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Channel: 暁庵の茶事クロスロード
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「利休のかたち」展におもふ

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     京都の永観堂にて (1月6日撮影)

 

1月10日に、松屋銀座の「利休のかたちー継承されるデザインと心ー」展へツレを誘い出かけました。2人で出かける久しぶりの銀座です。

「東銀座」駅で降りると、来月の歌舞伎座のチケット予約を・・・とすぐに決まり、売り場へ寄ると、なんと上演中の寿・初春大歌舞伎の良席が空いていたのです。早速、某日昼の部のチケットを購入し、松屋銀座へ向かいました。

 

 

以後、感想などというものではなく、勝手な独り言です。

利休形(好み)と称される展示品を見ながら、私の数少ない茶道具の中に多くの「利休形」が含まれていることに改めて気づきました。

例えば、最初に購入した楽茶碗は長次郎「喝喰」の写しです。端正な形、カセタ黒釉薬、ヤットコの跡などがあるお気に入りです。

他にも桐木地丸卓、桐木地四方棚、木地釣瓶水指、旅箪笥、角不切折敷、黒塗小丸碗、朱塗引き杯、黒塗縁高、黒塗手燭などなど。

どれも木地や漆で黒く塗られたシンプルな印象のものばかりです。

展示もしかり、とても地味で控えめで・・・けれど長い年月を経て伝えらえてきた物の持つ、静謐な美しさに惹きつけられました。

茶道具における「利休形」とは「標準形」という意味ではないだろうか・・・という意見に頷きながらも、それとは違う感情、感覚が身体を駆け抜けていくのを感じます。

・・・それはまるで、道具たちからひそやかに発せられるささやきのようでした。その日はすいていて、ゆっくり展示品を鑑賞できたからかもしれません。

 

〇 赤楽茶碗 銘「白鷺」

  長次郎作 安土桃山時代 16世紀  裏千家今日庵

 2年前の東博でこの茶碗に出逢ってから2度目の出逢いですが、その時の繊細で素朴な印象とは一味違っていました。白鷺を思わせる白い繊細な縦線が前より濃く荒々しく(ライトの当て方のせいか?)、指跡でつけられたという解説を読み、長次郎の息づかいを間近に感じる思いでした。

この茶碗に魅せられて、茶碗の面影を慕って「小鷺」と名付けた白楽茶碗(染谷英明作)を愛用しています。

 

〇 黒楽茶碗 銘「万代屋黒」

  長次郎作 安土桃山時代 16世紀  楽美術館

 長次郎作の黒楽茶碗の中でも好きな茶碗の一つで、この茶碗に逢うと、京都の楽美術館を思い出します。ほの暗く静かな展示室で何度も何度もお逢いしました。

端正な形、静かで厳しい美しさを感じます。時代を経てカセタ黒釉薬がこの茶碗をより美しく魅力的にし、何度見ても見飽きません。主張があるようでもあり、無いようでもあり、使ってみたいです。

〇 湯の釜 

  与次郎作 安土桃山時代 16世紀  武者小路千家官休庵

 釜好きなので、宗易の釜コーナーで釘付けに・・・・。

「湯の釜」は初めてのお出逢いでしたが、大きさと言い、魅力あふれる肩の形と言い、なんておおらかで素敵な釜なのだろう・・・と感動しました。最初に「湯の釜」を観たせいか、「阿弥陀堂釜」や「芦屋霰地真形(尾垂)釜」などがかすんでしまうほどでした。「湯の釜」という、これといった気の利いた名前がないのもゆかしいです。

〇 本手利休斗々屋茶碗

  朝鮮 朝鮮時代 16世紀  藤田美術館

 韓国で山清窯のミン・ヨンギ作の斗々屋茶碗を入手して以来、斗々屋茶碗の古作を見てみたいと思っていました。

この斗々屋茶碗は利休所持と伝わっているそうで、興味深く拝見しました。

斗々屋茶碗にはいろいろ特色があり、見込みが深いものは「本手ととや」、浅いものは「平ととや」と呼ばれています。「本手ととや」には高台がきっちりと削り出されている、釉薬の灰色部分と枇杷色部分がいろいろな景色を織りなすなどの特色があります。

しかし、「本手利休斗々屋茶碗」は釉薬の窯変はほとんど無く枇杷色が強く、高台が低いなど、おおらかで自由な作りになっている。それ故、静かで落ち着いた佇まいであることが利休の目にかなったのではないか・・・と解説にありました。

〇 利休形茶器 十二

  三代中村宗哲作 江戸時代・18世紀  中村家

 表千家七代如心斎が利休形茶器として制定し、三代中村宗哲が作った十二器が展示されていました。薬器、白粉解、下張、スンキリの形と名前が一致せず、茶桶(さつう)と面中次の違いなど、わかっていないことだらけに愕然とし、勉強不足を実感です。

〇 唐物丸壷茶入 利休丸壷

  中国南宋~元時代・13~14世紀  香雪美術館

 今回展示されていませんが、利休所持の大好きな茶入です。香雪美術館で不思議な出逢いがありました。ぜひ、丸壷茶入を見てほしいです。

 

 

「利休のかたち」展を拝見して、道具たちのひそやかなささやきに耳を傾けながら

「利休さんのデザインや心を深く考えながら、お茶事をしてみたい!」・・・とおもふ、懲りない茶事バカがいました(お道具もないのにねぇ~・・・影の声)

 


立礼の会の初稽古・・・in 2020

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令和2年(2020年)1月14日(火)は立礼の会の初稽古でした。

立礼の会は毎月1回、第2火曜日に開催しているので、教室の初釜(18日)に先立っての初稽古となりました。

それで、お客様を2名お招きし、お道具もいつもと少し違え、お昼に点心をお出しすることにしました。

AIさんが11時に到着。早速に初炭手前、濃茶、薄茶の準備に取り掛かり、12時にいらっしゃるお客様をお待ちしました。

お客様でお付き合いくださっているYさまは小堀遠州流のご近所さんです。もうお一人のお客様Nさんは裏千家流、初めての来庵でお会いするのが楽しみでした。

お稽古の前に手作りの点心をお出しし、AIさんと暁庵もお相伴しました。

点心は3種、かぶら蒸(蕪、アナゴ、銀杏、白ブナピー、木耳、ワサビ)、盛合せ(黒豆、鰊昆布巻、紅白かまぼこ、数の子、粟麩田楽、春菊お浸し、ミニトマト)、雑煮椀(餅、里芋、大根、人参、ゴボウ、小松菜)です。

かぶら蒸は白身魚の方がよかったかしら? ・・・作り手としてはいろいろ反省もありますが、手軽に暖かい点心を差し上げたいと思い、あれこれ迷い楽しみながら作りました。4人でにぎやかに談笑しながら完食しました。

 

(立礼席の壁床に「灑雪庵」のお軸を掛けました)

 

さて、いよいよ初稽古です。

最初に初炭手前、松唐草文炭斗(玄々斎好み)を点茶盤の中棚に莊付けておくのですが、今回は運びとしました。

初炭は12月に続いて2回目なので、だいぶ慣れてきたようです。

「どうぞお香合の拝見を・・・」とYさまからお声が掛かりました。

香合はお目出たい独楽香合、甫斎作です。

 

 

花びら餅の入った縁高が運び出され、いつものように挨拶(セリフ?)のお稽古です。

「お菓子をどうぞ。お菓子をお召し上がりになりましたら、席を改めとうございますので・・・(後略)・・」

いつかAIさんの立礼の茶事ができること楽しみに、茶事を前提としたお稽古をしています。

濃茶点前が始まりました。

丁寧にしっかりと4人分の濃茶が練られ、「お服加減はいかがでしょうか?」

暁庵もAIさんもお相伴しましたが、香りも練り加減も好く、とても美味しかったです。AIさんも満足そうでした。濃茶は天王山、山政小山園詰です。

 

 

薄茶は、小堀遠州流のYさまにお願いしていました。裏千家流とは茶巾の大きさから違うそうで茶巾を持参され、お正月から小堀遠州流のお点前を拝見することができました。

武家流なので帛紗は右に着け、袱紗捌きや茶入と茶杓の丁寧な清め方に見惚れます。皆で目を丸くして拝見しているうちに、薄茶が点ち、美味しく頂戴しました。薄茶は金輪、丸久小山園詰です。

もう一服薄茶を頂きたく、Nさまにお点前をお願いしました。

Yさま、初めてお目文字のNさま、AIさまと干菓子(霜柱と蕎麦板)と薄茶を頂きながら、茶談義が弾みました。それぞれ懸命に歩んで来た人生にどのようにお茶がかかわっていたか・・・とても味わい深いお話を伺うことができました。

このようなお話を分かち合えることが嬉しく、これからのお茶人生が勇気づけられるような、令和2年(2020年)「立礼の会」の初稽古でした。

 

  暁庵の裏千家茶道教室    前へ    次へ    トップへ

 

初釜の会 in 2020・・・(1) 準備中

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     (待合に「灑雪庵」のお軸を掛けました)

 

2020年1月18日(土)は暁庵の茶道教室の初釜の会でした。

昨年は箱根湯本の旅館・玉庭の茶席・仁庵でしたが、今年は令和になって初めてのお正月なので我が家での開催です。

初釜の数日前から雨の予報が続いていたので、早めに準備に取り掛かりました。

先ずは庭の落ち葉の掃除です。そういえば、暮れから庭へ降りていません。

開門落葉多・・・蝋梅の黄ばんだ葉が落ち、黄色の花が咲き、甘い芳香を放っていました。

当日晴れることを期待して、蹲や黒石もせっせと洗いました。長時間作業すると腰や膝が痛くなるので作業時間を1時間と決め、2日に分けてしています。

もう一つは、花の採取です。

「利休のかたち」展を見た折、展示場に設えてあった待庵写しの床に一輪の梅がいけられていました。

うす暗い床の中、凛とした一輪の白梅にしばし見惚れ、シンプルな尺八(「夜長」のような・・・)が削ぎ落された美を引きたてていました。

実は、この梅は本物ではなく、須田悦弘氏の木彫作品と知り、直島のベネッセ美術館にある彼の作品「雑草」を思い出しました。

そして、初釜の床には梅一輪を・・・と、早咲きの梅を探し歩きました。

散歩道の帷子川添いに目指す梅の木がありました。花は小さめですが、びっしりと蕾を付け、ほころび始めている花もあり、2枝を持ち帰りました。

でもね・・・煩悩が多い暁庵は、梅一輪に徹する覚悟が足りませんで、椿一輪も足しました。

 

     初釜の床の花(白梅と椿)

 

床の正月飾りに欠かせない「結び柳」、注文し忘れて困っていましたが、暮れにN氏から立派な柳が届けられ、間に合って一安心(いつも助けてくださって有難う!)。

「結び柳」があれば、あとはお軸とお花でシンプルな床飾りにしたいと思いました。

「結び柳」の由来について利休居士が
「人の門出の茶の湯ニ、鶴の一声ニ柳を結で入シハ綰柳条(わんりゅうじょう)の故事カ」
と述べた茶会記録が「茶道四祖伝書」にあるそうです。
綰柳条の故事とは、中国の漢の時代、西へ旅立つ友を長安郊外の覇橋まで送り、柳の下枝を折って輪にして手渡したことを言います。綰柳と呼ぶ環に結んで、旅に疲れた心が体から放逸しないように繋ぎ止め、一日も早い帰還を柳の環に託しました。


本席のお軸は、「応無処住而生其心」(金剛経の一節、前大徳 泰道老師の御筆)です。

いつの間にか身にくっついている煩悩を無くし、清浄無垢の真心でやるべきことに丁寧にあたりたい・・・と、自分に言い聞かせる禅語です。

 

 

あれやこれや、道具類の設え、外腰掛用の大火鉢の用意、濃茶点前の稽古など準備にいそしんでいましたが、どこか気持ちにゆとりがありました。それは昼食を懐石ではなく、松花堂弁当を外注したからでした・・・これも時々は必要ですね。

天気予報ばかり見て、初座の席入りに晴れてくれたら・・・と願っていました。(つづく)

 

      初釜の会  in  2020・・・(2) へつづく

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初釜の会 in 2020・・・(2)百人一首

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あいにく18日(土)は雪交じりの天候でした。

・・・ですが、皆さま、初釜らしくステキなお召し物で来てくださって、もう感謝感激です。

暁庵も気合を入れて、朝早く美容院で髪を結い(凄い余裕・・・)、古代紫色の紋付に金茶地唐花文の丸帯、帯締めは白で臨みました。身支度を調えると、中身や気持ちまでしゃんとして、活力が漲る気がします。

席入りは11時、百人一首のテープを流してお迎えしました。歌会始のように和歌が朗々と優雅に詠まれ、少しはお正月らしさが感じられたかしら?

   難波津に 咲くやこの花 冬ごもり

       今を春べと 咲くやこの花    王仁(わに)

手持ちの古テープはこの歌から始まります。百人一首に入っていませんが、競技かるたでは一番最初に読まれる和歌だとのことです。

 

 

詰Kさんが打つ板木の音が聞こえ、半東Uさんが温かな甘酒をお出しします。

庭の腰掛待合や蹲は使えないので、急遽、玄関先の蹲と湯桶を使って席入りをしていただきました。

ここで大失敗! 「先生!釜がかかっていません。何か特別なご趣向かな?と思いましたが・・・」とやさしいN氏。

湯桶や濡れ釜に気を取られて、釜を掛けるのをコロリ忘れていました(たしか、昨年も仁庵で同じ失敗を・・・う~ん?)。

 

 

さて、気を取り直し、ご挨拶に出ました。

  新年 おめでとうございます

  今年もどうぞ宜しくお願いいたします

お一人、お一人と新年の挨拶を交わしたのち、今年の抱負や今思うことなどをお話していただきました。

皆様のお茶への思い、目標や楽しみたいこと、近況などを伺いながら、いろいろな思いが駆け抜けていきます。

ささやかな暁庵の教室ですが、お茶の力に触れ、稽古や茶事に精進し、お茶人との交流を楽しみ、明日への活力を生み出す場になってくれたら・・・、そしてお一人お一人の状況に合わせた対応やご指導が出来たら・・・と。

(ふりふり香合・・・暮れに宇和島市に住むお茶の先輩から贈られた

 もので、嬉しい初使いです)

 

初釜の会は初稽古を兼ねているので、全員に台子のお点前をして頂きました。

真台子に青磁茶道具一式(皆具ではなく、水指は青磁太鼓胴(浮牡丹)写)、天板に花兎文大棗、ふりふり(ぶりぶりと読む)香合と羽箒(シマフクロウ)を飾りました。

台子初炭手前(N氏)から始まり、炭が熾り湯が沸く間に別室(テーブル席)にて一献と昼食を頂き、銅鑼(KTさん)で後入りし、濃茶(暁庵)、後炭(KTさん)、薄茶は全員で員茶之式と続きます。

  

(松花堂弁当にお吸い物と一献を皆で美味しく頂きました)

 

員茶之式のことを書いておきます。

正客N氏、Iさん、SYさん、KTさん、暁庵、目附:Uさん、札元:Kさんの順で席入りし、亭主M氏の迎え付けで主客総礼し、客、目附、札元は袱紗をつけました。

員茶之式では十種香札を使いますが、お正月らしく百人一首の札を使いました。

百人一首の下の句の札を引いて、札元が読み上げた札の人が名乗ってから干菓子を頂き、薄茶を喫み、点前をします。
薄茶の亭主M氏に茶碗2個を持ち出して2服続けて点ててもらい、お点前さんを一人ずらしました。

お点前の順番を一人ずらしたのは、百人一首を詠みあげるのに時間がかかること、干菓子が3種なのでお菓子も薄茶もゆっくり味わってもらいたい・・・と思い、このようにしました。

干菓子3種は、霜柱(仙台・玉澤)、蕎麦板(京都・尾張屋)、薄紅(京都・末富)でした。

 

 

ここで員茶之式と少し違うやり方を忘備録として書いておきます。

席入りし、亭主の迎え付けで袱紗を付けます(札元、目附も)。

煙草盆は今回省略し、干菓子器2つ、次いで百人一首の札が入った姫箪笥を亭主は正客前に運び出します。

「どうぞ、箪笥の一番上と二番目の引き出しから札を1枚ずつ取ってお回しください」と亭主一礼。

亭主は茶碗2碗を運び出し、お点前を始めます。(建水と一緒にもう1碗運び出す。大きめの建水に途中で変えました)

茶碗に湯が入った頃に札元は一番下の引き出しから札を取り出し、茶巾で詠みあげます。当たった人(仮にAさん)が下の句を詠むと、干菓子器が回され、茶が出るとAさんが取りに出ます。

もう一服、亭主が続いて替茶碗で薄茶を点てます。次に当たったBさんが取りに出ます。

その間にAさんはゆっくりと干菓子とお茶を頂き、飲み終わると「札およけを」と札元に言って、タイミングを計って茶碗を返し、その足で点前座へ進みます。

・・・この方式ですと、2人お点前がずれるので最後が少しややっこしいのですが、

引き出し1段目は人数分の下の句の札(1椀目)、二段目に2枚(2人2椀目を頂く)プラスババ札で人数分の下の句を札を入れて置きます。

札元は1服目の読み札を詠んだ後に2服目の読み札を詠みあげます。最後の札を詠むと、  

「これにて御終いです(本来は「これにて一巡」)」と札元が正客に挨拶します。

最終詠み札が当たったCさんはお茶を頂かずに、そのまま点前座に進み、茶碗を取り込んで総礼。仕舞付けをし、建水を踏み込み畳に置いて、自席へ戻ります。

Cさんが仕舞い付けにかかると、札元は札を元の引き出しに入れ、正客まで箪笥を回し、一同札を戻します。

亭主は建水、茶碗を引き(2碗目の茶碗は茶道口に戻しておく)、水次をして下がります。亭主が姫箪笥を取りに出て、主客総礼。

亭主の送り礼で主客総礼。袱紗を懐中して、順次退席します。

 

・・・書いてみると、すらすらといったように思いますが、実際はこの方式に慣れていないので試行錯誤でした。必要に応じて途中で新しい建水や茶巾を交換します。

 

 

あれこれお話しながら、美味しいお菓子と薄茶を頂き、全員お点前が新鮮な員茶之式(台子薄茶点前)でした。

・・・こうして、2020年、令和になって初めての暁庵の茶道教室の初釜が無事に終わり、新たな気持ちで皆、スタートです。

 

        初釜の会  in  2020・・・(1) へ戻る

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東京教室の初釜と英語の百人一首

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1月28日(火)はS先生の東京教室の初釜でした。

前日からの雨が夜中に雪になり、横浜のチベットと呼んでいる我が家はうっすらと雪景色の朝でした。

今年の初釜の水屋方は暁庵の所属する2班(I氏、Oさん、Iさん、OYさん、ルースさん、暁庵)が担当でしたので、いつもより早めに家を出ました。

 

  (これは数年前の雪の日の写真です)

皆さま、初釜らしい華やかな着物と帯をお召しなので、もうそれらを鑑賞するだけでも心浮き立つ思いです。
暁庵の初釜と同じですが、古代紫色の無地紋付に金茶地唐花文の丸帯を締め、白い帯締めを結びました(書いておかないと何を着たのか、すぐ忘れてしまうのです)。


「あけましておめでとうございます
 今年もどうぞ宜しくお願いいたします」

今年も変わりなくS先生の東京教室の初釜に参加し、社中の皆様と共に新年をお祝いできる幸せを感じました。

ご挨拶を交わすと、決められた席へ移動し、2班の皆様と「花びら餅」を運び出しました。いつもS先生が初釜に使う茶道具と川端道喜製「花びら餅」を持ってきてくださいます。

初釜は、先生の新しい年への意気込みや社中への思いを嬉しく感じる、素晴らしい時間でもあります。

 

 

S先生の濃茶の初点が始まりました。
総勢16名、心を一つにしてS先生の濃茶点前に魅入ります。
茶入が長緒でした。長緒の扱い、茶杓を清める所作、茶碗の拭き方など、何一つとして見逃したくありません。皆さまもきっと・・・。
やがて馥郁とした香りが満ちてきて、濃茶が練りあがりました。

如心斎好みの嶋台(慶入造)の鶴で頂戴しました。香り、濃さ、お練り加減好く、すっーと喉を潤すまろやかな甘みのある濃茶を二口半頂戴しました。濃茶は福寿園の「栄松の昔」(だったと思う)です。

お道具の拝見をしながら、S先生のお話を興味深く伺いました。

茶入は膳所焼の広口。黒味がかった釉薬の色が広口の形をきりりと締めているように感じ、添っている象牙の蓋のなんと薄く繊細なこと、時代を経たあめ色が心に残ります。

2つの添った仕覆も拝見させて頂きましたが、触るのが怖かったです。間道ともう一つの裂地の片身代わりが優雅で凝った作りになっていました。

茶杓は、S先生の華甲のお祝いに坐忘斎お家元から頂戴した「天眼(てんがん)」でした。形や削りがとても豪快な印象の茶杓で、ふと玄々斎の茶杓を思い出します。

「天眼」とは、天人の眼を持ってものごとを見るように・・・なにか心の奥底まで見通すような、鋭さと優しさを持った眼なのでしょうか・・・。

 

  露地の敷松葉が美しく色を染め上げて・・・

 

S先生の濃茶が終わり、員茶之式で全員で薄茶を点て、薄茶を頂きました。

今年は2班が担当なので、亭主はルースさん、札元は暁庵、目附はIさんです。

百人一首の札を十種香札の代わりに使うことにしました。昨年、京都国立博物館で「三十六歌仙」展があったのに因み、百人一首に含まれる三十六歌仙の歌22首から16首を選び、Iさんと二人で詠みあげました。

ルースさんはアメリカ人の素敵なお茶人さんです。事前に百人一首を勉強して初釜に臨みました。

いよいよルースさんの札の番になり、次の札を詠みあげました。

 

     清原元輔

  ちぎりきな かたみにそでを しぼりつつ

        すゑのまつやま なみこさじとは

(現代訳・・・かたく約束しあったことでしたね。お互いに涙で濡れた袖をしぼりながら、あの末の松山を波が越すことがないように、二人の仲はいつまでも変わりますまいと。)

 

すると、ルースさんが英語でその和歌を詠みあげました。 

       Wringing  tears  from  our  sleeves,

       did  we  not  pledge  never  to  part,

       not  even  if  the  waves  engulfed

       the  Mount  of  Forever-Green  Pines ー

  what  caused  such  a  change  of  heart ?

 

流暢な英語を聞き取れた方もいらしたかもしれませんが・・・思わず「 Once   more,  Please!」

でもなんか、国際的な員茶之式になって楽しかったし、ルースさんの真摯な取り組み(16首の英訳とその意味をしっかり勉強して臨んでくださいました)に感動しました。

 

 

員茶之式の後、三友居のお弁当と吸物の昼食を囲み、S先生や皆様といろいろなお話が和やかに交わされて、これもすばらしいことでした。

・・・・こうして令和2年のS先生の東京教室の初釜が無事終わりました。 今年も 

 

 

しばらくお休みします

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三寒四温の季節ですが、今日は4月の陽気とか。

2月9日(日)の早暁、寒気で心身が引き締まる中、念願の暁の茶事にてお客さまをお迎えしました。。

いろいろ茶事のことなどブログに書きたいのですが、用事が重なりまして、しばらくブログをお休みいたします。


新型コロナウイルスの感染が国内でも広がっているようですが、
どうぞ気を付けて風邪などひかぬようにお過ごしください。

また、ブログにて元気にお会いいたしましょう。     暁庵  

 

皆さま、ご無事でしょうか?

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 (まだ満開の「私のサクラ」、今年は花期が長くて嬉しい・・・4月6日撮影)

 

皆さま、ご無事でしょうか?

 

昨夜は満月、しかもスーパームーンでした。

本当は・・・4月8日は安芸の宮島の献茶式に参列の予定で、そこで満月を見るはずでした。9日は山口県柳井市の茶友Oさまの茶事に3年ぶりに伺うのを楽しみにしていました。

・・・いろいろの予定がすべてキャンセルになりました()。きっときっと皆さまも同じことでしょうね。それでも、静かに穏やかに日々が過ぎていき、無事であることを感謝しています。

コロナウイルスの嵐が吹き荒れる最中ですが、ブログに無事帰ってまいりました。ぽつぽつと参りますのでお付き合いくださると嬉しいです。

 

    (風雪に耐える「私のサクラ」です・・・3月29日撮影)

 

2月24日に関西からのお客さまをお招きして「梅ごよみの茶事」を催したのですが、思えばコロナウイルスの猛威がすぐそばに迫っていました。

茶事が終わり、数日後にLos AngelesからいらしていたONさまから無事に帰国したとのメールを頂いたとき、「あぁ~無事に帰られてヨカッタ!」と安堵したことを今も鮮明に覚えています。いつ出入国がストップになるかもしれないという危機感を感じていたから・・・。

中国をはじめイタリア、スペイン・・・そしてアメリカなど全世界でコロナウイルスの感染者と死者が増加していって、2月に感じていた危機感(恐怖感)が現実となって迫ってきました。

New York市にこのブログで知り合ったメル友がいます。とても心配で「ご無事でしょうか? 恐る恐るお尋ねします・・・」というメールをしました。いつも長文のメールをくださるOHさまからのメールは短い2行、それもバクって読めませんでした。

でも、それで十分でした。New Yorkで何が起こっているのか、OHさまがどのような状況に置かれているのか、ご無事なのか・・・心配ですが、遠くから祈るしか手だてがありません。

スウェーデンのOさんからもメールが届きました。日本より規制が厳しく、高齢者は感染リスクグループに属すそうです。メールの一部を以下に掲載させて頂きます。

 Oさんのメール(3月28日付)

コロナビルスで大変な時ですが暁庵先生お元気ですか。お茶のお稽古もできない状態ではないのでしょうか。

私は感染リスクグル-プに属するので 孫にも会えないし買い物にも行けないし散歩だけできる環境状態です。買い物は娘達や孫がやってくれます。それでもイタリアなどに比べると散歩だけはできるので助かります。

日本は関東と北海道が感染者が多いと出ていますが 先生の周りはいかがですか。

あまりにも便利な世の中になって感染するのもすごい速さで世界中に広まってますね。すべてのイベントがキャンセルになっています。 

お茶の自主稽古したり 今日は桜餅を作り 又10年ぶりにギタ-を出してみました。散歩に行くと春の変化が毎日発見でき 小さな喜びを楽しんでいます。電車やバスにも乗れないしこの環境で出来る事を楽しんで一日も早く解決を望むしかありません。・・・(後略)

 

 

 暁庵のメール(3月28日付、一部抜粋)

Oさん、メールをありがとうございます。

スウェーデンの感染者数が意外と多いので、Oさんのことを心配しておりました。

いろいろ制約はあるようですが、お元気そうでなによりでございます。近況を伺って少し安堵しました。

日本は中国、韓国に次いで早めにコロナウイルスの感染が始まりましたが(特にクルーズ船を含めて)、その後小康状態にあったので3月末には終息するのではないかと期待していました。

そのゆるみがあったのでしょう・・・ここにきて患者数が増えてきて、この先どうなることかしら?  予断を許さない状況で3月28日と29日は不要不急の外出はしないようにとの勧告がでました。3日に1度スーパーへの買い物をし、2時間くらいの春たけなわの野山へ散歩へ出かける毎日です。

それでも私はご希望の方があればお茶のお稽古だけは淡々と続けています(注、3月末からお稽古はお休みしています)。アルコール消毒、各服点、茶巾も各服で変える、マスク可などの出来る対策をして臨んでいます。

今日、愛媛県に住むKさまというお茶の先輩に電話しました。

12月20日頃から3ヶ月、アメリカ・テキサス州に住む息子さんの所へ出かけていたので、帰国したかどうか? とても心配していました。

「3月22日にぎりぎりで日本へ戻ってきました。今は自宅にいます。息子たちはアメリカの方が安全だと引き留めてくれたのですが、どうせ死ぬなら、日本へ帰って自分の家で死にたい!」と思ったそうで、Kさまのお話に大いに共感しました。

出来るだけ気を付けますが、私もお茶を続けながら死ぬなら本望かもしれません・・・人間いつかは死ぬのですから・・・。

Oさん、お体にはどうぞ十分気を付けてお過ごしください。

 

 

そして、皆さまも出来る対策をしっかりして、この危機を乗り越えましょう。 暁庵も 

 

 

卯月のある日 ベランダで

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    一重の「山吹」の群落・・・散歩道の土手でパチリ

 

4月8日に、新型コロナウイルス感染症に関する緊急事態宣言が出されました。

8日の全国の感染者数は520人、初の500人越えだそうです。東京都で144人、暁庵の住む神奈川県でも65人増で、それぞれ最多の感染者数になりました。

どこまで増加するのかしら、いつ減少に転じるのでしょうか・・・驚きと不安が交錯します。それに緊急事態宣言の対象地域だけでなく、地方の感染者数が増えているのが気がかりです。

(詳しくはこちらで確認ください  https://covid-2019.live/ )

・・・ここまで書いたところで玄関のチャイムが鳴りました。

届いたのは木製パラソル、不要不急の物ですが、今までベランダで使っていたパラソルが痛んできたのでネットで注文しました。

 

  今年は珍しく6つも花をつけた「花かんざし」

 

   あっという間に葉を伸ばした「擬宝珠 (ギボウシ)」が逞しく眩しい

 

卯月(4月)になると、草や木々の新芽が一斉に伸び出して、花は次々と咲き乱れ、庭は輝くような生命エネルギーに満ち溢れます。

今まで植木鉢の中で息を潜めていた草花も逞しく成長し、気が付けば小さな蕾を付けています。

小さな庭ですが、若葉の色に包まれ爽やかな風に吹かれながらベランダでお稽古をしたら・・・と思い立ちました。

今、お稽古をお休みしています。

もし連休明けにお稽古を再開することができたら、ベランダ茶会のような立礼席を設えて、茶箱の卯の花や雪点前をしてみようと、せっせと準備しています。自分が置かれた状況の中で、少しでも前向きに考え、行動できれば・・・と思います。

 

  射干(シャガ)・・・だいぶ増えたけれどもっと増やしたいお気に入りです

 

  風鈴苧環(フウリンオダマキ)が次々と咲いています

 

  「碇草(イカリソウ)」・・・活けるのが難しい花です

 

卯月のある日 ベランダで

  外はコロナウイルスの嵐が吹いているけれど

  小さな庭は私の平和な”秘密の花園”

  冬の間 ベランダの植木鉢で眠っていた草花が

  卯月の陽光に目覚め 柔らかな若葉色に染まっていく

  新しいパラソルをベランダに広げて 茶箱の雪点前

  お気に入りの菓子「令和」を勧め 無心に茶筅を振る

  お客がツレ1人なのが ちと寂しい・・・・

  たまに聞こえる鳥のさえずりが一番のご馳走かな

  もう一服いかが?

 

        

 

 


卯月のある日 散歩道で

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    (遍路道Cの入り口です。進むのが勇気がいるような・・・)

 

4月11日 午前中に散歩へ出掛けました。

右膝が急に痛くなったので大事を取り、3日ぶりの散歩です。

左右の膝、右肩(右手が上がらない・・・)、腰痛など爆弾をいくつも抱えていて、何かの拍子に急に痛くなります。脊椎調整術マッサージ(気功)を受けに「にしおか治療院」へ行きたいのだけれど、遠く(?)へ車で外出するのをためらっています。

それでも1時間くらい散歩すると血行が良くなるのでしょうか、膝の調子は確実に良くなるから不思議です。体力と筋力維持のためにも散歩を頑張っています。

 

家の近くに四国の遍路道を彷彿させる散歩道が4つあり、遍路道A、B、C、Dと名付けました。

その日は遍路道Cを選びました。一番歩きにくい遍路道で、通る人はほとんどいないと思われます。落ち葉が深く積もり、倒木の枝や根が足に絡まり、もうじき草が伸び始めると蛇が出てくるので歩けなくなります。

入り口は分け入るのがためらうほど藪が高々とトンネルのよう・・・でも踏み入ると、藪の中から鶯の鳴声が「よくいらっしゃいました!」とばかり清く高らかでした。

途中に畑があったのですが、耕す方(一度お話したことがあります・・・)が亡くなられたのでしょうか・・・荒地になって野の花が咲き乱れています。

 

(畑だった空き地、荒れています。見晴らしが好く野の花が・・・)

 

     薺(ナズナ 別名ぺんぺん草)の大群落

 

薺(ナズナ)、関東蒲公英(タンポポ)、仏の座、姫踊子草、酸模(スカンポ)、野罌粟(ノゲシ)など、帰ってから「野の花」(角川書店)で名前を確認するのも楽しみです。

畑を過ぎると、木々に覆われた山道になります。ここで人に会ったことはありません・・・。

 

  (・・・先に歩いてもらいます)

(稲荷社が木立の奥に祀られていて、異次元空間かも・・・)

 

  

山道を進むと大きな藁拭き屋根の家が現われ、どうやら遍路道Cはこの家の裏山や畑への生活道かもしれません。

公道に出てから帷子川添いの道を進みます。

帷子川には八重桜の並木が2キロほど続いていて、今まさに満開でした。

 

  (毎年見守っているけれど、大きく育って見事な八重桜の並木です)

 

    (清来寺近くの帷子川と八重桜の並木)

 

  (帷子川は岩盤が多く、所々にこのように見ることができます)

 

全行程で1時間30分くらいの散歩中にすれ違った人は数人、お互い意識して距離を取り、散歩中でもマスクをしている人が多かったです。

午後3時にベランダでツレと薄茶一服・・・緊急事態宣言が発動された今は家が一番やすらぎますね。

 

(ベランダには先住民の植木鉢がいっぱい、一緒に一服です)

 

 (新しいパラソルを広げたベランダ席・・・あれこれ模索中)

 

(茶箱・雪点前で薄茶を点てました)

(絵唐津の徳利に射干(シャガ)を生け、ベランダ席へ)

美味しいお菓子と薄茶を頂くと、なんか元気と勇気が出てきます。    

 

「春を惜しむ茶事」と新型コロナウイルス

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  「桜は来年も帰ってきます。人の命は帰ってきません」   

          (山中伸弥所長便りより  2020年3月26日)

 

3月25日に開花してから花吹雪となって去って行った4月10日頃まで、長期間私を楽しませてくれた桜たち・・・ 

その間台所の窓から「私のサクラ」を眺めながら、4月5日に開催予定だった「春を惜しむ茶事」のシュミレーションをしたり、新型コロナウイルスの嵐が迫りつつある中で開催すべきかどうか・・・迷う日々でした。

暁庵なりにいろいろ葛藤があったので、こちらに記しておこうと思います。

 

(3月中は専ら「平常心是道」のお軸を掛けました)

 

開催中止を決めたのは3月30日、決断するとすぐに次のようなメールを送りました。

 「春を惜しむの茶事」のお客様へ

外出自粛の3月29日(日)には雪が降り、満開の桜に雪が積もるという珍しい光景でした。 皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

誠に残念ですが、4月5日(日)の「春を惜しむ茶事」を中止させて頂きます。

懐石方のYさまが明日に仕入れの注文をされるとのことで、ぎりぎりの判断になりましたこと、お許しください。

新型コロナウイルスの拡大が心配される中、お客様の安全安心を第一に考えての決断です。何卒ご理解のほどをお願いいたします。

新型コロナウイルスとの戦いは長期戦が予測され、しばらくは予断を許しません。

世の中が落ち着き、安心して笑顔でお茶事に迎えられる目途がつきましたら、すぐにもお声掛けしたいと思っております。

皆さま、くれぐれもお体に気を付けてお過ごしください。   暁庵

 

往生際が悪く、やっと中止を決断するまで心が揺れ動きました・・・。

前にも書きましたが、愛媛県在住の先輩Kさんの言葉が頭に強烈に残っていました。

Kさんは「どうせコロナで死ぬなら日本で、自分の家で死にたい」と思い、息子さんたちがアメリカの方が安全だから・・と引きとめたけれど、日本へ帰って来たのでした。

そのお話を伺った時、茶事を開催すべきか迷っていたのですが、

「茶事をしながら死ぬのは本望・・・人間いつか死ぬのだからそれも良しかな」と我儘な考えが頭をよぎっていました。

でも、3月29日に志村けんさんが新型コロナウイルスによる肺炎のため亡くなられたことが報道され、日本中に衝撃が走りました。

その壮絶な闘病や死に際の実情(治療薬がない、家族や友人にも看取られず、遺体はすぐに荼毘に付され、火葬場での最後の見送りもできなかったなど・・・)を報道で知り、「新型コロナウイルスで死にたくないし、お茶を愛する人たちを道連れにするわけにはいかない・・・」と強く思ったのでした。

なんとしても、新型コロナウイルスに打ち勝つように出来るだけの努力をしよう・・・と。

 

(命が一番大切なことを気づかせてくださった志村けんさんに合掌 ・・・写真は時事通信フォト)

今、暁庵の茶道教室は5月6日までお休みしています。楽しみにしていた5月5日のM氏(社中)の初風炉の茶事も残念ながら中止になりました。

 

一日も早く感染が防止され、笑顔でお茶の出来る日常が戻りますよう、やるべき対策をしっかりやって頑張りましょう。 きっときっとその日が来ることを信じて・・・

 

(季節はめぐり、イチハツを生けてみました。お軸は「隅田川」です)

 

 

茶杓を拭く日日

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   「日日是好日」  前大徳 柳生紹尚和尚筆

 

茶杓4本をテーブルに並べました。

4月から夏にかけて茶事で使いたいと思っていた茶杓たちですが、当分出番はありません。

しまい込む前に少しでも色艶がよくなるように・・袱紗でせっせと拭いています。

 

1本目、銘「好日」という古竹の茶杓。

禅語「日日是好日」に由来する銘が好ましく、節から上部と下部とで景色がまるで違うので、物語りを感じます。

せっせと袱紗で拭いていると艶が出てきて(ツレは気のせい・・と言いますが)、今一番のお気に入りかも。 近い将来にこの茶杓を使うことができたら~と切に願います。 

 

 (ソメイヨシノと八重桜が帷子川のあちらとこちらで咲いていました)

 

   (ギャラリー&カフェ「寧」の看板)

 

2本目は銘「寧(ねい)」、煤竹で節の上部にある数本の樋が美しい茶杓です。

2017年6月にギャラリー&カフェ「寧」で開催された染谷英明氏の茶盌展がご縁で、いろいろ不思議な出逢いがありました(詳しくは「茶杓寧のこと」をご覧ください)。その時に「寧」という銘の茶杓が欲しくなり、染谷英明氏(趣味で茶杓を削っています)に削っていただきました。

しばらく使っていなかったので、そろそろ茶事に使ってもらいたいです。

 

   (潮騒とサンセット・・・四国遍路・室戸にて

 

3本目は銘「颯々」、銘が気に入って求めた茶杓です。

「颯々」とは、風の音や風の吹くさまという意味ですが、四国遍路中に聴いた自然のサウンドを思い出します。

遍路笠を吹き飛ばすような強風の音、汗ばむ頬を優しくなでる風の触感、騒ぐ心をなだめるような波の音、宿からの出立をためらうような雨の音、小さなお堂に降りこめられた時の雨音、険しい遍路道の鈴のね・・・・。

白竹の茶杓は素朴で自然体で何の変哲もないのですが、語りかけてくる「颯々」にいつも圧倒され、勝手に感動しています。

白竹なので拭いているうちによくなるかしら・・・(何処からか、「その茶杓はそのままで、ありのままでよいのだよ・・・」と言う声が聞こえてくような・・・)

 

 (昼咲月見草と古い道しるべ・・・四国遍路にて

 

4本目は銘「ホトトギス」(利休写)。白竹の華奢な茶杓で、蟻越しの節から上に少しゆがみがあります。

横浜の自宅近くではホトトギスの鳴き声を聞いたことがありませんが、2019年5月末、四国遍路中の明け方に2度も聞けて、もう大感激でした。

   ゆきやらで山路くらしつほととぎす

      今ひと声のきかまほしさに     源公忠(みなもとのきんただ)(拾遺106)

【通釈】行きすぎることができずに、山道で日を暮らしてしまった。時鳥のもう一声を聞きたさに。(千人万首より)

 

それで、5月の初風炉の茶事や朝茶事に使えたら・・・と求めたばかりでした。

来年になるかもしれませんが、新型コロナウイルスが終息したら・・・と出番を静かに待っています。

 

  (藤がはや満開です・・・4月11日撮影)

 

さて4本の茶杓を並べて袱紗でせっせと拭いています。

時間だけはいっぱいあるので日に何回か拭いていますが、それぞれの個性やエピソードに触れることになり、元気をもらっています。 

 

本占い・・・「主人公」

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  (土佐水木と岩根絞り(最後の蕾です)、花器は小代焼)

 

   (ベランダ席・・・丸いテーブルにしてみました)

 

皆さま、新型コロナウイルス対策で外出自粛の折、家の中でどのように過ごしていらっしゃいますか?

一人遊びはしていますか? 片づけ物ははかどりましたか? ・・・とっても興味があります。

暁庵は生来の怠け者で、掃除や片づけ物が苦手です。

それでも、この機会に本を半分に減らしたいと重い腰をあげました。

2階にある書斎の本棚は既に飽和状態で、重量的にも床が持つか心配になっています。

本棚の一段を選び、A(処分)とB(お茶関係で処分)の2つの段ボールに分けてみました(先ずはウォーミングアップから・・・)。

2日目は段ボールの数を増やし、ツレも動員し、いらない本をどんどん選んでいきました。

ツレは再点検して、残す本、廃棄する本、売れそうな本、寄付する本、文庫本、漫画などに分類して紐で縛っていきます。

 

  (今、茶室に段ボールと本があふれています)

 

愛読書で捨てられなかった本や大好きな漫画(ベル薔薇・・)も思い切って捨てました。それでも、呆れられながら「ガラスの仮面」は残しました・・・。

お茶関係の本や雑誌はなかなか捨てられず、占有率が多くなってしまいそう・・・もう一日増やして、お茶関係の本を整理する予定です。

いつものことですが、読みたい本や読んでいなかった本がたくさん見つかり、手元に積んであります。

その中に「心が晴れる禅の言葉」(赤根祥道著、中経の文庫)がありました。いつ買ったのか、自分で買ったのかも定かでありません。

大昔、高校生だった時、ハチこと村田先生(お河童頭のユニークな先生だった・・・)に教えて頂いた聖書占い(違う言葉だったかも?)を思い出しました。

一日一回、または迷い行き詰まった時、聖書を無作為に開くと、その頁にその時に必要な言葉や背中を押してくれる言葉が書かれている・・・と。

バスの中だったけれど、先生は実際に聖書を開いて、その頁に書かれていることを噛み砕いてお話してくださったことが鮮明に思い出されます。

新型コロナウイルスとの戦いが続く中、聖書占いのように何か啓示が欲しいと願いながら、「心が晴れる禅の言葉」を開けてみました。すると・・・。

 

「主人公惺惺着(しゅじんこう せいせいじゃく)也」 河野太通師筆

 

そこには「主人公」・・・本来の自分を覚ましつづける   出典「無門関」

人は、本当に自分自身の主人公でいるかどうか、きわめて疑わしい。

他人のちょっとした批判を気にして、その言葉に引っかかり、何日も何日もこだわり続けている。自分の主人公は、他人になっていて、本当の自分はどこかへ置き忘れてしまっているのだ。・・・(中略)・・・

人は真の主体性をもつことが何よりも大切だ。

 

ウ~ン・・・ざっくりと心に突き刺す禅語でした。自分を見失って、おろおろしている自分を、まるで映画のように見るようでした。それに時々、自分で自分がわかっていない・・・と思うことがあるからです。

今日は、「主人公」の色紙を掛けて、その意味するところをじっくり考えてみることにしましょう。   

    

「在釜」と門扉アート

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   (展示中の「猫」の絵です・・・4月18日撮影)

 

(「木蓮」(鏑木清方画)・・・3月29日の雪の日に撮影)

 

直島(香川県香川町)を訪れた時のことです。

家々の窓辺や玄関や家壁に飾られている絵や花や創作アートに出会いました。直島に散りばめられた芸術作品の一つとして、住む方のそれぞれの感性で楽しんでいる町角アートが心に残りました。

・・・そんなことを思いだしながら、30数年を経た我が家の門扉に絵を飾って門扉アートを楽しんでいます。

絵の入っている額縁は、金具が付いた古箪笥をリメイクした壁掛けです。もう7年ほど前になりますか、京都・知恩寺の手づくり市で購入したもので、金具がすっかり錆びていい感じになっています。

最初は「在釜(ざいふ)」をお知らせするためでした。

「在釜」とは、「今、釜をかけています」という意味です。茶会や月釜の入口に紙が貼られたり、木札が掛けられているのを見かけた方もいらっしゃることでしょう。

我が家の「在釜」は、お稽古やお茶事にいらっしゃる方に「今、釜がかかっていますので、どうぞお入りください」という意味で掛けています。

もちろん、「茶会をしているのでしょうか?」「お稽古を見学してもよろしいですか?」とノックがあれば、喜んで薄茶一服を差し上げる心づもりでいます。残念ながらそのようなお茶好きの勇者は未だ現れませんが・・・。

 

     (先週まではこちら・・・「朧月夜と瀧櫻」(千住博画))

 

絵葉書サイズがピッタリなので、頂戴した絵葉書、美術館で買い求めた絵葉書、他にも本や雑誌の切り抜きなど、展示できそうなものをいろいろ集めています。

町角アートのように、社中の方や通りがかりの人がちらっと見て楽しんでくれると嬉しいです・・・。

 

 (久しぶりの「在釜」・・・下の植物は大好きな「雪の下」)

 

このような折ですが、昨日、お茶関係のお客さまが来られ、久しぶりに「在釜」が掛けられました。詳しくは次回に続きます。    

 

 

ベランダに颯々の風が・・・

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   (枝折戸のアーチのジャスミンが咲き始めました)

 

2週間前、立礼の会のAIさんから次のようなメールが届きました。

 暁庵先生へ

4月28日にお伺いします。卯の花も雪点前もお点前は忘れてしまいましたが、可愛く楽しかったような、宜しくご指導願います。

ところで、お稽古用ですが朝鮮風炉があり、灰はありませんが、もしよろしければ先生に使って頂ければ嬉しく思います。釜の方は、今日手入れに出したところで、1か月程かかるそうです。

両方揃ってから、と思いましたが、20年程そのままでしたので風炉だけでも見て頂ければ、と思います。先生のご都合宜しい時をお知らせ頂ければ車で玄関まで持っていきます。

まことに不躾な申し出ですが、宜しくお願いします。

コロナもなかなか収まらず、どうぞご自愛くださいませ。  AIより

 

   (小判草とアケビを簗篭にいけました)

 AIさまへ

ありがとうございます。是非ぜひ朝鮮風炉を使わせてください。

実は今日(10日頃)、今日庵のお家元からハガキが届きました。

「緊急事態宣言に該当する地域はもとより該当しない地域も含め、稽古場の封鎖の検討をお願いします」という内容です。

・・・それで、先ほどお知らせした4月28日のお稽古は中止にします。朝令暮改でごめんなさい。お稽古はしませんが、よろしければ朝鮮風炉を見せてくださいませんか。

風が心地よいベランダで、茶箱・雪点前にて薄茶を差し上げたいと思います。くれぐれもお稽古ではありませんので・・・。     暁庵より

 

 (時々ベランダでツレと一服しています・・・)

  (三密を避けてベランダ席を設えました)

 

立礼の稽古を始めたものの、なかなか朝鮮風炉を用意できずにいたのでした・・・。

AIさんのお心遣いが嬉しく、玄関で荷物を受け取ると、早速ベランダ席へご案内しました。

颯々の風が通るベランダに2mの間を取って、三密(密集、密接、密閉)にならぬように席を設えました。

若葉が一番美しい時期なので、庭が良く見える位置に椅子を置き、点前座は対面にならないように気遣います。ポット使用、笊盆に替茶碗2個と茶巾皿に茶巾2枚を用意しました。

四国遍路を思い出しながら茶箱雪点前で薄茶をお点てしました。

替茶碗は「北欧デザイナーによる茶碗」、松ぼっくりとレースフラワーがそれぞれデザインされています。小ぶりだし、北欧の自然をモチーフにしているので茶箱や野点にピッタリです。

お菓子は「古鏡」、山形県鶴岡市の大好きな名菓です。

 

 

もう一つの対策、お話しが弾むのでは・・・と思い、マスク使用をお願いしました。

「あっ!いけない。マスクをしたままではお茶は頂けませんね 

いつもながらユーモラスなAIさんのお話に大笑いしならお茶を頂き、近況をお話していると、免疫力がぐんと上がる気がします。

「また当分頑張りましょう!」というエールを交わし、短い時間でしたがたくさんの元気をもらいました。

今度会えるのは連休明けでしょうか? 無事に元気で会えますように・・・

 

 

「夜長姫と耳男」を読む

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   (稲荷社の丘から見るしだれ桜・・・3月24日に遍路道Dにて)

 

少し前の話になりますが、3月になると、新型コロナウイルスを身近に感じるようになりました。その疫病の正体がつかめず、得体の知れない魔物がじわじわと迫ってきます。

不条理の恐怖・・・戦争やナチスのように逃げ場のない恐怖を本能的に感じるようになりました。

・・・そんな時になぜか、坂口安吾の小説「夜長姫と耳男」(岩波文庫「桜の森の満開の下・白痴」に収録)を読み返してみたくなりました。

それは、最初はホーソー(疱瘡、天然痘)で村人の5分の1が亡くなった。やっとホーソー神が去ったと思うと、50日もたたないうちにホーソーより恐ろしい疫病がやってきて、村中に蔓延し、人がキリキリと死んでいった。そんな極限状態で展開される、夜長姫と耳男の凄まじくも美しい愛と死の物語だからです。

「桜の森の満開の下」とともに、坂口安吾の小説の中で大好きな一編です。

 

 

     (村の入口にまつられた青面金剛庚申塔)

あらすじは、

耳男(ミミオ)という若い飛騨の仏師が、長者の一人娘・夜長姫の16歳の誕生日までに姫の今生後生を守るミロクボサツを彫るように依頼され、長者の屋敷内に小屋を建て、3年かけて仏を彫り始めます。

夜長姫は、光り輝くような美しい姫だが、恐ろしいほどの残虐性を持っていて、一目で夜長姫の虜になってしまった耳男の心を苦しめる。

姫のあどけない笑顔と血の匂いが立ち込める残虐さに立ち向かうため、耳男は蛇を殺し、生き血を呑みながら、心身を賭してミロクボサツを彫り上げます。

耳男以外の誰も彫れない気迫のあふれたホトケはミロクボサツとはかけ離れた仏像(悪魔逃散のためのバケモノのような仏像)でしたが、夜長姫の気に入り、耳男は引き続き屋敷にとどまって、姫の顔を写したホトケを刻ませてもらうことになった。

そのころ、ホーソーがはやり、あの村でもこの里でも死ぬ者がキリもなかった。夜長姫は耳男の彫ったバケモノの仏像を屋敷の門前に据えさせ、自らは高楼に上り、村はずれの森へ死者が運ばれていくのを、満ち足りた様子で見ていた。そんな姫に耳男は底知れない恐ろしさを感じるのだった。

やっとホーソー神が去って行って安堵したのも束の間、50日も経たないうちにもっと恐ろしい疫病が村に蔓延し始めた。耳男の彫ったバケモノのような仏像も全く歯がたたない。それでも、その仏像の祠にすがって死ぬ人を、畑で鍬を持ったまま死ぬ人を、姫は高楼からニコニコと見ているのだ。

姫は耳男に蛇をたくさん取ってくるように命じ、蛇の生き血を呑んで、死骸を高覧の天井に吊るさせた。耳男は夜長姫の命令に従い、蛇をとっては殺し、蛇の死骸を天井に吊るし続けた。

高楼から村人たちが疫病でキリキリ舞いをしながら息絶える様子を笑いながら見ている姫に、「ヒメが村の人間をみな殺しにしてしまう」「このヒメを殺さないとチャチな人間世界はもたないのだ」と耳男は思った。

心がきまると、耳男はためらわず、強い力に押されるようにヒメの胸にキリを打ち込んだ。

ヒメは耳男の手をとり、ニッコリとささやいた。

「好きなものは呪うか殺すか争うかしなければならないのよ。お前のミロクがダメなのもそのせいだし、お前のバケモノがすばらしいのもそのためなのよ。いつも天井に蛇を吊して、いま私を殺したように立派な仕事をして・・・・」

ヒメの目が笑って、閉じた。

オレ(耳男)はヒメを抱いたまま気を失って倒れてしまった。  (終)

 

  春の木神社の密教塚(横浜市旭区東希望が丘)

(江戸時代中期この地に疫病が流行り、死者の家財や衣類を焼いた灰を埋め、弔った塚という)

密教塚にはタブノキの大木があります

(クスノキ科の常緑樹で、名前の由来には諸説あるが、神事との関連が深く、「霊(たま)が宿る木」を意味する「タマノキ」から転訛したという説がある)

 

「夜長姫と耳男」を何度も読み直しています。

正体不明の恐ろしい疫病はまるでコロナウイルスみたいです。疫病が蔓延していく中、夜長姫も耳男も追い詰められていくのですが、その表現がヒメの笑顔であり、たくさんの蛇を殺して天井に吊るすことであり、それに狂ったように専念する2人の姿でした。

そんな極限状態の中で研ぎ澄まされ、やがてヒメの死へと浄化されていく二人の情念がうらやましくも美しくも感じられるのは私だけではないと思う。

夜長姫の最後の言葉がいつまでも心に響いています・・・。 

 


金襴と銀欄に逢う

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     (新緑が美しい散歩道)

 

歩きすぎたのでしょうか? 4月半ばに歩行がつらいほど右膝が急に痛くなりました。

・・・それで散歩に行けず、足(膝)や上半身(肩)のストレッチを心がけて過ごしました。

1週間たつと嘘のように右膝の痛みが消えて、また散歩へ出掛けています。

 

   (濃紫の花房が美しいアケビ)

 

我が家の近くには雑木林の茂る里山や畑があります。足を延ばすと緑の色濃い丘陵や谷戸が点在していて、人にほとんど会わずに散歩ができる、横浜の貴重な田舎です。

今日はツレが知人から聞いたという場所に「金襴と銀欄」を探しにいきました。

「金襴と銀欄」は山野草の一つで、春になると黄色と白の綺麗な花が咲き、黄花は「金襴」、白花は「銀欄」と呼ばれています。

 

       (かわいらしい金襴)

        (清楚な銀欄)

時々通る散歩道に咲いているのを発見!

2週間前にもそのコースを通ったのですが、まだ咲いていなかったのと、まさか「金襴と銀欄」が身近なところに残っているとは・・・思ってもみませんでした。一昔前までは里山のどこにでも「金襴と銀欄」が咲いていたそうですが、今は幻の山野草と思っていました。

いつまでもその里山で咲いてほしいと願っています。

 

    (こちらはホウチャクソウです)

今日は1時間15分ほどの散歩コースでしたが、100段の階段があったのでひと汗かきました。でも、確実に筋力がついてきたのを実感しています。 

おっくうがらずに日々の散歩を頑張りたいです。 

 

 

五百生のお茶のご縁

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(5月の朝のしののめ うら若草の萌えいづる 心まかせに)

 

本を処分しようと、茶室に本が入った段ボールがたくさんあります。

コロナウイルスの緊急事態宣言が解除されたら、すぐに処分するつもりですが、今や茶室は楽しい「古本屋さん」です。

捨てるつもりの本や雑誌「なごみ」をつい手に取ると、面白そうな記事を見つけ、そこに座り込んで読みふけります・・・時間があるのが嬉しい!

そんな中に「心に響く100の言葉」(特別保存版 PHPアーカイブス)がありました。著名人の座右の銘に本人の解説を添えて掲載されたもので、時代を生き抜く知恵の「ことば」100編を厳選して紹介しています。

 

      (いまや茶室は古本屋さん?)

いろいろな方とお茶のご縁がありました。

惜しげなく根気よくご指導いただいた先生方、暁庵の茶道教室の門を叩いてくださった生徒さん、暁庵の茶事や茶会へお出ましくださったお客さま・・・思い返すと、実にたくさんの方と不思議な出会いがあり、ご縁がつながりました。

・・・・お茶の神さまが時に応じて、必要に応じて、ご縁をくださったと勝手ながら考え、厚く感謝しております。

 

  (日々是無事を感謝・・・春の木神明社にて

 

「心に響く100の言葉」で心に飛び込んできた言葉がありました。

仏教詩人・坂村真民(1909~2006)の座右の銘の仏語です。真民先生はツレの高校時代の恩師でもあります。

 

 聞法因縁五百生(もんぽういんねんごひゃくしょう)

 同席対面五百生(どうせきたいめんごひゃくしょう)  仏語

 

五百ぺん生まれ変わりした長い深い因縁のおかげで、今この尊い教えを聞くことができた。席を同じうし、顔を合わせることができた。なんとありがたいことであろうかという仏語であって、お茶でいう一期一会とまったく同じである。

わたしは、この言葉が好きで仏教が好きになったのであるが、人生というものは、このお言葉のように、深いえにしの不思議な出会いなのである。  坂村真民

 

・・・・とても深く頷ける仏語でした。

今私は、五百生の不思議なお茶のご縁に驚き、感謝するとともに、そのご縁を深めていきたい、そのために努力したい・・・と思っています。  

こたびのコロナウイルスのことも五百生の一試練かもしれません・・・。       

 

     

夢に着物が・・・

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(「無心帰大道」のお軸を掛け、藤の花をいけてみました・・・5月1日))

 

・・・夢を見ました。

前後は覚えていないのですが、着物がしきりと夢の中で訴えている・・・ようでした。

起きると、忘れないうちに箪笥の上に置かれたままになっていた箱包をあけました。

それは12月に注文し、2月に出来上がっていた無地紋付の袷と帯の一式です。

年末に横浜高島屋へ行った時のことです。いつもは横目でちらっと眺めて通り抜ける呉服売り場ですが、素敵な無地の着物と帯の一揃いが目に入りました。特別セール(?)とかでお値段も驚くほどお安く、無地紋付を作っておきたいと頭の片隅で考えていた私を刺激したのです。

布地を身体にあててみると、柔らかな藤色の色合いと地紋が好ましく、ベテランの店員さんが別の帯を選んでくださって、こちらも今まで持っていなかったシックな雰囲気が大いに気に入り、一揃い注文しました。

 

      (クレマチスが咲き始めました)

2月半ばに出来上がり、4月8日の安芸の宮島の献茶式と翌9日のOさまの茶事に着ていこうと楽しみにしていたのです。それもコロナウイルスのために中止になり、箱に入ったまま箪笥の上で眠っていたのでした。

「忘れていてごめんね!」

もう一度よく見ると、柔らかな色合いが新緑の季節になんてぴったりなのかしら・・・と思いながら、箪笥の上段をあけてお移り願いました。

「早く箱から出して着てください」と夢の中にまで現れた着物を一日も早く着れたら・・・と思う自粛の日々です。

 

 (布絵の色紙「心まかせに」  布絵は森下隆子作)

気になっていた、洋間(茶室の予備室や待合に使用)に置いてあった古箪笥の中を整理しました。ついでに、古箪笥と水屋箪笥を入れ替え、色紙やテーブルクロスも変えて風炉仕様にしました。

あとは、茶室の炉(灰)と炉用の釜を片づけなくてはいけないのですが、思いがけないことがいろいろあったので、4月に生徒さんと取り組もうと思っていた廻り炭之式も透木釜の炭手前もできませんでした。

炉を塞ぐふんぎりがつかず、何かセレモニー(?)をしてからと思っています。

無地紋付の着物を着て気持ちを正し、久しぶりに炉の真之行台子を頑張ろうかしら?? 

 

炉を塞ぐ

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  (満開のジャスミンのアーチ・・・雨上がりの朝の庭にて)

 

5月6日に炉を塞ぐことにしました。

それで、にわかに忙しくなってきました。

ただ炉を塞ぐだけでなく、このような時だからこそ

「セレモニーをして、今まで無事にお茶ができたことに感謝しよう」と思い立ちました。

真台子を設え、最初に真之炭手前、真之行台子で濃茶一服を点てようと思いました。

お客さまは? ・・・・悩みましたが、ご近所のYさまと社中を代表してKTさまにお声掛けしました。

 

 

お声掛けしたものの真之炭手前は1年以上、もしかしたら2年以上かしら?修練した記憶がないので、急ぎ稽古をしました。

いくつか怪しい箇所(順番、羽箒の掃き方など)もありましたが、意外なことに身体が覚えていて、怪しい箇所を納得できるまで確認しながら良い稽古ができました。それに、要所ではS先生のご注意の声が聞こえてくるようでした・・・。

真之行台子は4月のS先生のお稽古でご指導をお願いしていた科目でした。

コロナウイルスのため中止になりましたが、こちらは社中のお稽古を見ているので、炭手前よりはスムースだったように思います。

課題は足腰が2つの点前に耐えれるかどうか・・・にあります。だいぶ筋力が着いてきたのですが、両手に茶道具を持って立ったり座ったりが今一つ自信がありません。でも、今は精一杯頑張りたいと思っています。

 

 (お軸は「無心帰大道」を掛けました)

 

当日(6日)になり、雷が鳴ったり、急な雨が降ったりのお天気でしたが、お二人がマスクをしてステキな着物で来てくださいました。  

暁庵は濃いめの紫色の無地紋付の着物、いろいろな更紗が縫い込まれ模様になっている丸帯を締めました。丸帯は母の形見です。袱紗は赤、古帛紗は恩師N先生に頂いた富貴長命文緞子にしました。

2ヶ月ぶりに着物を着、身なりを調えると気持ちも引き締まり、全身全霊でお茶モードに突入です。

先ず待合でご挨拶をした後に、茶室へお入りいただきました。

窓を開けたので、庭から満開のジャスミンの芳香が漂ってきて、敷香(黒方)より薫っていたかもしれません(でも、マスク使用なので・・・ネ)。

床の掛物は「無心帰大道」(前大徳 少林寺明堂和尚筆)です。このお軸を掛けると、心を正し、これからも茶の道を一生懸命歩いていこうという勇気が湧いてきます。

すぐに真之炭手前(奥伝なので詳しく書けません・・・)、終わると待合へ戻り、そちらで主菓子を3人で頂きました。真之行台子なので菓子7種を縁高でお出ししました(後ほど詳しく?書く予定です)。

 

 

再び、茶室へ戻っていただき、真之行台子点前で濃茶を差し上げました。炭手前が終わったばかりですが、湯がすぐに沸いて炉や釜の方も気が焦っていたのかもしれません。

濃茶は金輪(丸久小山園詰)です。

各服(茶碗、茶巾を変えて)とし、2椀目を天目茶碗に古帛紗を添えてお出ししましたが、奥伝で各服点は難しいです・・・反省としては、各服の2服目は点前が終了したのち、水屋からお運びした方が点前が乱れず、真之行台子の良い意味での緊張感が保たれる・・・と思いました。これもやってみてわかることで好い経験でした。

・・・こうして、炉を塞ぐセレモニーが終了しました。

暁庵にとっては、「お茶が好き、お茶のある人生ってなんて!素晴らしいのだろう・・・」と改めて考え、お越しくださったお二人に感謝申し上げるセレモニーでした。

 

  (初夏を告げる卯の花が満開です・・・散歩の途中で)

緊急事態宣言ですが、「特定警戒都道府県」(我が神奈川県も入っています)では5月31日まで延期となり、自粛の日々は続きます。

今後のお茶のあり様などを少しは考えながら・・・また静かに過ごすことにしましょう。

          その日は のち  (夜に雷のため一時停電)

 

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炉を塞ぐ・・・菓子7種

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    (縁高に杉箸と黒文字を添えてお出ししました)

 

「炉を塞ぐセレモーニー」で真之行台子のお点前をしました。

縁高に菓子7種を入れ、杉箸と黒文字を添えてお出ししましたが、主菓子や菓子作法がよくわからず、いろいろ疑問が多いです。

四ヶ伝は3種、行之行台子は5種、真之行台子は7種の菓子をお出しします。点前の格の違いを菓子の数で表わしていて、上のお点前ほど菓子が多くなっています。

菓子を複数入れる場合、なぜか饅頭(特に薯蕷饅頭、蒸し物)が一番格が高く、饅頭と水菓子(果物)から入れます。水菓子(果物)は、茶の菓子として最初に用いられたので、必ず入れることになっているそうです。その他に棹物、金団、練切、焼き菓子(カステラなど)、蒸し菓子(蒸し羊羹など)、餅(桜餅など)を用います。

なかなか普段のお稽古ではお出しできませんが、許状式や行事の時に複数の菓子をお出し出来たら・・・と思います。

 

    (「炉を塞ぐセレモニー」の菓子7種)

「炉を塞ぐセレモニー」の菓子7種は、「燕子花」(練切)、「令和」(薯蕷饅頭)、「おもかげ」(棹物)、煮物3種(こんにゃく、人参、干瓢)、イチゴ(水菓子)です。こんにゃくはピリ辛にし胡麻をまぶし、人参はグラッセ風、干瓢は結びにしました。

昔、真之茶事をお稽古した時に菓子の他にゴボウ、椎茸などの煮物が入っていました。甘い菓子ばかりでは・・・と大いに納得し、以後、当方ではそのようにしています。

 

 

杉箸と黒文字について忘れないように書いておきます・・・。

縁高に菓子が複数(3,5,7種)入っている時、杉箸と黒文字の2本で取っていただきます。食べ終わった後の作法として、杉箸は折って縁高に入れますが、黒文字はそのまま持ち帰るとお習いしました(裏千家流)。

このことについて深く考えたこともなかったのですが、先日、杉箸と黒文字の取り扱いの違いについて思いがけないお話を伺いました。

禅宗では修行僧が使用する個人の食器(応量器、持鉢(じはつ)または自鉢(じはつ)という)があり、食事の際には毎回これを使用します。

杉箸は食器とみなされ、自分専用なので(個人に属するので)、他の人が使わないように折って返します。一方、黒文字は口内を清める楊枝(ようじ)として使うので、汚いものとして自分で持ち帰るとのことでした。

黒文字は茶事の記念として大切に持ち帰る・・・というような麗しいお話ではないそうです。まさに目から鱗・・・もうびっくり!でした。

 

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