてきました。
「もう少し風通しが良くならないかしら?」
「この暑さだもの・・・もっともっと水が欲しい!」
茶色の葉の原因は日焼けもありますが、ほとんどが水不足です。
先ずはたっぷり水を上げて、伸びすぎている枝や密集しているところを整理しました。雨が欲しいです。



夜になって、久しぶりに炭手前と濃茶の稽古をしてみました。
・・・う~ん! これが一番大変で、問題なことがわかりました。
自分の意識と実際が乖離しているのです。 

背筋を伸ばしてスックと立てないんです・・・ど、どうしよう! 
茶碗や建水を持って立ったり座ったりがとても大変でした・・・。
とりあえず、毎日1回だけお稽古してみようと思います。
無理をすると、また膝が取り返しのつかないことになってしまいそうで慎重に・・・難しいですね。



大文字・夕去りの茶事を終えて・・・(1)

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   どっぷり暗くなった露地に灯火が道を照らして・・・中立にて


8月16日(金)に大文字・夕去りの茶事をしました。

折しも大型台風10号が襲来する予報があり、どうなることやら?と心配していましたが、幸い関東地方は直撃を免れたのでした。
当日の朝、雨が小降りになり、午後には上がりましたが、台風の吹き戻しの風が強く、夜まで続きました。

そんな中で行われた大文字・夕去りの茶事へお客様が遠くから馳せ参じてくださって、もうもう感謝でございました。

お正客は数年前捨意菴(しゃいあん)の茶事へお招き頂いたH氏です。
突然に「閑翁宗拙の茶杓」のことでお尋ねのメールが舞い込み、ご縁を感じてお招きしました。
それに、素晴らしいお茶人さんなので暁庵の拙い茶事にお出まし頂くのは・・・と気が引けて、茶事にお呼びしていなかったのが気になっていました。

次客はM氏。親友Oさまの茶友で、いろいろな茶書の古典を研究している方です。
この機会に古典に精通しているH氏にぜひお引き合わせしたい・・・と思いました。
三客はOさま。暁庵の茶事の常連さんですが、Oさまが居るだけで席がふんわり和やかになります。
四客はPさま。昨年悟朗軒の月釜を主宰され、暁庵は2回も伺ってお心こもるおもてなしを受けました。いつかお招きしてもっと親しくなりたいと思っていたのです。
詰はHさま。お互いに茶事が好きで、今までに何度もお招きし合って切磋琢磨しています。今回はあちこち故障がちだったので、Hさまの存在が頼もしく支えになってくださいました。

迎え付けで、枝折戸のところで座られたお正客様に合わせて、座って一礼を交わしました。
久しぶりに他流(表千家流)のお正客さまをお迎えして緊張感がつのります・・・・。


     待合の短冊 「千本鳥居」 市川団十郎画

最初から失敗話で恐縮ですが、いつも迷う夕去りの茶事の花。
夕去りには白い花を・・・前回も書きましたが、16時の席入りから17時の椅子席への動座の間に開花している花を見つけるのが難しく、失敗ばかりしています。
今回は台風のため、当日の朝に採取に出かけたのがまずかったようです。
白い芙蓉が強風に吹かれながらも凛として咲き誇っていました。
2本だけ採取して、すぐ根元を焼き、深水に養って水揚げしました。
もう一つはイタドリ(虎杖)、こちらも白い花でとても地味ですが、大きな花瓶に沢山活けるとステキな味わいになります。
芙蓉とイタドリを1本ずつ桂籠に活け、初座の床の中釘に掛けました。
・・・でも、席入りの16時には凛としていた芙蓉が少ししぼんでしまって・・・・こちらもショボンでした。
(優しいお正客さまは慰めてくださいましたが・・・)


     茶事の数日前に八ヶ岳から吾亦紅がたくさん届きました


気を取り直して、初炭は炭所望です。
どなたに所望したらよろしいか・・・悩みましたが、正客は表千家流でしたので、次客M氏にお願いしました。
M氏が炭を置いている間に正客H氏から炭道具についていろいろお尋ねがあり、炭道具の拝見がかかりました。
炭道具の拝見が掛かるのは初めてです。
ちょうどS先生から炭道具の拝見の出し方を教えて頂いた直後でしたので、嬉しい所望でした。
もう一つ、糸目桐文車軸釜がお目に留まり、作者の長野新氏が同門社中とのことで、釜師・長野新氏の応援団としては嬉しいご縁が繋がりました。

灰器を下げ、風炉中を拝見すると、それはそれは美しく炭が置かれていて・・・Mさま、ありがとうございます。
香を焚き、釜を引きつけ、鐶を置くと、H氏から
「風炉中の拝見をお願いします」と声が掛かりました。
置いた炭の美しさと共に灰形二つ山の大文字を皆様に見て頂きましたが、灰形は冷や汗ものです・・・。


        拝見に出した炭斗


     灰器(古染付盤)と灰匙(韓国製スッカラン)


    能画の敷き布団(?)(リバーシブルで裏は黒布です)

鵜籠の炭斗に羽根、火箸1本、鐶1つを入れて拝見にお出ししました。
灰器の古染付盤は、古染付のコレクターの半東N氏のお持ち出しで、じっくりお客さまに見て頂けてヨカッタ!です。
鵜籠の炭斗の中に手づくりの敷き布団(?)を敷きました。布は春の三溪園の茶会の折、Eさまから頂いた贈り物に包まれていたもので、能画がプリントされています。

炭斗  鵜籠  淡々斎好  竹宝斎作
羽根  白鳥
鐶   高橋敬典作(だと思う?)
火箸  岡山城大手門古釘を以て造る
香合  屋形船(浮見堂古材を以って作る)  誠中斎作
灰器  古染付盤
灰匙  韓国製スッカラン


   大文字・夕去りの茶事を終えて・・・(2)へつづく     お盆の独り言・・・夕去りの茶事支度へ



大文字・夕去りの茶事を終えて・・・(2)

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    「四国八十八ヶ所札所御宝印」の掛軸を掛けました

(つづき)
手づくりの懐石をお出ししましたが、何度も火を入れたので柔らかくなりすぎたり、冷たいままの方がよろしいかと煮込みが足りなかったり・・・頭も身体も働かず、失敗ばかりでした。
「あっ!八寸を作るのを忘れていた・・・ど、どうしましょう?」
言い訳をすれば、台所の蒸し暑さは頂点に達し、頭が朦朧としていました。
茹でた枝豆(山の物)と、山芋を短冊に切りサーモンを巻いて海の物を急いで作り、何とか・・・ふぅ~。
・・・と言うわけで、思い出すのも怖ろしく汗びっしょりの懐石でした。 
それでもお客さまは文句も言わずに召し上がってくださって、ただ感謝でございます。
主菓子は蓮根餅「西湖(せいこ)」(老松製)をお出ししました。


      中立の露地の灯火

中立になりました。
19時をとっくに過ぎて、真っ暗闇の中、灯火が露地を美しく照らしています。
夕去りの茶事のハイライト、手燭交換をして後座の席入りです。
吹き戻しの風が強かったので、半東N氏がお正客さまの手燭を電池式蝋燭に交換してくれました。
亭主の手燭は電池式がなく、蝋燭に火をつけたのですが、風ですぐに消えてしまいました。
もう一度火をつけ直しましたが、蹲踞の所で消えてしまい、そのまま手燭の交換をしました。
とても残念ですが、これも仕方の無いこと・・・良きも悪しきも淡々と受け入れるのが茶事の心得でしょうか。


後座の床に、10年前に結願した記念の「四国八十八ヶ所札所御宝印」の掛軸を掛けました。
5月に車で四国遍路をしたせいもあり、今年のお盆に久しぶりに掛けました。


       短罫のあかりと点前座

点前座の棚は桑の三重棚、水指は備前、薄器は夕顔大棗です。

茶道口で身なりを正し、心を鎮めて、席入りの衣擦れに耳を澄ませます。
襖を開けると、短罫と燭台だけの茶室はほの暗く、お客さまが何処かのお堂の仏様の様にも思われます。
茶碗を持ち、すっくと(気持ちだけ)立って、ゆっくり歩き(緊張で少しよろめきながら)点前座に座りました。
水屋に戻り、建水と手燭を持って入り襖を閉め、再び点前座に座りました。
(ふうっ~、たったこれだけの初期動作が大変でした )。

お客さまが静かに見つめる中、濃茶点前が始まりました。
暗さを味わいながら帛紗を捌き、茶入、茶杓、茶碗を清めていきました。
床(亭主床)に影が映り、もう一人の自分が一緒に点前しているような不思議な光景です。

茶碗は白楽茶碗(染谷英明作)、銘「小鷺」です。
5人分の濃茶を回し出し、湯を1杓半汲み入れて心を込めて練りました。。
さらに湯を足して薄めに練り上げ、5人様一碗でお出ししました。
「お服加減いかがでしょうか?」
濃茶は「慶知の昔」(鵬雲斎大宗匠好、小山園)です。


      白楽茶碗  銘「小鷺」  染谷英明作

続き薄茶で点前は半東N氏にお願いしました。
干菓子は煎餅(老松製)と「暑気ばらい」(豊島屋製)を蛍籠炭斗に、薄茶は金輪(小山園)です。
亭主も席中に入り、皆様といろいろお話をしながら楽しい時間を過ごさせて頂きました。

薄茶の茶碗は、半東N氏と相談して横浜に因む作家さんの2碗をお出ししました。
主茶碗は絵唐津、横浜市日吉に窯を構えた加藤土師萌(はじめ)作です。
替茶碗は銘「うずまき」(十五世市村羽左衛門追憶) 横浜市南区に窯を構えた神奈川焼・三代井上良斎作です。


         絵唐津      加藤土師萌作


      銘「うずまき」(十五世市村羽左衛門追憶)  井上良斎作


         陰翳礼讃の世界    夕顔棗


茶入は薩摩(帖佐)焼、銘「翁」、仕服はシマモールです。
茶杓は大徳寺聚光院先住の雪山(随応戒仙)作、銘「雲錦」です。
以前にH氏の茶事で、雪山和尚の茶杓「幾千代」を拝見し、その時のお話で雪山和尚の人となりに惹かれ、茶事の3か月後に縁あって入手した茶杓であることをお話ししました。
「そのお話を伺って、もう一度茶杓を拝見したくなりました」とH氏。
 
H氏に今日の茶事のきっかけになったメールのことをお尋ねすると、某茶人の魅力ある茶杓にご縁があったとのこと。
座が騒然となり、ぜひ拝見の機会を・・・と異口同音です。
筒に穴があるそうで、「三溪の美術」展で展示されていた佐久間将監作の茶杓が頭を過ります。筒の左側に寸松庵作とあり、右側に瓢みたい穴が開いていました。

茶事の楽しさの一つは、こうしたご縁が繋がっていろいろな広がりになって行く事にあるので、拝見できる機会を大いに期待しています。

・・・こうして素敵なお客さまに見守られ、半東N氏とツレに支えられながら大文字・夕去りの茶事が無事(?)に終わりました。
心から感謝でございます。ありがとうございました! 


   大文字・夕去りの茶事を終えて・・・(1)へ戻る     お盆の独り言・・・夕去りの茶事支度へ



車で四国遍路・・・(5)ロープウェイに乗って太龍寺へ

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   太龍寺(たいりゅうじ)ロープウェイ・・・那賀川を取り囲む町や山々が一望できました


(遅くなりましたが、「車で四国遍路」のつづきです。頭のネジを巻き戻して書き出しました。お付き合いくださると嬉しいです・・・)
つづき)
5月22日(水) 晴れ
4日目(5月22日)の行程
道の駅「ひなの里かつうら」~第20番鶴林寺~ロープウェイで第21番太龍寺~第23番平等寺~別格4番鯖大師~第23番薬王寺~仏海庵~御厨人窟~第24番最御崎寺~第25番津照寺~道の駅「キラメッセ室戸」にて車中泊


7時過ぎに道の駅「ひなの里かつうら」を出発し、第20番鶴林寺へ向かいました。
すぐに狭い山道に入りましたが、鶴林寺から下りる車は別の道(太龍寺方面へ行く)を通る筈なので、すれ違う車の心配はほとんどなく、今思うと快適な山道でした。
鶴林寺の愛称はお鶴さん、「一に焼山、二にお鶴、三に太龍、遍路なく」とうたわれた、遍路泣かせの「阿波の三難所」の一つです。
弘法大師の合掌した手に鶴が舞い降りたという伝えがあり、本堂前の2羽の鶴に再会し、懐かしくお詣りしました。


    第20番鶴林寺の山門をくぐる


    早朝なので、灰が美しく調えられた大香炉


美しい三重塔・・・文政6年(1823年)に地元の宮大工が建立したという

次は第21番太龍寺へ向かいました。
今回の遍路は、ロープウェイがある所は利用しよう・・・と決めていたので、大分遠回りしてロープウェイ乗り場・鷲の里駅へ行きました。
全長2775mのロープウェイに乗ると、眼下に曲がりくねった那賀川や緑の山林が広がり、緑の中に白い花が密集して咲いていました。
ガイドさんに尋ねたのですがわからず、空木または山法師でしょうか? 素晴らしい10分の空中散歩でした。



山を越えると、今度は紀伊水道や橘湾の海側が見えてきて、標高600mの山頂駅が近くなりました。
山頂駅近くに舎心ヶ嶽があり、修行している弘法大師の坐像を見ることが出来ます。
延暦12年(793年)弘法大師空海が19歳の時、太龍嶽(舎心ヶ嶽)で百日間にわたり「虚空蔵求聞持法(ぐもんほう)」を修法された修業地で、山頂駅近くの舎心ヶ嶽に修行している弘法大師の坐像を見ることが出来ます。
「虚空蔵求聞持法」は、虚空蔵菩薩の真言を1日2万回、50日間唱えることで、すべての経典を暗記できるという秘法だそうです。


   「西の高野」太龍寺(たいりゅうじ)の大師堂

巨大な杉が聳え立つ境内には古い伽藍が点在し、「西の高野」と呼ばれる太龍寺の落ち着いた佇まいが大好きです。
ご本尊は虚空蔵菩薩。焼山寺に続いて2回目のご真言なので、長く難しいご真言を3返頑張りました。
奥の大師堂で般若心経を唱え出すと、美しく澄んだ鳥のさえずりが・・・「せっかく太龍寺大師堂へ来たのですから、私の啼き声も聞いてね」と聞こえ、仲良く唱和しました。



   からりっと明るく開けた第22番平等寺へ

鬱蒼とした杉木立の下の寺が続いたけれど、田園地帯の丘の上にある第22番平等寺は開放感が溢れ、ここにたどり着くとなぜかほっとしました。
前回、ここで足首の違和感を感じたのだった・・・と思い出しながら、万病や健脚のご利益が名高いご本尊・薬師如来にお詣りする。
考えも進歩的なお寺のようで、こちらの薬師如来は秘仏だったのをやめて、年中拝観できるようになったという・・・有難く、とても素晴らしいことです。


        第22番平等寺・薬師如来に手を合わせて・・・

平等寺で運転をツレと交代し、ここから懐かしい海の遍路道を選んだはずなのだが・・・歩きと車の感覚の違いを思い知らされ、迷ったり、道を間違えたり散々でした。
それでもなんとか海の道を走り、前回お接待して頂いた田井ノ浜・遍路小屋を確認できて、やっと「車は車の道を行くべし・・・」と思いきれました。

別格4番鯖大師と第23番薬王寺へ詣でて、これにて徳島県の札所をすべて終了です。


   ユキノシタが咲き乱れる手水場・・・別格4番鯖大師(だと思う?)にて


    車で四国遍路   次へつづく   前へ戻る    この項のトップへ


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