(翌日(15日)、大湧谷へ向かうロープウエイから富士山を望む)
席入りすると、小間(三畳上り台目、向う切)に短罫が赤々と灯されています。
床を拝見すると、趣深い一行書が目に飛び込んできました。
「花一枝人一遍」
汀風という署名があり、N氏の亡き父上様の御筆でした。
「一期一会」と同じような意味ですが、花の一枝に出合うことも人に一度会うことも、かけがえのない大事な出会いであり、二度と再び巡り合うことはないかもしれない・・・。
待合の道元導師の「釣月耕雲慕古風・・・」と共に、この一会へ寄せるN氏の思いがひしひしと伝わってきます。
ご亭主様はどんなにかこの茶事を待っていたことでしょう。
私たちもどんなにか、この日を楽しみにしていたことでしょう。
いろいろな思いが脳裏を駆け巡りますが、この貴重なご縁に感謝し、一瞬一瞬を大切にし皆さまと共に愉しもう・・・「花一枝人一遍」のお軸に見守られて思ったことでした。
茶事は初炭手前、動座して広間の椅子席にて会食へと進んでいきました。
(待合から出たところ・・・足元行灯が腰掛待合へ誘います)
中立になり、再びRさまの手燭に導かれて腰掛待合へ。
中立で聞いた喚鐘が忘れられません・・・・
皆でつくばって耳を傾けました。喚鐘の音が夜のしじまに響き渡ると、心の塵が洗い流されるような・・・何か敬虔なものを感じ、身が引き締まりました。
(写真は暁庵の喚鐘ですが・・・なかなか出番がありません)
後座の床には「セキショウ」の鉢と枯れた蓮の台座が莊られていました。向切りの点前座には侘びた信楽の水指、その前に置かれている黒々と大きな入れ物にびっくり・・・。
「えっ!これが茶入?」と思われた方もいらしたと思いますが、「挽家(ひきや)」と言って茶入を仕覆に入れて納める容器で、木の挽きもので出来ているため「挽家」と呼ばれています。
挽家から茶入が取り出される瞬間を心ときめきながら待っていると、やがて金襴の着物(安楽庵金襴)をまとった茶入が現れました。着物(仕覆)が脱がされ、現われた茶入のなんと!力強く凛々しいこと・・・・拝見が楽しみです。
手に取ると、広い肩にたっぷりと黄土色の釉薬がかかり、流れ落ちる二筋の景色や、轆轤目の美しく繊細な縞模様にうっとりでした。胴廻りには荒々しい絶壁のようなへら目があり、古武士のような味わいを醸し出しています。何とも存在感のある茶入でした。
「二筋肩衝」、瀬戸破風窯と箱書きにあるそうです。
手燭を近づけて挽家を拝見すると、黒漆に密陀絵のような不思議な絵柄の蒔絵が散りばめられていて、こちらにも惹きつけられました。
(釣月庵の蹲・・・2019年11月に撮影)
各服で練られた濃茶はお練り加減好く、するすると喉を通る濃さが心地よく、思わずお代わりしたいほどまろやかで美味しゅうございました。
茶銘を伺ってびっくり、松江からお取り寄せくださった不昧公好みの「可楽の昔」、初めて頂きました。
濃茶の茶碗が素晴らしく、お正客Rさまは黒楽(11代慶入作の数印)、私は渋い古唐津の茶碗(堂々とした形に絶妙なゆがみがあり、ツワモノを思わせる好い雰囲気です)で頂戴しました。
茶碗に添えられた古帛紗は古裂の「モール」、1年前の茶室拓きの際に暁庵と社中一同から贈られた、お祝いの古帛紗です。早速使っていただき、とても嬉しく思いました。社中の皆様もきっと・・・。
(釣月庵の腰掛待合・・・2019年11月に撮影)
(釣月庵の内露地の紅葉・・・2019年11月に撮影)
続き薄茶となり、半東M氏のお点前で薄茶を頂戴しました。
薄器は戸田左近作の木地中棗で、江戸時代のものだそうですが、茶杓が思い出せませんで・・・「う~ん?え~と(思い出したら書きます)」。
きめ細かく点ててくださった薄茶がお代わりしたいほど美味しかったです・・・暁庵といたしましては、濃茶と言い、薄茶と言い、N氏とM氏のお二人に渾身のおもてなしをしていただき、とても嬉しいひと時でした。
お正客Rさまと詰KTさんが夜咄の茶事の難しいお役を立派につとめられ、私は安心して茶事を楽しむことができ、感謝でございます。
UさんとKさんも「ぜひ夜咄の素晴らしさを体験してもらえたら・・・」というN氏の思いをしっかり受け止め、素晴らしい経験をされたことでしょう。
(草に埋もれたお地蔵さま・・・・釣月庵にて撮影)
続き薄茶だったので、「濃茶から薄茶まであっ!という間に終わり、もう御終いの挨拶になってしまったわ・・・」と、時が経つのを忘れるほど充実したひと時でした。
早や21時を過ぎていたので名残り惜しい気持で釣月庵をお暇しました。その日は箱根・強羅の某ホテルで1泊しました。
またいつか、釣月庵の茶事へお招きされる日を夢見ながら筆をおきます。コロナウイルスのワクチンが一日も早く開発され、普及することを願いながら・・・。
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