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Channel: 暁庵の茶事クロスロード
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壷中の茶事へ招かれてー2

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                           (3月21日、桜の開花宣言がありました)
(つづき)
初炭手前が始まりました。
炉辺へ近寄り、湿し灰の撒き方や炭の置き方などを拝見するのですが
「釣り釜は風炉釜を使うので炭は風炉用がよろしいとお教えいただきましたので
 炉炭の中から細いものを選んでみました」
ちょうど我が家でも五徳をあげ、釣り釜にかかるところでしたので、ご亭主の所作や一言一言がお勉強になります。

香合が拝見に出されました。
古帛紗に香合を載せて引き、そのまま拝見に回しました。
香合は貝合わせ、蓋裏に和歌が書かれ、中に十二単の女人が描かれています。

    すみの江の 岸による波よるさへや
        夢のかよひぢ 人目よくらむ

平安時代の歌人・藤原敏行の和歌(古今集)でした。
「すみの江」とは摂津国の歌枕、今の大阪府にある住吉神社付近の海で、当時は入江になっていたそうです。
ご亭主は長く大阪府に住んでいたそうで、懐かしそうにお話してくださいました。
和歌の神を祀るという住吉神社・・・暁庵はまだ訪ねたことがないのが残念です。
すぐに香の薫りが漂ってきます。
香はマイブレンド、なんてステキなのでしょう!(でも、歌に因んだ香銘が思い出せません・・・う~ん)

手づくりの懐石が次々と運び出されました。
中でもふっくらと焼かれた鰤の幽庵焼、春野菜のクリーミィな白和え・・・料理のコツもいろいろお教えいただきました。
向付、炊き合せの古久谷の盛皿が垂涎もので、お味とともに器もたっぷり堪能しました。
半東なしで一人で懐石を作り、盛付、運び出しをされたご亭主の心意気に一同深く感謝!です。

                   
                           貝母(ばいも)  (季節の花300)                      

後座へ席入すると、丈長にすっきりと貝母と筒咲の白椿が備前筒花入に生けられています。
清楚にして気高さを感じる花の佇まいはご亭主がそこにいらっしゃるかのようでした。

濃茶点前が始まりましたが、懐石の時には賑やかだった「薬缶」が静かなのが気になります。
ご亭主の所作に見惚れていると、釣り釜のゆらゆらに誘われるように急に睡魔に襲われました。
「眠くなるような能は好ましい能・・・」と、何処かで誰かから伺ったことがありますが、
濃茶の時に眠くなるのもまたゆったりと心がくつろいで、子供のように無心の境地にいるようです。

光悦の茶碗を思わせる黒茶碗で濃茶を頂きました。
香り高くまろやかな濃茶が徐々に心身を満たしていき、「こんなに美味しい濃茶は久しぶり・・・」
濃茶は延年の昔、詰は星野園でした。
Oさま、Iさまとご一緒に御茶を頂くのが嬉しく、夢のような平和で幸せな濃茶タイムでした。

                  
                    佐渡箪笥 (箪笥博物館 佐渡夫婦岩)
 
後炭、薄茶と進行し、薄茶の主茶碗にお持ち出しの時から目が釘ぎづけになりました。
小ぶりの茶碗ですが、青磁それとも虫明かしら?
その茶碗で薄茶を頂戴してからお尋ねすると、佐渡の無明異焼だそうで、1997年に人間国宝に認定された三浦小平二作でした。
ご亭主も気に入って、譲って頂くまで某骨董屋へ通い続けたとか・・・ふるさと佐渡がここでも登場しました。

椅子席でどっぷりくつろいでいる暁庵とOさんを見かねて(?)、Iさんがご亭主に薄茶を点ててねぎらってくださいました。
Iさんの心遣いが優しく、同門4人の交歓が相和して楽しく、薄茶タイムがいつまでも続いてほしい・・・とさえ思いました。
全て手づくりされた懐石、主菓子、干菓子のおもてなしは有難く、良き刺激もたくさん頂戴しました。

最後に茶杓ですが、大徳寺・細合喝堂和尚作で銘「おぼろ月」(たしか?)でした。
今思い出すと、「おぼろ月」のように夢の壷中で過ごした素敵な茶事の一日でした・・・。
Yさま、ありがとうございます!!  帰りの電車の中で茶事をおねだりしてヨカッタ!です・・・。

          壷中の茶事へ招かれて-1へ戻る


辛夷と白木蓮の散歩道

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                     帷子川の川辺

3月19日(日)、10時過ぎからツレと散歩へ出かけました。
毎年、このころになると辛夷(コブシ)や白木蓮(ハクモクレン)の花が咲きそろい、帷子川を挟んだ丘陵に白い花の群れが目立つようになります。
辛夷や白木蓮の大木を一つ一つ訪ね歩くのも楽しいですが、中でも一際美しく咲きそろう場所があり、
そこでお弁当を食べながら花見を・・・という計画です。
途中のコンビニで助六寿司と牛乳を購入、これでお昼の心配はなくいつでもどこでもOKです。

我が家から遍路道と呼んでいる切り通しを下って帷子(かたびら)川へ出ると、
柳の新芽が青々と風にゆられ、折しも放水訓練をしていました。
16号を突っ切って八王子街道の旧道を進み、畑のある田園風景を楽しみながら「ふるさと尾根道」へ出ました。

                

                

尾根道には横浜水道の水道管が通っていて、鶴ヶ峰浄水場までグリーンロードが続いています。
尾根道にはソメイヨシノの並木があり、枝ぶりの見事な古木も多く、桜の名所になっています。
満開まであと2週間でしょうか。
静かな尾根道は絶好の散歩コースですが、今日の目的地は鶴ヶ峰浄水場近くの鶴ヶ峰神社です。

                
                         鶴ヶ峰神社

鶴ヶ峰浄水場近くに鎌倉時代の武将・畠山重忠にまつわる「駕籠塚」という遺跡があります。

畠山重忠ら一行が鶴ヶ峰で鎌倉勢と戦うという報が菅谷館(埼玉県比企郡嵐山町菅谷)に届くと、
重忠の側室菊の前(次男重秀の母と言われている)はすぐさま鶴ヶ峰に向かいました。
やっと鶴ヶ峰近くまでたどり着きましたが、夫やわが子が討死したことを聞き、自害したと言われています。
その自害した場所に駕籠ごと埋葬されたと伝えられていますが、以前は浄水場内にあって1955年に今の場所に移されました。
  (参照・・・「水辺からのレポート 横浜帷子川をゆく」)

桜の頃に駕籠塚を訪れたことがありますが、入口から塚まで散った桜の花びらが敷き詰められ、
菊の前という女人の墓にふさわしい静かなたたずまいでした。

駕籠塚を横へ入るとすぐ鶴ヶ峰神社です。
この辺りの家には「葛籠貫(つづらぬき)」という苗字が多く、鶴ヶ峰神社も元は葛籠貫神社と言われていました。
駕籠塚と関係があるのでしょうか??
参道のすぐ下の家の庭に辛夷や白木蓮の大木がたくさんあり、青空を背にそれはそれは見事です。


   

「今年も見に来てヨカッタ!」・・・と花見をしながら稲荷寿司をほおばりました。

              
                 散歩の帰りに寄る珈琲コーナーにて 
                  (1個の今川焼を2つに分けて・・・一応ダイエット中)

五葉会(七事式の勉強会)のお仲間を募集しています

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                          (2017年3月10日の五葉会・・・三友之式にて)

五葉会(七事式の勉強会)」のお仲間を募集しています
                
2015年5月から発足した「五葉会」は七事式の勉強会(定員6名)です。
来年度(5月~)に欠員が出ましたので、御一緒に研鑽してくださる方を1名さま(経験者)募集させて頂きます。

自分で言うのも変ですが、素敵なメンバーに恵まれ、毎回楽しく有意義に七事式のお稽古をしています
ご興味がありましたら先ずはメールにて暁庵までお申込みまたはお問い合わせくださいませ。

メールアドレス:akatuki-ane@grace.ocn.ne.jp
                
会の名称:五葉会(ごようかい)
    (「一華開五葉」から命名しました)
募集人数: 1名様 (経験者)

日時:1年間(5月~翌4月)に全8回、第2または第3金曜日 
   (次回は5月12日(金)、その次は7月14日(金)、6月、8月、11月、2月は休会)
   10時 ~15時(お昼持参)
場所:暁庵宅 (横浜市旭区今宿  相鉄線二俣川駅下車)

内容:七事式の研鑽(1回3科目、年間カリキュラムを決めています)
    ○ 5月の予定は且座・平花月・貴人清次濃茶付花月
    ○ 7月の予定は炭付花月、茶カブキ之式、平花月または四畳半花月
会費:1回4千円(内訳:会費3000円+炭、消耗品代1000円)
   
期間:5月より翌年4月まで
  (1年ごとの更新:1年後に継続するかを確認いたしますが、できましたら2年は継続できる方)

募集期間:3月27日~4月7日まで(決まり次第、募集を終了させて頂きます)
      募集終了についてはこの欄の追伸にてお知らせいたします。

                
      
         素敵なご縁がありますように五葉会一同お待ちしています・・・ 


        暁庵の裏千家茶道教室    前へ     次へ      トップへ

「桜の森の満開の下で」の茶事・・・その1 桜が咲かない!

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           真ん中がまだ咲かない 「私のサクラ」   (2日の茶事が終わってから4日に撮影)


   花時心不静といへることを

      のどかなる折こそなけれ
           花を思ふ心のうちに風は吹かねど        和泉式部

今年の桜はなんて咲くのが遅いのでしょう! 
茶事の10日前から開花情報と天気予報を気にしながら落ち着かない日々を過ごしていました。

近くの公園にソメイヨシノが10本ほどあり、その中の枝ぶりの良い桜を「私のサクラ」と名付けて、
台所の窓から朝な夕なに眺め暮らしています。

いつもは3月27日頃から咲き始め、4月になると見事に咲きそろうのですが、
この寒さでは4月2日の「桜の森の満開の下で」の茶事に間に合いそうもありません。
なんせ2年越しの、待ちに待った茶事なので「私のサクラ」が満開になってほしいのです・・・。

半ばあきらめ、半ば奇跡を望みながら毎日「私のサクラ」に話しかけていました。
「まだ無理かしら? 晩秋に枝を剪定したせいなの?
 お願いだから咲いてちょうだい・・・

「4月2日の茶事には間に合わない・・・」
茶事の3日前に潔くあきらめました(咲かない桜を受け入れました)。
それは、「禅心茶話・・「捨てる」と「放つ」」(淡交2006年7月)に書かれた次の文章が心に入って来たからでした。


・・・・(前略)・・・
私たちの心は、時として不安やストレス、様々な欲望、嫉妬や羨望、優越や劣等といった悪心を内に詰め込み、自らの行動を縛りあげてしまっている。
心がちっとも片付かない。
片付かない心は、意志と決断が緩慢になるから、必然的に自己中心に向かってゆく。それしか方向がないのだ。

「放つ」ということは、心を片付けるということだ。
片付いた心は、自ら信じる道筋に沿って、幸も不幸も、成功も失敗もすべて、その場その場の心のピュアなはたらきとして受け入れていくのである。あるがままに。・・・・(後略)・・・



               花の心は花のみぞ知る・・・やっと  (4月4日撮影)

そうだわ! すべてをあるがままに受け入れて、私は今やれることを全力で尽くせばよいのだ。
そう自分に言い聞かせると、心が片付いてすっきりしました。

当日、桜は咲いていませんでしたが、穏やかな心でお客さまを迎えることができました。


          「桜の森の満開の下で」の茶事・・・その2へつづく



 

「桜の森の満開の下で」の茶事・・・その2 桜の森の満開の下での秘密

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桜の森の満開の下での秘密は誰にも今も分かりません。
あるいは「孤独」というものであったかも知れません。
なぜなら、男はもはや孤独を怖れる必要がなかったのです。
彼自らが孤独自体でありました。

彼は始めて四方を見廻しました。
頭上に花がありました。
その下にひっそりと無限の虚空がみちていました。
ひそひそと花が降ります。
それだけのことです。
外には何の秘密もないのです。

彼は女の顔の上の花びらをとってやろうとしました。
彼の手が女の顔にとどこうとした時に、何か変わったことが起ったように思われました。
すると、彼の手の下には降り積もった花びらばかりで、女の姿は掻き消えてただ幾つかの花びらになっていました。
そして、その花びらを掻き分けようとした彼の手も彼の身体も延した時にはもはや消えていました。
あとに花びらと、冷めたい虚空がはりつめているばかりでした。            

・・・小説「桜の森の満開の下で」の終章の一番好きなシーンです。

                 

坂口安吾の小説の世界をどのように茶事として表現したらよいのか、
いざとなるとあれこれと迷い出しました・・・。
迷った末に心掛けたのは、なるべく説明を少なくして「桜の森の満開の下で」の世界をシンプルに表現したい、
そして、お客さまの独自の解釈や豊かな感性にゆだねたい・・・と思いました。

                 

待合の掛物は「般若心経」。
屈強で恐れを知らない男(山賊)が桜の森を怖れ慄いたのはなぜでしょうか?
死の恐怖でしょうか、それとも孤独を怖れたのでしょうか?
私には桜の森があの世とこの世の境界で、生と死の狭間の異界のように思え、思わず般若心経を唱えました。


太平洋戦争の空襲が激しかった頃、上野の森に空襲による死者が集められていました。
おびただしい老若男女の遺体、性別の分からない焼死体・・・
上野の森は桜が満開でした。
桜の下には、人がたくさんいるのにまるで誰もいないようなしーんと静まり返った空間が続いています。
ひそひそと花が死者たちに降りそそいでいました。

小説「桜の森の満開の下で」は、この時の坂口安吾の原体験が元になっているそうです。

               
                        満開の時の「私のサクラ」です

一転して、床の御軸は「喜 無量」です。

茶事のお客さまは、正客Hさま、次客Oさま、三客M氏、四客N氏、詰Aさまの5名様です。
1年間お待たせしましたが、皆さまと元気に今日の日を迎えられたことが何より嬉しく思いました。
それに茶事は一人ではできません・・・。
半東Fさん、懐石の佐藤愛真さん、そしてツレの協力の下、念願の茶事が出来ることに「喜 無量」でした。

初炭が始まりました。
2月末に蛭釘を取り付ける工事をしてもらい、茶事に初めて釣り釜の登場です。
釣り釜は糸目桐文車軸釜、長野新氏造のお気に入りの釜です。
四客のN氏こと西中千人氏長野新&珠己夫妻の初釜でご縁があった方なので、ぜひ新氏に造って頂いた車軸釜を掛けたいと思いました。

                 

香合は急遽、蛤香合に変えました。
漆黒の漆に桜が一枝、金蒔絵で描かれています。
満開の桜に遠慮して桜の茶道具は使わないと決めていたのですが、一輪も咲いていないので「せめて・・・」と。
香は「玄妙」(山田松香木店)です。

その後、懐石、菓子、中立、後座と続きますが、来年も桜の季節にこのテーマで茶事をしたい・・・と思いはじめました。
・・・それで茶事の趣向は「秘密」にさせて頂きますね。

                 
                     主菓子はきんとん、菓子銘「鈴鹿山」(暁庵製)

最後に、感性豊かな素敵なお客さまに御礼申し上げます。
おかげさまで、お茶もお話も只々愉しく・・・幸せな夢のようなひと時を御一緒に過ごすことが出来ました。
お客様同士も相和してご縁を結んでくださったようで何よりです。

不肖の亭主を支えてくださった半東Fさん、懐石の佐藤愛真さんに心から感謝いたします。
また来年、この茶事ができますように・・・!!


       「桜の森の満開の下で」の茶事・・・その1へ戻る

柳と桜の茶事に招かれて・・・その1 柳井の白壁の町並

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                        柳井のかわいいシンボル・・・金魚

        軒近き金魚にあつく迎えられ
            白壁の町を独り駆け抜く       暁庵

山口県柳井市に住んでいる茶友Oさんから茶事のお招きを受けました。
Oさんは京都・灑雪庵名残りの茶会むらさき茶会へ柳井からお出まし下さり、いつかOさんの茶事へ伺いたいと願っていました。
その願いが叶って、2017年4月9日に初めて柳井を訪れたのです。

柳井津(現柳井市)は瀬戸内海の舟運を利用した市場町として中世から栄えていました。
その繁栄ぶりは白壁の町家の町並として保存され、今に残っています。
保存地区は、東西方向の本町通の両側約200メートルの町並と、ほぼ中央から南側の柳井川に通じる掛屋(かけや)小路の家並みです。

              
                     本町通 (二階の窓の意匠がステキ・・・

               
              
                     上の2枚は柳井川に通じる掛屋小路

美しい白壁の町並を散策したいと思い早目に柳井に到着したのですが、風邪をひいてあえなくダウン 
ひたすら柳井クルーズホテルで安静に過ごし、明日の茶事へ備えます(正客を仰せつかっていました・・・)。
ひと眠りし汗を掻いたら大分回復してきたので、1時間ほど自転車で白壁の町を駆け抜けました。

              
              
                  国指定重要文化財 国森家住宅
              (明和5年(1768)頃に建てられ、油を扱う豪商でした)

              
                  本町通にある「かみゆい処」(営業中)

湘江庵という寺の境内に「柳井」の地名の起こりという井戸があり、傍に柳の木がありました。
ここも是非訪れたいと思っていたところです。

1400年ほど昔のおはなしです。
豊後の国(大分県)の満野長者の娘・般若姫は世にも美しい姫でした。
橘豊日皇子(後の用明天皇)に召されて上洛する途中、大畠瀬戸で遭難しこの地に上陸した後、この井戸の水で一命をとりとめました。
そのお礼に大事に持っていた不老長寿の楊枝をさしたものが芽を吹き、やがて大きな柳の木になったと伝えられています。
以来、楊井(柳井)と呼ばれるようになりました。

              
                     「柳井」の地名の起こりの井戸と柳 

         「柳井」なる名の起こりの仙水を
               長寿と美を願ひて汲めり      暁庵

「さぁ~ホテルに帰って横になりましょう・・・と!」
明日はいざOさんのお茶事です 。(つづく)


            柳と桜の茶事に招かれて・・・その2へつづく

 

柳と桜の茶事に招かれて・・・その2

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                      一の坂川の柳と桜・・・茶事の後で訪れた山口市にて

(つづき)
その日は春雨が降っていました。
タクシーで白壁の町並をゆっくり通ってもらい、11時頃にご亭主Oさん宅へ到着。
待合は広い応接室兼リビング、枝垂れ桜が咲いている広い庭に面しています。
既に数人がいらしていて、まもなく全員が揃いました。
相客の皆さまとは初対面ですが、ご挨拶するとすぐに親しくなり、一座建立の心意気が生じるのが茶の湯の凄いところだと思います。
次客は萩焼作家T氏、Oさんの亡きご主人とも親しくされていた方でした。
三客Kさま、四客Tさま、詰Fさまは地元のご友人です。

テーブルに「賓主互換」と書かれた茶扇がありました。
あとで伺うと、鵬雲斎大宗匠筆、ご亭主が今日庵へ修練へ行った折に頂いた、思い出多きお品でした。
「亭主は客のことを・・客は亭主のことを・・思いつつ、互いの心を通わせる」
これぞ茶事の真髄ともいうべき憧れの境地です・・・
糸巻の煙草盆に火入の灰形が美しく調えられいます。
火入(慶入作)の深みのある緑釉に魅せられ、阿古陀形が印象に残っています。

               
                      「柳井」の地名にちなむ井戸と柳・・・柳井市湘江庵

白湯を頂き、雨なので蹲踞を使わずに室内から席入しました。
茶室は八畳、庭に面して躙り口が設けられていて、凝った天井の作りに目を見張りました。
一間の床と一間の書院が並び、床柱は桜でしょうか。
「柳 緑花紅」(淡々斎御筆)の軸が掛けられていました。
柳の字が中央に大きく書かれ、風になびいているようにも見え、
昨日訪れた「柳井」の地名にちなむ井戸と柳の姿が目に浮かんできます。
重厚な味わいの釣釜が掛けられ、初炭が今から楽しみです。

2年ぶりでしょうか、ご亭主のOさんがお出ましになり、懐かしく挨拶を交わしました。
その瞬間に見えない絆がしっかり結ばれたように感じ、茶事にて再会できた喜びを精一杯伝えました。

               
                          椿の散華・・・山口市・龍福寺にて

初炭になり、炭斗や灰器を運ぶ美しく確かな足運び、流れるような所作を一同息を詰めて見つめます。
鎖の小あげに続いて釣り釜があげられました。
内心、とても重いのでは?と心配していたのですが、流石ですね。
釜は遠山文筒釜、加藤忠三郎造です。
初掃きで炉縁に寄り、丹精された炉中、湿し灰が撒かれ、炭が置かれていく様子など、主客の一体感が高まっていくようで、初炭の大好きなシーンです。

香が焚かれ、香合が拝見に出されました。
それは笛、篠笛でしょうか。
仕覆に乗せて持ち帰りましたが、あとで伺ってほっと胸を撫で下ろしました。

笛香合は金と黒の縞模様になっていて陶製、惺入作でした。
亡きご主人が入手され、Oさんは初使いだそうです。
「桜の下の宴に笛の音色を楽しんでいただけたら・・・」とOさん。

萩焼作家T氏のお話では、亡きご主人もお茶をされていて、なかなかの数寄者で魯山人ばりの陶芸もされる方だったとか。
そのお話を伺って、Oさんを亡きご主人がやさしく見守り、茶事の後押ししているように思ったのですが、その後も随所で応援の声が聴こえてきたのでした・・・
香は坐雲(鳩居堂)です。


        柳と桜の茶事に招かれて・・・その3へつづく    その1へ戻る

柳と桜の茶事に招かれて・・・その3

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                       白壁の町並がつづく・・・山口県柳井市にて
(つづき)
・・・後座のことを思い出に記しておきます。

床柱に黄色い蕾の山吹と紅い藪椿が野にある如く生けられていました。
大ぶりの筒花入は「備前焼かしら?」と次客T氏と囁いていたら、
なんと陶芸家T氏本人の初期作品、安南焼の掛け花入でした。
「・・・そうでした! ヴェトナム(安南)まで土を取りに出かけて創ったものです。
 先ほど備前焼と言いましたが、黒の土色が安南独特で全く違います」と懐かしそうに話してくださいました。
「花がとても引き立つので、お気に入りでよく使っています」とOさん。

点前座の堂々とした水指(伊賀耳付、佐久間芳丘作)に魅せられ、若草色の仕覆を着た茶入が濃茶の世界へいざないます。
松風と鳥のさえずりが幽かに聴こえる静寂の中、お点前が始まりました。
茶碗を持ち、すっくと立つ姿勢の良さ、美しい足運びは一瞬能舞台を連想します。
やがて勝手付の窓の簾が上げられ、ご亭主の姿がより鮮明になってきました。
(あれっ?・・・う~ん??)

袱紗の四方捌き、茶入や茶杓の清めの所作を一同息を飲むように見つめます。
やがて茶香が満ちて来て、濃茶が練り上げられ、古帛紗が添えられました。
何とも言えぬ高揚感を覚えながら茶碗を取りに出て、艶やかな翠の濃茶をたっぷり頂戴しました。
お練り加減好く、なんて甘くまろやかな濃茶でしょう。
濃茶は長松の昔、柳桜園の詰です。

茶碗は萩焼の井戸茶碗、萩の七変化と言いますが、艶やかな飴色の肌合いに使い育てられた愛情を感じます。
轆轤目も美しく味わいのある茶碗の作者をお尋ねすると
「ご次客のT氏作でございます」
隣りでT氏が
「この茶碗に今日の茶事で出逢うとは・・・・涙が出そうです 
きっと亡きO氏とのいろいろな思い出が走馬灯のように通り過ぎて行ったことでしょう。

            

先ほどから「あれっ・・・う~ん??」と気になっていたことを思い切ってお尋ねしました。
「光線の加減かもしれませんが、御着物が初座と違うように見えるのですが・・・」
「濃茶を差し上げるのは無地の着物で・・と思いまして中立で着替えました。
 それで長くお待たせし失礼いたしました」
もうびっくり!しました。
数寄者が中立で着物を着換えることがある・・・と何かの本で読んだ記憶がありますが、初めての経験です。
初座は渋い緑色(鶯色?)に箔の入った素敵な着物だったと思うのですが、
後座では藤色の無地紋付に着替えてくださったのです。
客一同、亭主の心入れを深く感じ、お洒落なおもてなしに感動いたしました・・・。

拝見した茶入は今高麗の阿古陀形、仕覆は若草色に花文のある早雲寺文台裂、
茶杓は銘「好日」(紫野大真和尚作)です。
角館で購入されたという樺細工の桜模様の薄器も心に残っています・・・きっとお二人の思い出のお品なのでしょうね。

               

一つ一つにご亭主Oさんの御心がこもる茶事でした・・・ありがとうございました!
相客の皆様とのご縁が嬉しく、またいつかOさんの茶事でお会いしたいものです。
Oさんとは同い年、お互いに健康に留意して、これからも長くお付き合いして頂ければ・・・と願っています。
またお会いいたしましょうね。


       柳と桜の茶事に招かれて・・・その2へ戻る    その1へ戻る


山口と萩の旅・・・山口市の大内文化を訪ねて

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                 雨に煙る 国宝・瑠璃光寺五重塔

Oさんの茶事の後、山口市と萩市を廻る3泊4日の旅へ出ました。

「横浜から柳井まで来て頂くのは遠いので・・・」と遠慮していたOさんですが、
「茶事のあとに念願の山口と萩へ回るので是非に」と厚かましくもお願いしました。
山口と萩はかつて青春時代にツレと一緒に旅行した思い出の地で、
私ども夫婦はもう一度二人で行ってみたいと長年思っていたのです。

山口にはいろいろ思い出がありますが、先ずは国宝・瑠璃光寺五重塔へ。
その日はあいにくの雨、湯田温泉からタクシーで瑠璃光寺五重塔へ直行です。
脳裏に刻み付けられたままの五重塔が池の向こうに美しい姿で立っていました。

応永の乱で戦死した25代大内義弘の菩提を弔うため、弟の26代大内盛見が嘉吉2年(1442)に建てた供養塔です。
高さ 31.2m で檜皮葺の屋根、二層にのみ回縁(まわりえん)がついているのが特徴だそうです。
建築様式は和様ですが、勾欄の逆蓮頭や円形須弥壇など一部に禅宗様(唐様)が採り入れられています。
大内文化の最高傑作といわれ、日本で10番目に古く、京都の醍醐寺・奈良の法隆寺とならぶ日本三名塔の一つです。

傘をさしてみる満開の桜に彩られた五重塔、雨に煙る風情が心に残ります。
続いてお詣りした瑠璃光寺本堂(曹洞宗)、四国八十八ヶ所の札所を思い出す雰囲気が好ましい寺でした。
全国の五重塔に関する資料館があり、五重塔大好きなツレが資料館へ行っている間、
回廊入口の縁台に腰かけて名物”あめ湯”をすすりながら、しばし塔を眺めて過ごします。

           
                     瑠璃光寺本堂・・・縁台であめ湯をすすりました

瑠璃光寺から香山公園(うぐいす張の石畳や枕流亭)を抜け、洞春寺(とうしゅんじ)へ。
毛利元就の菩提寺ですが、こちらの観音堂は大内氏の菩提寺・観音寺の仏殿を移築したものでした。
洞春寺から竹藪の道を通って、山口県庁へ出ました。

           
                  山口県庁・・・搭のある洋館と桜に誘われパチリ

31代大内義隆の菩提寺・龍福寺へ向かってぶらぶら歩いていると、一の坂川が流れていました。
室町時代の大内氏は山口市を本拠地として亰風の町づくりを行い、大陸との交易により華やかな大内文化を作り上げ、山口市は西の京と言われるまで繁栄したのでした。
一の坂川はまさに西の京の加茂川、満開の桜と新緑の柳が美しく、川沿いには古い街並みが残る素敵な散歩道です。

         
                一の坂川・・・川沿いの洒落たカフェや古民家のある町並が素敵です

大内塗の作業風景が見学できるという山口ふるさと伝承総合センターへ寄りました。
ひそかに期待していた大内塗の棗に出会いました。
大内塗師・冨田潤二氏の作品で、伝統的な大内菱と秋草が描かれている寂朱色の中棗です。
昔、大内人形を持っていたことを富田氏に話すと、大内人形のルーツを教えてくださいました。

24代大内弘世は、京より迎えた公家の姫君がしきりと都を懐かしがるのを慰めるため、
ホタルを京から取り寄せては放したり、人形を集めて人形御殿を作ったそうです。
その優しさはやがて姫君の心を溶かし、二人は仲睦まじく暮らしましたとさ・・・めでたしめでたし。

いつか大内塗の中棗で柳井市のOさんを茶事にお迎えできたら・・・と夢が膨らみます。

           
                龍福寺・・・桧皮葺きの屋根が美しい31代大内義隆の菩提寺

山口市の主なコース
湯田温泉~瑠璃光寺五重塔~香山公園(うぐいす張の石畳)~洞春寺~山口県庁~一の坂川~川沿いの洒落たカフェレストランでランチ~山口ふるさと伝承総合センター(大内塗)~龍福寺~古民家・工房散策~一の坂川~山口駅           

           山口と萩の旅・・・次につづく

          

山口と萩の旅・・・萩市の吉賀大眉記念館へ

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               菊ヶ浜のホテルから・・・思い出の萩にて
(つづき)
萩市の菊ヶ浜にあるホテルで2泊し、萩を回りました。
最初に訪れたのが吉賀大眉(よしかたいび)記念館です。
吉賀大眉の萩焼の井戸茶碗をネットで見て以来、いつか名前と作品が頭の隅にこびりついていました。
それでも記念館を訪れるまで吉賀大眉についてほとんど知りませんでした。

        
                  吉賀大眉記念館(萩市椿東永久山)

 -吉賀大眉の足跡より抜粋-
   吉賀大眉(本名:寿男)は大正4年、山口県萩市の窯元の家に生まれました。
   当時萩焼は「伝統的な工芸という枠組みの中での陶芸」という認識でしかなく、
   その現状に疑問を感じた大眉は東京美術学校(現:東京藝術大学)に入学、
   大学では彫刻を学び、そののち陶芸家・加藤土師萌に師事しました。

   その後萩に帰郷した大眉は作陶に専念し、
   「伝統だけの観念にとらわれない」「伝統を超えた陶芸の美しさ」を追及し、
   中央の美術展覧会等で精力的に作品を発表しました。
   芸術院賞をはじめ数々の賞を受賞し、平成2年文化功労者に列せられました。
   平成3年10月死去(76歳)。
   萩焼を芸術にまで高めた作家としてその業績を讃えられています。

        
              大眉作の布袋像の後ろ窓から登り釜が見える

展示内容が素晴らしかったです。
○1Fから2Fにかけて古陶磁器作品(大眉コレクション)が展示されています。
 古萩、萩古窯陶片、弥生式土器、古染付などの東洋古陶器が並べられ、見ごたえがありました。
 しかもツレと二人の貸切状態でゆっくり静かに鑑賞できたのも嬉しいです。 

         
                      古萩の獅子置物       

○2F第1展示場には大眉の代表作品がずらりと並び、力強い大作の「曉雲」シリーズに目を見張り、
 水指や井戸茶碗はできることなら茶事で使ってみたい!と。

         

         

○親交のあった香月泰男、松林桂月の萩焼絵付け作品も味わい深く、魅力的でした。
 絵だと暗く重厚なイメージの香月泰男ですが、絵付けした作品はどれも温かく自由な境地が窺えます。

         
                 香月泰男のコラボレーション(絵付け)作品です
 
○昭和の巨匠作品(2F)では、数は少ないですが魯山人、金重陶陽、加藤土師萌の作品にも会えました。

○一番印象に残っているのは、毛利家から藩御用商人・菊屋家へ下賜され、菊屋家から吉賀大眉へ寄贈されたという織部水指です。
桃山時代作と記憶していますが、斬新な形と言い、柔らかな色調と言い、白眉の水指だと思いました。
写真を遠慮したのが悔やまれまする・・・。

         
                菊屋家住宅・・・店も屋敷も庭も広大で立派でした
         
            菊屋家に展示されていた素晴らしい小袖(綸子)
            (雲に雨龍文地 葵唐草・几帳の図刺繍・・・江戸初期)

萩市での主な観光コース
○ 吉賀大眉記念館~東光寺~松陰神社・松下村塾~旧厚狭毛利家長屋~指月公園・萩城跡
○ 武家屋敷界隈~萩博物館~城下町散策・菊屋家住宅~明倫館~新山口駅


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弥生&卯月の教室だより・・・釣釜と透木釜

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               桜散る散歩道にて・・・・山口の旅から帰って

だいぶ遅くなってしまいましたが、弥生&卯月の教室だよりです。

五徳を上げて釣釜と透木釜を楽しむ季節になりました。
長年、釣釜に憧れていましたが、蛭釘を付けるのが大工事になりそうで躊躇していました。
友人の建築士Sさんに相談すると、大工さんを連れて来てくださいました。1月末のことです。
和室の天井やら、その上の部屋の床などの様子を見てから、
「天井裏へ入れないので2階の洋室がフローリングなので床を切って穴を開け、そこから天井の補強材を入れて蛭釘を付けましょう。
 切った床は床下収納庫用の蓋をはめれば、少し見た目は悪いですが大丈夫です。如何でしょうか?」
「う~ん!素晴らしいご提案ですね。蓋の位置はベッドの下なので今のところ問題なしです。
 それで宜しくお願いします・・・」
2月末に1日で手際よく工事が終わり、3月の半ば過ぎにやっと釣釜を掛けました。
遅くなったのは、まだ初炭や後炭手前を釣釜ではなく五徳ありで稽古してもらうためでした。

               

五徳を上げてしまうと元に戻すのは面倒で、奥伝でもそのまま稽古してもらう事になり、
なかなか悩ましいところです。
釣釜になれば、揺れる風情や鎖の影を楽しんだり、釣釜を持ち上げるのが大変そうだったり、
それでも生徒さんは熱心に炭手前に精出してくださるのが楽しみでした。
釣釜はお気に入りの糸目桐文車軸釜(長野新造)を掛けました。

  
                帷子川沿いの八重桜が満開です・・・4月20日頃

卯月(4月)になって、その日は福島県いわき市からYさんがお稽古にいらっしゃる日でした。
前夜が嵐のような風雨だったので「無事に来れるかしら?」と心配していました。
案の定、電車が遅れたそうで、いつもより30分以上遅れて到着し、ひと安心です・・・。
早速、透木釜で初炭手前と炉の流し点を稽古して頂きました。

我が家の透木釜は、一燈好の又隠口(ゆういんくち)釜です。
京都在住の時、S先生宅で初めて又隠口釜に出会い、その形やインパクトに魅せられ欲しくなりました。
昨年、ご縁があって又隠口釜(菊地政光造)が我が家へやってきたのです。
透木は宗旦好の桐です。

               

名前の由来の「又隠(ゆういん)」ですが、
裏千家三代・咄々斎元伯宗旦が隠居所として今日庵を建てました。
しかし、その後も諸務に携わっていましたが、再度、隠居する際に建てた庵が「又隠」です。
茅葺の南面入母屋造り、採光のための突き上げ窓のある四畳半草庵の茶室で、今日庵と並んで裏千家の代表的な茶室とされています。
(一度だけ、恐る恐る今日庵と又隠へ入らせていただいた思い出が胸キュンでよぎります・・・)

さて、稽古のつづきですが、午後にFさんがいらして真之行台子、続いてYさんが行之行台子を修練しました。
奥の細道会(奥伝の勉強会で休会中)でもこの2つの奥伝を同時に稽古することは少ないので、その違いがよくわかり、暁庵にとっても良い勉強の機会となりました。
「教えることとは教わることなり」
どなたか(??)のお言葉ですが、奥伝に限らずそれを実感し、感謝しながらの日々です。


        暁庵の裏千家茶道教室    前へ    次へ     トップへ

五葉会の第1回五事式

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4月28日に五葉会で初めて五事式をしました。
昨年は私の体調不良でご迷惑をかけ、「今年こそ・・」と密かに思うところがありました。
五事式は茶事ゆえに大好きなのですが、2年ぶりでしょうか。
3月の五葉会で廻り炭を修練し、五事式の役を札で決めました。
東はその日欠席した宗悦さん、正客・宗里さん、次客・宗智さん、三客・宗厚さん、詰・宗真さん、半東は暁庵です。

10時半の席入です。
3月の廻り炭では不首尾だった埋火(うずみび)、五事式では成功させたいと思いました。
それで、2時間以上前に炉底の灰を深く掻き上げて空気を十二分に入れてから(前回はここが足りないように思われたので)、炭火を置き、灰をしっかりあたためておきました。
巴半田と筋半田、花づもり、煙草盆は宗悦さん、茶や点前の準備などは宗厚さんに手伝ってもらいました。

そうこうしているうちにお客さまがいらっしゃいました。
板木が打たれ、白湯をお持ちし、腰掛待合へご案内しました。
釜は一燈好の又隠釜(菊地政光造)、濡れ釜の風情を楽しんで頂けたかしら?

                

待合の掛物は「杜若」、竹内栖風画です。
床には「七事式の偈頌」、両忘庵・拙翁(大木宗玄)師筆を掛けました。
時々、「七事式の偈頌」を大きな声を出して読むのですが、いつも身が引き締まる思いがします。
一番お気に入りは、廻り花 色即是空凝思量即背(しきそくぜくう しりょうこらせばすなわちそむく)。

挨拶が和やかに交わされ、廻り炭が始まりました。
この後、昼食(別室で弁当、煮物椀、八寸、一献)になるので、席中を気にしながらそちらの準備にかかります。
そろそろ埋火を掘出す頃かしら? 時計を見ると予定より進行が早いので
「もう一回廻り炭を・・・」とお願いしに顔を出すと
「もう埋火を掘出して炭を置いています。埋火が大成功ですよ」
「あらっ・・・ヨカッタ!です」(ヤッタね

               

後座になって、廻り花と且座になりました。
廻り炭と同様に廻り花も早く済みそうなので、早目に香炉の用意をしましたが、
火味が今一つで反省しきりです。
濃茶となり、暁庵も参席させて頂きました。
宗悦さんが心を込めて練ってくださった濃茶を皆で嬉しく、美味しく頂戴しました。
茶碗は明るい飴釉の楽茶碗、桧垣佳山造です。
濃茶は「錦上の昔」柳桜園詰、前席の主菓子はグラーデーションが絶妙な「藤ころも」、打出庵大黒屋製です。

               
                       主菓子「藤ころも」 打出庵大黒屋製

何度やってもわかりにくいのが、濃茶から薄茶へ変わる時なので記しておきます。
いつ帛紗を付け、四畳半へ入り、いつ四畳半から八畳へ戻り、帛紗を懐中するのか・・・・??

詰の喫みきりで、東は中仕舞をとき、水をさして帛紗を腰に付けます。
正客から茶碗を拝見し、詰は茶碗を返し、東は茶碗を取り込み、主客総礼。
東は茶碗を湯ですすいでから、下に置き、
「薄茶は花月でいたします」と挨拶し、茶巾茶筅を入れ、建水とともに持って水屋へ下がります。
「薄茶は花月でいたします」の挨拶で、連客一同帛紗を付け、四畳半に入ります。
東は折据をのせた菓子器を正客前に持ち出します。
次に茶碗、建水を持ち出し、敷き合せに置き、三歩退き、仮座に着きます・・・(中略)・・・。

菓子付(茶巾で折据を回す)で全員が薄茶を飲むまで隅かけにせず、「互換機鋒看子細」ながら和やかな時間が流れました。
最後の薄茶が点つと月は服し、菓子器を手送りで正客へ戻し、茶碗を返します。
茶碗を取り込み、主客総礼で座変わりします。正客は折据を菓子器にのせておきます。

東が拝見物を取りに出て、挨拶を交わし、薄器を棚に荘り、拝見物を引くと同時に客は八畳へ戻り(正客は菓子器を持って)、帛紗を懐中します。
正客は菓子器を回し、下座へ置きます。

丹波焼の肩衝茶入は石田陶春造、茶杓は銘「颯々」前田宗源和尚作、仕覆は笹蔓緞子です。
棗は鵬雲斎好・三景棗、竹内幸斎造でした。

               
                    干菓子「蝶(煎餅)と若みどり」 打出庵大黒屋製

               

最後の一二三之式となりました。
水屋で長盆の札を拝見すると、月の二、月の三、花の一、花の二だったような・・・。
皆さま、過分な評価をありがとうございます。

こうして五葉会の第1回五事式が無事終わりました。
懐石ではなくお弁当だったこともありますが、約4時間で終了したのにもびっくり!です。 
来年もまた五事式を頑張りたい・・・と懲りずに思っています。


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第5回お茶サロン 「野の花を愛でる」茶会のご案内

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                    鎌倉・建長寺の牡丹が真っ盛りです (2017年5月5日に撮影)  

第5回お茶サロンのお誘いです。
年2回(風炉と炉の時期に)自宅で気軽なお茶サロンを開いております。
第4回お茶サロンは茶事でしたが、第5回は「野の花を愛でる」茶会をいたします。
                 
少人数の気軽な茶会ですので、お一人でも勇気を出してお出かけ下さい。
詳しくは下記をご参照ください。
嬉しい再会を、新たな出会いを、楽しみにお待ち申しております。


            
                  Nさんからいただいた立浪草がうす紫の花をいっぱい咲かせています


「野の花を愛でる」茶会

日時:平成29年6月4日(日)11時席入(20分前に集合)
茶席:拙宅・暁庵  横浜市旭区今宿
        相鉄線二俣川駅下車(2台駐車可能、参加の方にアクセスなど別途お知らせします)
会費:7000円 (昼食代込、当日お持ちください)
概要(予定):11時席入~花~炭~別室(椅子席)にて昼食(弁当、吸物、一献など)~菓子~中立~濃茶~つづき薄茶~15時頃に終了予定
お客さま:6名様 
参加資格:初めての方もリピーターの方も他流の方も男性も大歓迎でございます 
       ご一緒に野の花を愛で、茶の湯を楽しみ、親交を深めましょう
応募方法:メールにてお申込みください(氏名、住所、連絡先電話、簡単な茶歴(流派)など)
メールアドレス:akatuki-ane@grace.ocn.ne.jp
応募期間:5月6日(金)~5月21日(日)まで(定員になり次第、応募を終了いたします)
ドレスコード:着物大歓迎(着物が好きなので・・)ですが、洋服でもOKです。

その他:満席になりましたら、この欄の追伸にてお知らせいたします。 
  

皐月の教室だより・・・「七事随身」と初風炉の茶筅荘

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牡丹が咲き乱れ、風薫る気持ちの良い季節になりました。
世の中はゴールデンウィークでしたが、3日から初風炉の稽古を始めました。

床には「七事式の偈頌」を掛け、五月人形を飾りました。
?十年ぶりに陽の目を見た5月人形にこのお軸が一番ふさわしいように思ったのです。
それに、12日から五葉会・新年度がスタートすることだし、「七事随身」(碧巌録)の教えを思い起こしてみたい・・・と。

七事には「内ノ七事」と「外ノ七事」の2種があり、
「内ノ七事」は精神的な修養として禅の修行が肝腎であるとし、「外ノ七事」は禅の修行に必要な七つ道具をさしています。
さらに、これを武の七つ道具である弓・矢・刀・剣・甲・冑・戈(ほこ)に比すべきものとし、
一つも欠くことなくこの七事を常に身に備えなければならない・・・と説いています。(裏千家茶道点前教則26・七事式一より)

何となくわかったような・・・わからないような・・・
「七事式の偈頌」を読むだけで警策で打たれたような身が引き締まる思いがしますので、
「七事随身」の意味するところをじっくり考えるのもたまには必要な気がするのですが・・・。

            
                    建長寺の「柏槇(ビャクシン)」(和名イブキ)       

「七時随身」についてわかり易く書かれ、妙に納得する記事(茶道の禅語)を見つけたので掲載させて頂きます。
      

この「七事」というのは、中国の故事で、名将の持つ七つの武具のことを言います。
つまり、弓、矢、刀、剣、鎧、兜、鉾、この七つの武具が備わっていることが「七事随身」であります。
禅門では、修行者を指導する者は、すべてを兼ね備えていなければならない、という意味で、この「七事随身」という言葉が便われています。
茶の湯では、もっと精神的な意味で、この「七事随身」という言葉を解釈されたらいいのではないでしょうか。
つまり、ほんとうに豊かなお茶をするためには、お点前ばかりでなく、書、絵画、建築、料理といった、あらゆる方面のことをすべて学ばなければなりません。
また人間的にも、もっともっと成長しなければならないのです。そうすれば、いかなる場面に遭遇しても、少しもあわてる必要がない。
ちょうど名将が七つの武器を身につけているときのように、どこから攻撃を受けても、堂々と受けて立っことができます。
そういう心境でお茶をすれば、どんなに楽しいお茶ができるかということです。

なお、お茶の「七事式」は、この「七事随身」からとられているわけですが、それはやはり、茶人は最終的にはすべてのわざを身につけねばならない、というところからきているのだと思います。(以上)

                       
           

さて、初風炉の稽古ですが、Fさんの初炭手前と茶筅荘から始まりました。
先ずは床に紫の袱紗を敷き、お持ち出しの茶杓を筒のまま荘って頂きました。

初炭で炭を置いてもらうと、灰形の出来が気になります。
火床の深さはよさそうですが、もう少し広くしないと胴炭が入りにくそうでした。
調整した時と違い、五徳と釜のバランスも今一つ気に入りません。
落ち着くまでにはもう少し時間が必要のようです。

半年ぶりの風炉初炭手前ですが、流石ベテランさん、すらすらとなさいます。
灰器の取り置きも身体がしっかり覚えていて、月形も美しく上品です。
風炉は唐銅面取、釜は波文尻張釜(畠春斎造)、灰器が備前焼から小ぶりの黄瀬戸になりました。
練香から白檀に変わり、淡々斎お好み「鯉幟香合」がかわいらしく泳いでいました。

           

つづいて、Fさんリクエストの茶杓荘です。
今、Fさんは問答を熱心に勉強中ですので、どのような茶杓でどのような由緒が語られるのか・・・
とても楽しみでした。
茶杓を拝見すると、節より上部にある1本の深い樋が何かを語っているような、質実剛健な印象の白竹中節の茶杓でした。
かなり年季が入っているらしく薄茶に変色しています。

あまり詳しく書けませんが、その茶杓は習われていたA先生が教室を閉めるときにFさんに贈られたものでした。
裏千家○○斎作、茶杓銘も誠に素晴らしく、筒と箱の拝見を所望しましたが、箱書は○○斎宗匠の生涯や佇まいを髣髴させる内容で申し分ないものでした。
その茶杓をFさんに託されたA先生のお気持ちがひしひしと伝わってくるようでした。
「この茶杓を使う機会をたくさん作って、これからもお茶を楽しみながら精進してくださいね!」(A先生の代弁??・・・)

初風炉の茶杓荘で思いがけなく貴重な茶杓を拝見することができて嬉しいです・・・ 

     
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「桜の森の満開の下で」の茶事・・・その1 桜が咲かない!

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           真ん中がまだ咲かない 「私のサクラ」   (2日の茶事が終わってから4日に撮影)


   花時心不静といへることを

      のどかなる折こそなけれ
           花を思ふ心のうちに風は吹かねど        和泉式部

今年の桜はなんて咲くのが遅いのでしょう! 
茶事の10日前から開花情報と天気予報を気にしながら落ち着かない日々を過ごしていました。

近くの公園にソメイヨシノが10本ほどあり、その中の枝ぶりの良い桜を「私のサクラ」と名付けて、
台所の窓から朝な夕なに眺め暮らしています。

いつもは3月27日頃から咲き始め、4月になると見事に咲きそろうのですが、
この寒さでは4月2日の「桜の森の満開の下で」の茶事に間に合いそうもありません。
なんせ2年越しの、待ちに待った茶事なので「私のサクラ」が満開になってほしいのです・・・。

半ばあきらめ、半ば奇跡を望みながら毎日「私のサクラ」に話しかけていました。
「まだ無理かしら? 晩秋に枝を剪定したせいなの?
 お願いだから咲いてちょうだい・・・

「4月2日の茶事には間に合わない・・・」
茶事の3日前に潔くあきらめました(咲かない桜を受け入れました)。
それは、「禅心茶話・・「捨てる」と「放つ」」(淡交2006年7月)に書かれた次の文章が心に入って来たからでした。


・・・・(前略)・・・
私たちの心は、時として不安やストレス、様々な欲望、嫉妬や羨望、優越や劣等といった悪心を内に詰め込み、自らの行動を縛りあげてしまっている。
心がちっとも片付かない。
片付かない心は、意志と決断が緩慢になるから、必然的に自己中心に向かってゆく。それしか方向がないのだ。

「放つ」ということは、心を片付けるということだ。
片付いた心は、自ら信じる道筋に沿って、幸も不幸も、成功も失敗もすべて、その場その場の心のピュアなはたらきとして受け入れていくのである。あるがままに。・・・・(後略)・・・



               花の心は花のみぞ知る・・・やっと  (4月4日撮影)

そうだわ! すべてをあるがままに受け入れて、私は今やれることを全力で尽くせばよいのだ。
そう自分に言い聞かせると、心が片付いてすっきりしました。

当日、桜は咲いていませんでしたが、穏やかな心でお客さまを迎えることができました。


          「桜の森の満開の下で」の茶事・・・その2へつづく



 

第5回お茶サロン 「野の花を愛でる」茶会のご案内・・・満席になりました

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                    鎌倉・建長寺の牡丹が真っ盛りです (2017年5月5日に撮影)  

第5回お茶サロンのお誘いです。
年2回(風炉と炉の時期に)自宅で気軽なお茶サロンを開いております。
第4回お茶サロンは茶事でしたが、第5回は「野の花を愛でる」茶会をいたします。
                 
少人数の気軽な茶会ですので、お一人でも勇気を出してお出かけ下さい。
嬉しい再会を、新たな出会いを、楽しみにお待ち申しております。 

   今までのお茶サロンです。
   ○ 第1回お茶サロン「聴雨の茶会」
   ○ 第2回お茶サロン「聴雪の茶会」
   ○ 第3回お茶サロン「お茶とハーブティを楽しむ会」
   ○ 第4回お茶サロン「春は名のみの正午の茶事」


            
                  Nさんからいただいた立浪草がうす紫の花をいっぱい咲かせています


第5回お茶サロン「野の花を愛でる」茶会

日時:平成29年6月4日(日)11時席入(20分前に集合)
茶席:拙宅・暁庵  横浜市旭区今宿
        相鉄線二俣川駅下車(2台駐車可能、参加の方にアクセスなど別途お知らせします)
会費:7000円 (昼食代込、当日お持ちください)
概要(予定):11時席入~花~炭~別室(椅子席)にて昼食(弁当、吸物、一献など)~菓子~中立~濃茶~つづき薄茶~15時頃に終了予定
お客さま:6名様 
参加資格:初めての方もリピーターの方も他流の方も男性も大歓迎でございます 
         ご一緒に野の花を愛で、茶の湯を楽しみましょう
応募方法:メールにてお申込みください(氏名、住所、連絡先電話、簡単な茶歴(流派)など)
メールアドレス:akatuki-ane@grace.ocn.ne.jp
応募期間:5月6日(金)~5月21日(日)まで(定員になり次第、応募を終了いたします)
ドレスコード:着物大歓迎(着物が好きなので・・)ですが、洋服でもOKです。

その他:満席になりましたら、この欄の追伸にてお知らせいたします。 
  
追伸) 本日残席が2名様になりました。引き続き、宜しくお願い致します。(5月9日 ) 
追伸) 本日満席になりました。 ありがとうございます。(5月14日) 

東京国立博物館「茶の湯」展へ

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5月16日(火)、重い腰を上げて東京国立博物館「茶の湯」展へ行ってまいりました。

行く予定ではいたのですが、混雑ぶりを想像すると、なかなか足が向きません。
5月10日、東京教室の稽古中にS先生から「茶の湯」展のお話を伺いました。
「えっ!・・・」と驚くようなS先生独特の視点のお話はどれも興味深く、自分の目でそれらを確かめてみたくなりました。

それに37年ぶりという「茶の湯」大展覧会の目的は、茶の湯の全体像を今一度通観してみようと、展示作品数は259点に上るらしい。
ならば茶の湯に携わる者として、茶の湯にかかわる様々な分野の名品を1つでも多く見ておきたい、その中で心に残る作品と魂が触れ合うことができれば望外の喜び・・・というものです。

行く直前に東博のホームページから展示品一覧表を打ち出し、現在展示中のものをチェックしました。
中には展示終了やこれから展示予定もあり、今後の機会があると良いのですが・・・。
○ 重文 油滴天目 京都・龍光院・・・よく真のお稽古で使わせて頂いているので拝見したかったのですが、残念。
○ 国宝 印可状 虎丘紹隆宛(流れ圓悟) 圓悟克勤筆
○ 国宝 偈頌 照禅者宛(破れ虚堂) 虚堂智愚筆
○ 蓮華(東大寺三月堂 不空羂索観音持物)・・・かつて原三渓翁が所持し、昭和8年蓮華院の茶会で飾ったもの。

                


「茶の湯」展で拝見した中で特に心に残ったものを記念に記しておきます。

○ No.2 油滴天目  中国建窯  南宋・12~13世紀 
(伝来)豊臣秀次・・・西本願寺・・・京都三井家・・・若狭酒井家・・・大阪市立東洋陶磁美術館

今回「茶の湯」展一番のお目当てです。
大阪市立東洋陶磁美術館へなかなか行けませんで、やっと念願の対面が叶いました。
空いていたので展示ケースを廻りながらいろいろな角度で油滴の織り成す小宇宙を楽しみました。
耀変天目のような鮮やかな青色はありませんが、光の加減でしょうか、金色銀色の油滴が蒼黒くうごめいていて、宇宙を旅しているような神秘的な世界へいざなわれます。
背伸びすると、茶だまりが小粒のダイヤモンドのように清らかに光っていて、この部分だけ別世界のようでした。
この天目茶碗でお茶を喫すると、茶の翠が一段と美しく映え、光の加減で周りの油滴とコラボしてキラキラ耀くことだろう・・・と想像しています。

                

○ No.9 遠浦帰帆図(えんぽきはんず)  牧谿筆
(伝来) 足利義満・・・珠江・・・織田信長・・・荒木村重・・・徳川家康・・・松平正綱・・・徳川家光・・・戸田家・・・田沼意次・・・松平不昧・・・吉川家・・・京都国立博物館

この「遠浦帰帆図」は足利義満によって切断され掛軸に改装された、「御物御画目録」に記載されている牧谿筆「瀟湘八景図」断簡の一つ。
「遠浦帰帆図」は天正元年(1573)の織田信長の茶会や天正11年の豊臣秀吉の道具較べで掛けられた大名物だそうです。

牧谿筆「煙寺晩鐘図」(畠山美術館)に魅せられて以来、このシリーズは見逃すことができません。
洞庭湖を渡ってくる風が湖畔の木々の枝を揺すり、吹き荒れています。
湿り気を帯びた風の強さを画面から実感していると、洞庭湖に浮かぶ帰帆の影らしきものが2つぼんやり見えてきました。
大きな画の広がりが帰帆する舟の心細さ、自然の猛威のすさまじさをふりかざして観る者に迫ってきます。
いつまでもこのまま見入っていたい・・・そんな遠浦帰帆図でした。

                

○ No.134 赤楽茶碗 銘「白鷺}
長次郎の楽茶碗の名碗が5つ並んで展示され、圧巻でした。
赤楽・銘「白鷺」(裏千家今日庵)、赤楽・銘「一文字」、重文の黒楽・銘「ムキ栗」(文化庁)、黒楽・銘「万代屋(もずや)黒」(楽美術館)、重文の黒楽・銘「俊寛」(三井記念美術館)です。

長次郎作という楽茶碗がいくつ現存するのか知りませんが、今回の展示品は東博の学芸員によって選び抜かれた逸品ばかりなので、見ごたえがありました。
中でも裏千家今日庵蔵の赤楽「白鷺」を初めて拝見しました。
ほっそりとした素朴の味わいのある筒茶碗で、柔らかな赤肌色の胎土を感じさせる色調が印象に残っています。

解説(図録)によると、長次郎の最も初期の作と思われ、高台(見えませんでしたが・・・)も他の赤楽茶碗に比べると素朴なんだそうです。
展示されていませんでしたが、裏千家4代仙叟宗室が箱書きをしていて、内箱蓋表に「白鷺 長次郎焼」、
蓋裏には「面白やうつすかりなも身につめは 鳥の羽音も立つにつけても 宗室(花押)」とあるそうです。
長次郎の名碗には仙叟の書付が多いと言われているのも嬉しいですね(仙叟ファンなので・・・)。
この茶碗は伊予久松家に伝わって5代不休斎常叟の消息が2通添っているそうです。
S先生から今日庵からの出品はこの茶碗だけ・・・と伺っていましたが、長次郎の「白鷺」に逢えて感激しています。 

「破天 西中千人のガラス展」のご案内

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西中千人(ゆきと)さんとの最初の出会いは釜師・長野新&珠己夫妻の初釜(2017年)でした。
その後、頂いたパンフレットで世界を股にかけて活躍中のガラスアート作家さんであることを知りました。
パンフに掲載されたガラスの茶道具たちに魅了され、制作の原点である言葉(想い)に心惹かれ、
「桜の森の満開の下で」の茶事へお声掛けし、ご縁が繋がりました・・・。

   終生
   変わることのない
   想いはただ一つ。

   ガラスは割れる。
   人は死ぬ。
   だから、
   今 この一瞬を生きる。    西中千人

この度、日本橋高島屋で西中千人さんが2つのガラス展を開催するそうで、心から応援のエールを送ります。
きっと!あなたの心を震わせるガラスアート空間や作品に出会えると思います。
どうぞご高覧下さいませ。 

● 5月31日(水)~6月20日(火) 
 「一瞬に煌めく永遠  ガラスアートの瞑想空間へ」
  日本橋高島屋1階正面ホール(6階美術画廊にも作品を展示)

高さ2mのガラスの柱が立ち並ぶ砂利と苔の舞台は、
禅を礎とした「現代版枯山水」ともいえるアート空間です。
市場から回収したガラスびんを溶かして、アート作品を制作するこの取り組みは、
循環する命、資源について、一人一人が考えるきっかけを作ることが
もう一つのテーマです。
「永遠と一瞬」が、光や水、命のように続く無限の循環を体感してください・・・西中千人


  


● 6月21日(水)~27日(火) 
  西中千人展 「破天 天をも破り、未踏の地へ」 
  日本橋高島屋6階美術画廊

   不完全の美を追求する「ガラスの呼継」から派生した「転生」は、
   より純粋にヒビが心に刺さる作品です。
   これに加え、「一瞬に煌めく永遠」、
   光の粒で生命の煌めきを表現した「ヒカリ包む」「悠久の種」など
   「ガラスは割れる 人は死ぬ。だから、今この瞬間を生きる」を
   メッセージした作品をぜひご覧ください。

光が対象物にあたってはじめて見えるように
アートは、その奥にある想いが共鳴し、はじめて完成します。
皆様の心と私の作品が響き合えれば、これ以上の幸せはありません。・・・西中千人



能 「江口」 と茶の稽古と

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5月20日(土)、横浜能楽堂で能「江口」を観てきました。

京都から横浜へ戻ってきて能を観に行ったのは1度だけ、いつか遠い存在になっていましたが、
横浜能楽堂から送られてきた案内を見ると、「江口」でした。
「江口」は、能を観るきっかけとなった横浜能楽堂特別企画「能・狂言に潜む中世人の精神」の第3回「仏教」で演じられ
それ以来、観る機会もなく時が過ぎましたが、三人の遊女が川遊びをしている、美しくもはかない情景がすぐに目に浮かんできます。

もう一つ、京都・西行庵の朝茶で掛けられていた能「江口」に因むお軸を思い出します。
上方に天女のような女人、下方に西行法師が描かれていたような・・・
女人は遊女・江口の君、普賢菩薩となって空へ上って行くところです。

その日は夏日でしたが、気合を入れて着物で出かけます。
白地に絣模様のある夏大島、杏の地色に牡丹がぼかして描かれている塩瀬の帯を締めました。

最初は狂言「船渡婿(ふなわたしむこ)」、面白い狂言なのに早や睡魔が・・・この先どうなるのでしょう。
休憩の間に動き回って眠気を覚まさなきや! 少々あせるほど眠い。

                  

笛が吹かれ、幕が上がりました。
(囃子方の藤田六郎兵衛の笛に魅せられ、能のあの世へ引きこまれていきました・・・)
あらすじは、
諸国を巡っている僧が津の国天王寺詣での途中、江口の里に着く。
江口の君の旧跡を懐かしみ、昔、西行法師が一夜の宿を主の遊女に断れて詠んだ歌、
   世の中を厭うまでこそかたからめ   
         仮の宿りを惜しむ君かな
と口ずさむ。
するとどこからともなく現れた女に宿を惜しんだのではないと咎められる。
女は遊女の返歌、
   世を厭う 人とし聞けば仮の宿に
       心とむなと 思おばかりぞ
と詠み、江口の君の幽霊であると明かし消え失せる。
その夜、僧がその霊を弔っていると、川舟にのった江口の君と侍女達が現れる。
遊女としてのこの世の無情、悲しみ・華やかさ・迷いを説く。
そして舞を舞い、普賢菩薩の姿を現し、舟は白象となり、月光の中、西の空へと消えて行く。

                  

ここで、茶の話へ。
いつも客席から能舞台を俯瞰すると、茶室と露地を思い浮かべ、そこで繰り広げられる茶事と相通じるものを感じます。
無駄なものをそぎ落とし、能(茶)をハイライトするための合理的な空間。
演者(亭主)はただひたすら能(茶)を通してその思いを客へ伝えます。

シテの動き、特に足の動きに注目していると、90度方向を変えるのにほんのわずかずつ、数~十歩かけて動いています。
手を顔にかざす・・・手だけでなくゆっくりと腕全体を大きく動かし、顔の角度と相まってさまざまな感情が見事に表現されます。
歩き方・・・上部は動かず姿勢をきちんと保ったまま、擦り足の動きの端麗さと緩急。
姿勢・・・身動きせずに舞台で立っているだけでシテの感情が静かに見事に伝わって参ります。
茶の点前や歩き方もかくありたい!と思いながら舞台を見詰めておりました。

他流に比べ裏千家の点前は無駄な動きを極限までそぎ落としたシンプルな点前です。
シンプルだからこそ能のようにゆっくりと端整に身体を動かし心を込めて点前をしなければ・・・。
そうだわ!今日「江口」を観たのは、きっとお茶の神様が改めてそのことを考えさせてくれたに違いない。
急にお茶の稽古がしたくなりました!(なんせ、稽古不足ですので・・・)
帰ったらお茶の稽古に励んでみよう、所作を基礎からやり直し考えてみよう・・・と。


(忘備録)
横浜能楽堂特別講演  平成29年5月20日(土) 午後2時開演  

 狂言 「舟渡聟」  シテ(船頭) 野村萬 
           アド(婿) 野村万之丞  小アド(船頭の妻)野村万蔵
                
  能  「江口」  シテ(里女・江口の君) 浅見真州
           ツレ(遊女)浅見慈一  ツレ(遊女)長山桂三 
           ワキ(旅僧)殿田謙吉  ワキツレ(従僧)大日方寛  
                       ワキツレ(従僧)野口能弘
           間(里人) 能村晶人
        
           囃子方  笛   藤田六郎兵衛
                小鼓  曽和正博
                大鼓  白坂信行
                

再び・・・東京国立博物館「茶の湯」展へ

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                     (4月半ばの写真でごめんください・・・)
               
5月26日(金)、16日(火)に続いて東京国立博物館「茶の湯」展へツレと行ってまいりました。

前にも書きましたが、東京教室のS先生から「茶の湯」展のお話を伺いました。
「えっ!・・・」と驚くようなS先生独特の視点のお話はどれも興味深く、自分の目でそれらを確かめてみたくなりました。
・・・ところが、2つほどもう一度じっくり見たいものがあったのです。
さらに、5月23日から展示の原三渓翁に係わる茶道具も是非観たい!・・・と。

               
                         京鹿の子

○ 書状 二月十四日 松佐宛 (147)
(上段)
    熊々御飛脚過
    分至極候富佐殿
    柘佐殿御両所為
    御使堺迄可罷
    下之旨
    御諚候条俄昨
    夜罷下候(乃?)淀
    迄羽与様古織様
    御送候て舟本ニて
    見付申驚存候
    忝由頼存候恐惶謹言
     二月十四日   宗易(花押)
(下段)
    (封)    利休
 松佐殿   回答   宗易 

熊本・細川藩家老の松井靖之に宛てた利休の手紙、
二月十四日の日付から切腹する(二月二十八日)直前の文で、表装されずそのままの状態(折紙)で展示されています。
消息のせいか、ガラガラだったのでじっくり読み下し文と照らし合わせながら読み進めていくと、
豊臣秀吉の堺へ下向せよとの命を受け、その夜ただちに舟に乗ったところ、淀まで羽与様(細川忠興)と古織様(古田織部)が見送りに来てくれ驚いた、その御礼を伝えてほしいと書かれています。

すでに死を覚悟していたであろう利休、
ただならぬ状況の中、忠興と織部が見送ってくれたことへの御礼と感慨、
長年親しい付き合いのあった松井靖之へしたためた無言の最後の想い・・・などが短い書面から伝わってきます。
この書状に出会ったことで、始めて生身の利休を手紙の向こうに感じることができ、思わず涙が・・・。

松新宛の利休の書状は、「黄天目・沼田天目(122-1)」の後にもう一つ展示されていて「書状 七月十六日 松新宛(黄天目 沼田天目 添状)」があり、二人の親密な様子がこちらからも窺えます。

               
                珍至梅(ちんしばい) (庭七竈(ニワナナカマド)の別名)

○ 唐物茶入
「本物の瓶子蓋を見てくるように・・・」
瓶子蓋(へいしぶた)とは茶入の牙蓋の一種で、掴みが酒次の瓶子の形に似ているので名付けられました。
瓶子蓋の場合、蓋を逆さまにして置く・・・と習いにあります。
・・・ありました! 唐物尻膨茶入「利休尻膨」の瓶子蓋のなんと見事なこと!
同じ唐物でも唐物茶入「利休鶴首」は瓶子蓋ではありません。

それにしても写真では何度もお目にかかっている唐物茶入ですが、改めて実物との違いにびっくり。
オーラを感じる形や存在感、特にスケールの違いを実感しました。
「利休鶴首」のなんと小さく、華奢なことか。
この茶入を愛した利休や戦国大名たちの手の大きさやごつさ(?)を一瞬想像してしまいます。

             
                    横浜三渓園・蓮華院
             
                    蓮華院の内部(土間の待合)

○ 蓮華(東大寺三月堂 不空羂索観音持物) 奈良時代・八世紀 (254)

東大寺三月堂 不空羂索観音持物と伝承され、近代数寄者・原三渓翁が明治36年(1903)に手に入れ、蓮華院の茶会で飾ったという蓮華。 
蓮華院で名残りの茶会をして以来ずっーと気になっていて現存するならば見てみたい!と長年憧れていました。

その蓮華を観ました。
大きな蓮の台を蓮華が取り巻いていて、木製漆塗とありますが、漆が剥がれ古材の持つ好い雰囲気が醸し出されています。
枝の部分は金銅製で繊細な細工が施され、不空羂索観音持物にふさわしい荘厳さを感じます。
「こんなに立派な蓮華だったのね・・・」
蓮華院の琵琶床に飾られていたそうで、その時に床に飾られた「慶慈保胤書状」(253)も展示されていました。
さらに、三渓翁が茶会で使ったという「無地刷毛目茶碗 銘・千鳥」(256)と「唐津茶碗 銘・入相」(257)
も一緒に展示されています。
しばし、三渓翁の茶会をあれこれ想像し、参席しているような心地になりました。

再度「茶の湯」展へ来て本当にヨカッタ! 

    
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