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Channel: 暁庵の茶事クロスロード
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長月と神無月の教室だより・・・お茶の力!

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                 「虫の音」   山本和夫画 (ツレの京都の水墨画の恩師)         
      

例年ですと明月が楽しみな長月や神無月ですが、中秋の名月は10月4日でした。
後の月の十三夜は11月1日、十五夜は11月3日、なんとも間延びしてしまいそうな名月とブログアップですが・・・。

長月最初の稽古日は9月6日、Tさん、N氏、Fさんが張り切って(?)いらっしゃいました。

諸事情で久しぶりにいらしたTさん、風炉の平点前をしっかりお稽古しました。
それに長期間大変な日が続いていらっしゃるご様子なので、暁庵に居る時くらい肩の荷を下ろして、のんびりお茶を楽しんで頂きたい、お茶にしばし没頭して頂ければ・・・と思いました。
その気持ちはTさんへ伝わり、お茶を点てたりお茶をのんでゆったりする時間を楽しんでくれたみたいです。
「今日はお茶の持つ力を実感しました。お稽古に来れて本当にヨカッタです・・・」
帰り際のTさんの顔が晴れやかに、そして一際美しく見えました。

普段と異なる環境に身を置き、普段と異なる人と異なることをし、異なる会話を交わす(・・・そして自分自身の時間を実感する)・・・そんなごく普通のことだけれど、それによって癒しや活力をもらい、明日へ立ち向かう勇気が出て来ます。
いろいろな場面でお茶の持つ力を実感する日々です。

           
                 杜鵑(ホトトギス)を黒亀甲竹の花入に

10月末、風炉の最後のお稽古はTさんでした。
その日は薄茶平点前のあと、初めて濃茶をお教えしました。
もっと早くにお教えしたかったのですが、大変だった日々が一段落されたようなので取り組んで頂きました。
茶事の席でお客様として濃茶を喫んで頂いていますが、濃茶の稽古をすると、ご挨拶のタイミング、約束ごと(詰が飲みきりですするなど)など、客の心得が一層わかるようになると思います。
急がなくっていいですから濃茶を基本からしっかりお稽古しましょうね・・・・お教えするのが楽しみです。 

           
                   

それからもう一つ、家庭内の揉め事ですが・・・。

茶事の前に掃除や片付けなどの手伝いをよくツレに頼むことがあります。
気持良く率先してやってくれることもありますが、その日は虫の居所が悪かったのでしょうか。
「茶事は君の仕事で好きでやっていることなのに、どうして僕が掃除などを手伝わなきゃいけないのか・・・」と。

たしかに、狭く考えればおっしゃることはごもっともなれど、
「あらっ! たしかに茶事やお茶の稽古は私が好きでやっていることだけど、お客さんや生徒さんが我が家に来てくださるのはとても有難いことだと思いませんか。
他人様がいらっしゃるからこそ、普段より少しでも家の中を整理しよう、掃除しよう、気持ち良く過ごせるようにしようと思うし、そのお蔭で気になるところがきれいになっていくし、2人で元気に掃除出来ることが素晴らしい!と思いませんか・・・」

「・・・・・・ 」
YesともNoとも言わずに黙々と頼まれた仕事をやり出したツレ。
きっと何か感じることがあったようです。 

            

翌日の茶事の準備はとてもスムーズに運び、ただ感謝です。 

・・・これもお茶の神様のお力だと思っています。

        
          暁庵の裏千家茶道教室    前へ    次へ   トップへ


茶友の古希をお祝いして・・・その1 

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                          朝採りのススキを待合に・・・

10月は長雨が続き、今しも台風22号が通り過ぎようとしています。 

10月26日、茶友Kさまの古希をお祝いする茶事をしました。
その日は、お客さまの日頃の行いが良いせいでしょうか、久しぶりの快晴でした。 
前日が大雨だったので庭の落ち葉や手入れ不足が気になっていたのですが、潔くあきらめました。
席入りは11時、板木が4つ打たれ、桜湯が入った志野の汲み出しを半東Fさんが運び出し、腰掛待合へご案内しました。

待合の掛物は画賛(矢野一甫和尚)
   紅葉(画) 舞秋風
とあり、Kさまと一緒にお習いした恩師N先生から頂戴した思い出のお軸です。 
煙草盆は竹張香座間透、火入れは染付冠手です。

                 

                 

蹲踞で心身を清め、前日の大雨でしっとりと佳い具合に濡れた露地で迎え付けをしました。
やがて、襖越しに耳を澄ませていると衣擦れの音が静かになり、気を引き締めて襖を開けました。
「Kさま、おめでとうございます。
 なにかお祝いをしたいと思っておりましたが、茶事でお祝いするのが一番私らしい・・・と思いましてお出まし頂きました。
 たいしたことはできませんが、お楽しみいただければ・・・と思います。」

相客はAさま、Hさま、Yさま(詰)、長年お茶を通して親しくお付き合い頂いている方々なので、皆さまとご一緒にKさまの古希をお祝いできることがとても嬉しいです。


                 

本席の掛物は「七事式偈」(両忘庵・大木宗玄師書)です。
このお軸は、Kさまと初めて出会った東京・高田馬場の某茶事の会でご縁があり、私の手元へ来たものでした。
加えて、七事式はKさまや相客の皆さまと一緒に修練を重ねた思い出があり、今日のお祝いの席にふさわしいと選んだのです。
七つの禅語はどれも厳しい修練を重ねて得られる究極の境地を示唆していますが、員茶の禅語が一番心に残っていました。

   員茶   老倒疎慵無事日  
         閑眠高臥対青山
   (ろうとうそようぶじのひ  かんみんこうがしてせいざんにたいす)

6月に恩師N先生のお宅に伺った折
、先生はじめ80代の先輩方が和気合いあいと茶の稽古に励んでいる様子に感銘を受けました。
・・・・・こんな風にお茶に励み、仲良く一緒に年を重ねて行くのは、なんて素敵なことだろう!
そのことをお話しし、出来る事ならKさまや皆さまとこのような禅語の境地を目指して齢を重ねたい・・・と。 

折据の乗った香盆を運び出すと、「ギョッ! 本当に七事式をするのですか?」と皆さま。
折据を回し、本香はKさま、次香は暁庵と香元が落ち着きましたが・・・次香がモタモタで失礼いたしました(汗)。
香は火加減がとても難しいのですが、まもなく馥郁とした優しい香りが席を満たし、香が回され、ゆっくりと心や身体を清めていきました。

香の十徳(伝・一休宗純作)より
  感格鬼神  清浄身心 (霊魂や神と感応をし、心や身体を清める)

本香は伽羅、火相も程よく(半東Fさんに感謝!)上品で心安らぐ香りを楽しんで頂けたようです。
香銘は「紫雲(しうん)」(古希の色は紫なのに因んで)です。
暁庵のむらさき茶会の香席でIさまが焚いてくださった香を記念に頂戴したのですが、これが最後の一片でした。
次香は、大学時代からの親友Mさんのアブダビ土産でアラビア語が読めず香木がわかりませんが、伽羅とは違う香りを味わって頂きました。

                

京都を去る時にSさまから餞別に頂戴した優雅な蒔絵の重香合が皆様のお目に留まり、嬉しいです
頂戴したいろいろなものがお祝いの茶事を華やかに彩り、力強く後押ししてくださって、感謝!です。 


            茶友の古希をお祝いして・・・・その2へつづく

茶友の古希をお祝いして・・・その2

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                   後座の床・・・・薄紫の小菊を献上飾りにして

(つづき)
ハレの席なので懐石は佐藤愛真さんにお願いしました。
9月末に打ち合わせを済ませ、すっかり安心していたのですが、長雨と台風の影響で鱚(喜びの魚)が手に入らず、向付が小鯛の湯引きに変更になりました。
それに前日、怪我したそうで・・・・あとで知ってびっくり! そんなことは微塵も口に出さず、最後まで立派にやり遂げてくださいました(涙)。
茶事にはハプニングがつき物ですが、懐石も同じでいろいろありますね。
佐藤愛真さんが一生懸命考え、作ってくださった懐石は随所にお祝いの気持ちが込められている、素晴らしいものでした。
お客さまも堪能してくださったようで、亭主としても趙!嬉しいです。

献立を記念に記します。
  向付   小鯛の湯引き 黄菊 水前寺海苔 山葵加減酢
  飯    一文字  
  汁    紅白結び麩  小豆  白味噌  辛子
  飯    二回目の飯器は赤飯  三回目は白飯
  煮物椀  鯛の菊花椀  隠元  青柚子
  焼物   かますの松茸包み焼き
  強肴   茄子  石川芋  鴨治部煮  紅葉麩  針柚子
  箸洗   岩梨
  八寸   車海老  若桃の蜜煮
  香の物  沢庵  小茄子  柴漬け
  湯斗
  酒    千寿(久保田酒造)

            
                ハレの器・古伊万里にかますの松茸包み焼き(絶品でした!)を盛りました

初炭は炭所望、申し合わせでHさまが炭を置いてくださいました。
たぶん下火はほとんど落ちていたのでは・・・と心配していたのですが、すぐにパチパチとはぜる音が聞こえ、流石ご名炭でございました。
香合は、裏千家流茶道を学んだご縁でKさまや皆さまに出会ったことに感謝して、裏千家八代・一燈好みの「つぼつぼ香合」です。
香は桜の落葉の付け干し香、付け干しの香は半東Fさんのお香の先生から頂戴したものなので名香ぞろいです。
やがて、得も言われぬ芳香が茶席や廊下を漂い始めて、期待以上でした。

           
              一燈好み「つぼつぼ香合」と付け干し香

           
               (実際には縁高ではなく菊の蒔絵の蓋物でお出ししました)

主菓子を菊の蒔絵のある蓋付き漆器に入れ、運び出しました。
淡い紫とクリームの掛け分けのきんとん、金箔が飾られています。
こちらも佐藤愛真製で、菓子銘は「紫の上」としました。


中立の後、銅鑼を5点打ち、後座の席入りです。
後座の床は、「七事式偈」をそのまま残し、薄紫の小菊を献上飾りにしてみました。
昔は11月3日の明治天皇の誕生日をお祝いして菊をこのように飾ることを神戸の茶友Mさんから教えて頂きましたが、今はすっかり目にしなくなりました。
せめて茶席にその習わしを残しておきたいし、11月誕生日のKさまのお祝いに献上飾りを・・・と思いました。

           


点前座は長板二つ置き。
風炉は唐銅道安、一之瀬宗和造です。
釜は桐文車軸釜、総糸目の胴に団扇、中に桐文が鋳込まれていて優雅な趣きがあります。
この釜は和づく釜と言い、日本古来の和鉄で造られた特注のお気に入りです。
作者は長野新氏(茶友長野珠己さんのご主人さま)、喜びの席に桐文車軸釜を掛けれて好かった!です。

水指は青磁太鼓胴(富田恒峰造)、本歌は静嘉堂文庫に所蔵されている「青磁牡丹唐草文水指」(14世紀元時代、龍泉窯)です。
この日が初使いでしたが、歴史と存在感を漂わせる青磁水指は茶席の雰囲気を格調高くしてくれるように思います。
複雑な蓋のつまみは美しいのですが立てかけにくく、蓋は長板上に置きました。

           


濃茶器は凡鳥棗、かつて横浜に住んでいた庸軒流の茶人・伊藤庸庵が作らせたものの一つで
「凡鳥之棗 反古庵好ミ写也  庸菴」と箱書に書かれています。
これも頂戴したものでして、姫路のSさんから
「横浜に縁のある庸軒流茶人・伊藤庸庵の箱書があるので、横浜へ帰る暁庵さんに使って頂きたい」
と託された棗でした。
仕覆は茶地唐華鳳凰文緞子、お仕覆をお習いしていた小林芙佐子子先生の仕立てです。
この仕覆を扱う度に、紐の柔らかさ、つがりと紐の塩梅などとても使いやすく、先生のお心入れを深く感じます。


ここまで書いてふぅ~~う! ちょっと休憩します。   
少ない茶道具の中から一生懸命選んだり、無い知恵を絞ったりしたものですから、つい力が入ってしまって・・・。(つづく)


        茶友の古希をお祝いして・・・・その3(最終)へつづく   その1へ戻る
      
       

茶友の古希をお祝いして・・・・その3(最終)

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(つづき)
御茶一服差し上げたく・・・とご案内の手紙に書きますように、いつも濃茶に気合を入れます。

茶道口で茶碗を置いて座し、閑かに緊張感を感じつつ後入りを待つ瞬間・・・一番好きな時間かもしれません。
やがて襖を開け、茶碗を持って点前座に進みます。
心地好い緊張感を保ちながら帛紗を捌き、茶入、茶杓を清め、茶碗を浄めながら、自身の塵芥も浄めたいと・・・。
黒楽茶碗に凡鳥棗から茶を入れ、湯を汲むと、茶香がぷう~んと立ちのぼり、一心に茶を練りました。

              
                      凡鳥棗と伊藤庸庵の箱書

「お服加減いかがでしょうか?」
「大変美味しゅうございます」 (それまでの張りつめた気持ちがほっとして緩んでいきます)
濃茶は皆さまの長寿を願って「延年の昔」、星野園詰です。
黒楽茶碗は一入造、藪内七代・桂隠斎竹翁の銘「不老門」です。
中国・洛陽にあり、この門をくぐると老いることがないと言われている「不老門」。
KさまはじめAさま、Hさま、Yさまにこれからも元気に楽しくお茶を続けていってほしい・・・・と願っています。 

湯相も火相もほど好く、お正客から声が掛かりました。
「どうぞこのままで薄茶をいただきとうございます」
「それでは続いて薄茶を差し上げます」
皆さまといろいろなお話をしながら薄茶タイムが和やかに続きました。
薄茶器は西中千人(ゆきと)造のガラス茶器・銘「暁」、薄茶は金輪(小山園)です。
薄茶の茶碗は、お気に入りの御本三島とおめでたい祥瑞です。 

               
                 干菓子の「白鶴」と「千代結び」・・・佐藤愛真製  干菓子盆は大内塗です

最後に茶杓のことを書いておきます。
煤竹の茶杓は、大徳寺・寛道師の銘にて「紅葉狩」、安定性が良く掬い易い茶杓です。

当初、別の茶杓を使う予定でしたが、茶事の1週間前に愛媛県・宇和島市に住むSさんから電話がありました。
「思うところがあってお茶から離れることにしました。
 茶道具を全部整理したのですが、貴女に使って頂けたら・・・といくつか送りました。何かの折に使って頂けたらとても嬉しいです。」
送られてきた茶道具は、Sさんとお茶の先生をしてらした亡き母上が茶会や茶事の折に一つまた一つと購入し、大切に使われていたものでした。
お祝いの茶事に間に合うように贈ってくださった気がして、茶杓「紅葉狩」を有難く使わせていただきました。
・・・と言うわけで、今回の茶事はいろいろな方のサポートやご縁が力強く後押ししてくださいました。 


                              
 
今、古希をお祝いする茶事が無事終了して心から安堵しています・・・・。
この度も半東Fさんと懐石・佐藤愛真さんのお二人が強力なサポートをしてくださったので
茶席のお客様のおもてなしに集中することが出来、この場をお借りして感謝申し上げます。
ありがとうございました!


        茶友の古希をお祝いして・・・・その2へ戻る     その1へ戻る

「おんな城主・直虎」ゆかりの地を訪ねて・・・井伊谷(1日目)

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                    「おんな城主 直虎」のポスター

           
                    龍潭寺(りょうたんじ)庭園・・・・小堀遠州作


5月頃からNHK大河ドラマ「おんな城主・直虎」にどっぷりはまっています。
静岡在住の大学時代の友人MさんとAさんを誘い、ツレと4人で「女城主・直虎」ゆかりの地を訪ねる旅へ出かけました。

10月14日(土)の早朝、新幹線に乗り、新横浜から浜松を目指しました。
天気予報では2日とも雨とのことだったので、浜松駅前でレンタカーを借りました。
主なコースは、
1日目(曇り)浜松駅~方広寺(ほうこうじ)~龍ヶ岩洞(りゅうがしどう)~井伊谷宮(いいのやぐう)~龍潭寺(りょうたんじ)~気賀関所・大河ドラマ館~鰻の名店で夕食~宿(奥浜名湖のホテル)

2日目(小雨) 宿~井伊共保公生誕の井戸~二俣城址~清瀧寺・信康廟~浜松城~浜松駅構内餃子の店・石松~解散


最初に訪れた方広寺は臨済宗方広寺派の大本山、井伊直政(万千代)の母(しの)の一族・奥山氏ゆかりの名刹です。
友人たちのお勧めで方広寺の精進料理を昼食に頂きました。
鰻のかば焼きが見た目も味もそっくりにできていて、材料は豆腐、蓮根、海苔だそうです。

         
                    方広寺・・・広大荘厳で、見所がいっぱいでした

         
         
               鰻のかば焼き・・・もちろん本物ではなく「もどき料理」です

龍ヶ岩洞(りゅうがしどう)という鍾乳洞へ寄ったのですが、歩きやすく、美しい滝や芸術的な鍾乳石のある洞窟探検を楽しみました。

         
                       龍ヶ岩洞の大滝

         
                龍ヶ岩洞の前に建てられた「竜宮小僧伝説」の碑

         

龍ヶ岩洞の入り口近くに「竜宮小僧伝説」の碑と泉(レプリカ?)がありました。
ドラマではおんな城主・直虎は竜宮小僧の化身とも言われているので興味深く、ここに記しておきます。
久留女木の棚田はドラマでは隠し里のシーンにたびたび登場している美しい棚田です。

久留女木(くるめぎ)の棚田
  竜宮小僧伝説

昔、久留女木の川に竜宮まで通じていると言われた淵がありました。
そこから小僧が出てきて村人と仲良くなり、いろいろな仕事を手伝ってくれるようになったそうです。
   
ある日、村人が感謝をこめて食事に招きました。ところが、うっかりして小僧には毒となる「たで汁」を出し死なせてしまいました。
悲しんだ村人が丁寧に小僧をここに葬ったところ、こんこんと湧き水が出て来ました。
以来「竜宮小僧がこの水を竜宮から送ってくれている」と言われています。
村人はその水を利用してたくさんの田んぼを作りました。それが久留女木の棚田であるという。

自ら名乗ることなく、困っている人には誰にでも手を差し伸べ、見返りを求めず、
死してなお棚田の水源となり、今も村に恩恵を与えてくれる竜宮小僧に、村人たちは感謝の気持ちを込め、
田植えや稲刈りの後には供物をして手を合わせている。
                                   久留女木「竜宮小僧の会」による
   

ドラマでは離れているように思えたのですが、実際に訪れてみると、井伊谷宮と龍潭寺は隣り合わせで、井伊谷宮では縁起が良いことに結婚式に遭遇しました。
雅楽の演奏者、神主、新郎新婦が続いて神殿に入って行き、遭遇した私たちもおめでたい気分になりました。

          
                 久しぶりに雅楽の演奏に耳を傾けました

          
               「井伊谷宮家門繁栄守護」と書かれた花火の筒の護符

井伊谷宮から裏道を通り、井伊家の墓地、井伊谷三人衆の近藤康用や菅沼忠久の墓に詣でてから、龍潭寺本堂へ。
小堀遠州作の庭園は国指定の名勝で、たくさんの人々が縁側に座って静かに庭園と対話しています。

          
            右から22代直盛夫人(直虎の母)、井伊直虎、23代井伊直親、直親夫人の墓

          
                  庭園の説明を聞きながら、しばし静かな時を過ごします・・・

復元された気賀関所と大河ドラマ館を見て、今宵の宿へ。
明日は天竜二俣の二俣城址、清瀧寺・信康廟、浜松城をまわります。(つづく)

   
       「おんな城主・直虎」ゆかりの地を訪ねて・・・(2日目)へつづく

         

「おんな城主・直虎」ゆかりの地を訪ねて・・・信康自刃の二俣城址(2日目)

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                  浜松城で会った出世法師・直虎ちゃん

2日目のハイライトは浜松市天竜区にある二俣城址と清瀧寺です。
徳川家最大の悲劇と言われた家康の嫡男・岡崎三郎信康が自刃したという二俣城址と、信康が祭られている清瀧寺・信康廟を訪ねました。
朝から小雨が降り、悲劇の武将・信康を天も哀悼しているかのようです。

          
                  本丸にある二俣城天守台あとへ

二俣城は、天竜川と二俣川の合流点に位置する天然の要害にあり、遠江の平野部と北部の山間部を結ぶ交通の要所でもありました。
二俣城を巡る攻防として次の2つが有名です(浜松市作成の二俣城址の看板より転載)。

○ 武田信玄との攻防
 元亀3年(1572)10月、信玄は大軍を率い、信濃を経て遠江に進入し二俣城を攻撃した。
武田軍は力攻めの方法はとらず、城の水の手を断つ作戦を選んだ。
徳川軍の城兵が崖に櫓(やぐら)を建て、釣瓶で天竜川から水を汲みあげているのを知り、
上流から筏を流して井戸櫓の釣瓶を破壊した。2か月ほどで二俣城は陥落した。

          
               その当時をしのぶ井戸櫓・・・清瀧寺にて

○ 天正3年の武田軍との攻防
 天正3年(1575)5月、長篠の戦で勝利を得た徳川軍は、武田勢を一掃すべく二俣城の攻防に着手した。
鳥羽山に本陣を置き、毘沙門堂、蜷原(になはら)、渡ヶ島に砦を築き二俣城を包囲した。武田軍は7か月で兵糧が底をつき城を明け渡した。
二俣城には大久保忠世が入場し、徳川氏が関八州へ移封する天正18年(1590)まで在城した。
この間大規模な修築がなされ、天守台を始めとする諸施設を構築したと考えられる。

           

○ 信康自刃事件
 大久保忠世が在城中に起こった有名な事件に家康の嫡子信康自刃事件がある。
一般には、信康とその母築山御前が武田氏と通じていたことを理由に、
織田信長が信康を切腹させるよう家康に命じたとされている。
家康はこれを受けて信康を天正7年(1579)9月15日、二俣城で切腹させた。
(同じ頃、築山御前は佐鳴湖畔で殺害された)
この事件は戦国哀史として広く知られている。

           
                    今でも美しい滝がある清瀧寺

           
              清瀧寺の信康廟・・・二度目の訪問、前回はウン十年前だった

清瀧寺は信康を供養するために家康が建立した寺で、墓地の奥の高台に信康廟があります。
うっそうと茂った木々、廟へ向かう参道の門が閉ざされていて近づけない。門の外で頭を下げる。
前回はもっと近くまで行けた気がするのだが、ウン十年前の事で自信が無い。
殉死した小姓の墓があったことだけはかすかに記憶があるのだが・・・。
信康と築山御前の横死は身震いするくらい凄惨な事件で、いつもその時の家康の気持ちを思うといたたまれない気がする。
ドラマ「おんな城主 直虎」も今週あたりが信康自刃の巻になりそうで、見るのがちと辛い・・・・。

           
                   「出世城」と呼ばれている浜松城

旅も終わり近くなり、家康が29歳から45歳まで過ごしたという浜松城へ。
野面積みの石垣はほぼ当時のままだそうですが、城は再建されています。
天守まで上がり、東西南北に画かれた古図を見ながら城割りの様子を想像してみましたが、大きな建物に阻まれて難しい!
ただ、相当大きな規模の城であったことだけはわかりました。


           
                 美味しい浜松餃子を食べたい一心で並びました

城の駐車場で浜松餃子学会発行の浜松餃子マップをもらいました。
遅めの昼食は、浜松名物の浜松餃子に満場一致です。
浜松駅構内の石松という元祖・浜松餃子の人気店に並びました。
約30分並んだせいか、ことのほか美味しい餃子定食でした。

Mさん、Aさん、お世話になりました。久しぶりの大人の遠足、楽しかったですね。
でも、とても疲れていて小田原過ぎまでツレと二人とも爆睡でした・・・・ 


        「おんな城主・直虎」ゆかりの地を訪ねて・・・井伊谷(1日目)へ戻る

松風吹く正午の茶事へ招かれて・・・その1

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                  玄関に掛けられていたタンカ
                  (ブータン伝統のチベット仏教の仏画の掛軸)


11月2日、嬉しいお茶事のお招きがありました。
五葉会(七事式の勉強会)のHさまが昨年からリフォームに取り掛かり、その際、茶室をつくられたそうなのです。
いつお招き頂けるかしら?と楽しみに待っておりましたところ、五葉会の皆さまとお招き頂きました。
ご案内によるとお茶事のテーマは「出会い」とか、どんな「出会い」が待っているのでしょうか?
不肖暁庵が正客、Kさま、Fさま、Yさま、詰はWさまです。

             

その日は台風一過、暑いくらいの日差しで高い秋の空に美しいすじ雲がかかっていました。
二階の一室が待合です。
「日々是好日」(紫野 太玄和尚筆)の色紙が掛けられ、小さな旗を掲げた舟形の煙草盆が置かれています。
あとで伺うと旗はブータンの国旗で、ブータンで出会った方々にお茶のおもてなしをされ、交流していらっしゃる・・・とのことでした。
板木が打たれ、白湯が運ばれてきました。
喉が渇いていたので、たっぷりの白湯が美味しく喉を潤してくれました。
汲み出しは九谷焼、ウン十年前にご主人と金沢へ旅した時の思い出の御品でした。
きっと亡きご主人もリフォームと新しい茶室を喜んで、どこかで応援していることでしょう。

駐車場に設けられた腰掛待合に座ると、煙草盆の火入が目に留まりました。
春慶塗の手付盆に辰砂を思わせる赤みのある楽茶碗の火入が珍しく、皆で賞玩しました。

玄関わきに新しく造られた出入り口からぴかぴかの新席へ席入りすると、そこは八畳の広間。
床に「無事」の御軸、待合と同じ紫野 太玄和尚筆です。
点前座には五行棚が設えてあり、名残のご趣向かしら。
ご亭主と一人ずつ挨拶を交わし、お招き頂いた喜びをお伝えしました。

懐石が運ばれ、一同美味しくボリュームたっぷりの懐石を有難く頂戴しました。
今日はHさまの一人亭主、懐石は全てご自分で作られたもので、それだけでも一同もう感激です・・・。
不調法の暁庵ですが、美味しい懐石とお酒(越後のさくら)につい盃を重ねてしまい、これから大丈夫かしら?

             

風炉初炭になり、前日炉開きの初稽古だったので、また炉から風炉へ頭を切り替えて・・・この時期は大変です。
釜は裏千家十一代玄々斎好みの常盤釜、美之助造、鐶付は松毬(まつかさ)です。
風炉は黒紅鉢、美しい羽根は野雁、火箸は高額に驚きながら頑張って購入したという明珍作です。
香が焚かれ、まもなく優しい香りが漂ってきました。

香合は存在感のある椎黒、中につけ干し香、小さな香片が盛り上がるようにたくさんつけられていました。
その香合は、はじめて息子さんが中国旅行へ連れて行ってくれた時に出会ったそうです。
手に取るとずっしり重く、黒檀でしょうか?
円い蓋表に桐のような樹の中に鳳凰が繊細に彫られていて、とっさに凡鳥(ぼんちょう)棗にまつわる藤村庸軒の漢詩を思いだしていました。

   元禄7年(1694)の藤村庸軒の漢詩に「鳳凰」があります。
   この漢詩は、中国の「世説新語」にある「はるばる親友を訪ねてきたが会えず、
   門上に「鳳」字を書いて去った」という話に基づいています。

       鳳凰
      彩羽金毛下世難    
      高翔千仭可伴鸞
      棲桐食竹亦余事    
      更識文明天下安

   凡鳥棗の凡鳥とは鳳のことで、鳳の字を二つに分けると凡鳥(平凡な鳥、とるに足らぬ俗人)
   というような意味で、「世俗新語」では親友に会えぬ無念さを物語っているとか。

・・・勝手ながら(きっと息子さんとの大事な思い出の御品なのだと思いながら)、鳳凰の椎黒香合が「友情」を示しているように思われ、Hさまとの十数年前のお茶の出会いを懐かしく思いだしていました。

練きり「山茶花」(和作製)を頂戴し、腰掛待合へ中立しました。(つづく)


        松風吹く正午の茶事へ招かれて・・・その2へ


松風吹く正午の茶事へ招かれて・・・その2

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(つづき)
銅鑼が5点打たれ、後座の席入りです。
床には晩秋を感じる残花がふるさと籠にいけられていました。
ススキ、杜鵑、藤袴、白紫式部、烏瓜の5種、烏瓜の鮮やかな赤い実と蔓(ツル)が空間を見事に引き締めています。

静かに襖が開けられ、濃茶点前が始まりました。
濃茶を点てるまでの緊張感のある、沈黙の時間が大好きです。
ご亭主の袱紗捌きを集中して拝見していると、睡魔が襲ってきました。
なぜか、とっても気持ちが良いのです・・・・   
それは釜が奏でる松風のせいのようです。

あとで常盤釜を調べてみたら、玄々斎が天保14年(1843)に好まれた釜で、本歌には
「千代もなを常盤にたへぬ松のかせ(風)」と玄々斎自作の句が胴に鋳込まれていたそうです。
その後は無地で同形の釜が同じ作者・大西浄慶によって作られました)

・・・きっとそれで、常盤釜を作る釜師は「千代もなを常盤にたへぬ松のかせ(風)」を目指したのだろう、それであんなに気持ちの良い松風が吹いていたのだなぁ~~と。

             

目を閉じて半分まどろみながらうっとりしていると、突如その音は止みました。
水一杓が入れられたためでした。
まもなく芳しい茶香が鼻先に漂って来ます。
目を開け、松風がささやく余韻に浸りながら茶碗を取りに出ました。

黒楽茶碗に碧が美しく映え、よく練られた濃茶を美味しく頂戴しました。
茶銘は「万歴の昔」(伊藤園詰)です。
黒楽茶碗の銘はなんと!「松風」、昭楽造、紫野・剛山和尚銘です。

             

窠蓋(すぶた)のついた白い茶入が個性的で目を惹きました。
薩摩お庭焼だそうで、乳白色の胴に練り込みのようなすじ模様があり、こちらへ伺う折の秋空のすじ雲のように爽やかでした。仕覆はたしか?荒磯緞子です。
茶杓は「謝茶」、紫野・長谷川大真和尚の銘です。

続き薄茶で旅の思い出の茶碗や、亡き母上の手びねりの茶碗などで薄茶を頂きながら、卒寿のお茶の先輩、茶友、茶道具とのお出逢いのお話を愉しく伺いました。
本当に、出会いのご縁は何物にも変え難い、不思議で貴重なものですね・・・。

          
          11月2日は十三夜・・・居心地好くすっかり長居してしまい家路を辿りました

Hさま、素晴らしいお茶事をありがとうございました!
また、あの松風を聴けたら・・・と存じます。
五葉会の皆さま、拙い正客で失礼いたしました。
皆さまとの出会いのご縁を大切に、これからも七事式に茶事に末永く宜しくお願い致します。
 
                           やっとしました  


        松風吹く正午の茶事へ招かれて・・・その1へ戻る



”全慶應茶會” in 2017 へ

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2017年11月3日、根津美術館(東京都港区南青山)で行われた”全慶應茶會”へ出かけました。
”全慶應茶會”のしおりの題字は松永耳庵翁です。
この茶会は慶応大学の茶道部である慶應茶道会と、そのOB組織である三田福茶会による茶会で、毎年ひらかれているそうですが、三田福茶会Sさまのご縁で初めて参加しました。

大寄せ茶会が苦手な暁庵が参席したのは、上田宗箇流16代家元・上田宗冏 (そうけい )氏が濃茶席を持つと伺ったからでした。
なぜか上田宗箇流には関心があり、5年前に京都から広島の上田宗箇流・和風堂の初釜へ参席させて頂いたことがあります。
その時、御家元自らお点前してくださった濃茶のおもてなしが忘れられず、是非茶会へ・・・と思ったのでした。

           

寄付は一樹庵、掛物は「拾得図」、尾張徳川家二代・徳川光友画です。
珍しい広島焼の香炉が荘られていました。
上田宗箇流らしい銅蟲(どうちゅう)の盆で出された黄身瓢(空也製)、白餡を黄身餡で包み瓢形にしたもので、美味しく頂戴しました。
お菓子と一緒に上田宗箇流独特の折り方の懐紙が回され、中の四角の懐紙を濃茶で使ってくださいと。

本席の被錦斎へ席入りし、点前座が良く見えるが席へ座ります。
お点前さんは袴姿の男性、お運びも男性で、お点前をしっかり拝見させて頂きました。
武家流なので帛紗は右に付け、柄杓を左手に持たせ左膝に立て、右膝上で右手だけで帛紗を捌いたりします。
袱紗捌き、茶入や茶杓の清め方、茶巾の扱い、全て裏千家流とは違うので興味深く目を凝らしました・・・・。

御家元が出ていらしてご挨拶され、
「全慶應茶會で釜を掛けるのは9年ぶりになります」
「釜を掛ける」とはよく言ったもので、この釜が圧倒的な存在感を放っていて、私には一番の垂涎ものでした。
形は立口木瓜、古武士を連想する鉄肌といい、鉄蓋の侘びた味わいも素晴らしく、シュッシュッと気持ち良い音をたてて湯が沸いており、濃茶への期待が高まります。

本席の掛物は、羽与一(細川三斎)消息です。
羽与一(細川三斎)から上主様(上田宗箇)宛に書かれた贈答品の御礼状で、二人の親密な様子がわかります。
十一月四日の日付があり、それで11月3日の慶應茶会へ掛けられた・・・とのお話でした。
花入は宗箇作の一重切、花がえ~と竜胆ともう一種?・・・・思いだせません。
箱書に宗箇様より拝領と書かれているそうですが、私の脳裏に今だ焼き付いている上田宗箇作の一重切(鋭く切り落とされ鉈目の迫力、勇猛にして繊細な味わい)とは違う作行でした(ショボン・・・)。
濃茶を4人で頂戴しました・・・が、練りが足らずこちらもショボンです(期待が大きかったので・・・)。

          

以下、濃茶席の会記から記します。
  香合   柿  平戸青磁
  釜    立口木瓜   浄清 造
   炉縁  イジ塗    道恵
  棚    四方棚    信斎
  水指   上田家御庭焼 葵  四代大機院(重羽)作
  茶入   瀬戸渋紙手 竹の子
       銘「細川」     松永耳庵 所持
   仕服  龍紋緞子
  茶碗   大徳寺呉器
  茶杓   古田織部 作
        筒 紹易
   蓋置  染付千切
   建水  砂張合子
   御茶  三春の昔      一保堂詰

           

薄茶席は弘仁亭でした。
こちらも偶然、上田宗箇流の学生さんの薄茶点前を拝見でき、ラッキーでした。
姿勢よくリズムよくしっかりお点前をしていたように思います。
きっと上田宗冏御家元自らご指導してくださったのではないかしら?
絶品の「亥の子餅」(塩野製)に舌鼓し、点て出しの薄茶(松の峰 三丘園詰)を頂戴しました。
慶應好はOBたちのセンスやユーモア溢れるお道具で、慶應茶道会の歴史と茶道への熱い思いが感じられ、立ち働く若者たちが眩しく頼もしく感じました。

Sさま、いろいろお世話になり、ありがとうございました。
”全慶應茶會”に来年もご縁があると嬉しいです。

しばらくお休みいたします

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いつも当ブログをお読みくださいまして ありがとうございます!

年末に向かい寒さが厳しくなりますが、
どうぞ風邪など引かぬようお過ごしください。
諸事が重なりまして、しばらくブログをお休みいたします。

また、ブログにて元気にお会いしたいですね。

                      

2018年 謹賀新年

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       遠くに富士山、大山、丹沢山塊を臨んで   2018年1月1日撮影


新年あけまして おめでとうございます


年賀のご挨拶が大変遅くなり、ご心配をお掛けしました。
本年もどうぞ宜しくお願いいたします。
いろいろありましたが(のちほどゆっくり書きます)、元気で新年を迎えましたので、ご安心ください。
さて、年初のブログなので2018年正月に思ったことを書いてみます(実は1月1日に半分くらい書いてありました)。

「桃栗3年柿8年、柚子の大馬鹿18年、銀杏の気違い30年」

これはツレから聞いたのですが、桃栗3年柿8年のあとの言葉が新鮮でした。
あとの言葉は地方によって違うみたいで、

  桃栗3年柿8年、梅はすいすい13年、柚子は大馬鹿18年、
  林檎ニコニコ25年、女房の不作は60年、亭主の不作はこれまた一生

  桃栗3年柿8年、柚子は9年でなり下がり、梨のバカめは18年

  桃栗3年柿8年、柚子の大馬鹿18年、銀杏の気違い30年

など他にもいろんなパターンがあるとか。
果樹を植えたら、その実がなるまでに相応の歳月を待たねばならないことから、何事も成就するまでにそれ相応の年月がかかるということを表わしています。






お茶を始めて長い年月が経ちましたが、本気でスイッチが入ったのはとても遅く、強いて言えば「銀杏の気違い30年」でしょうか。
それでもゴールは程遠く、次の言葉をエールのように言い聞かせて歩んでいます。

「桃栗3年柿8年、柚子の大馬鹿18年、銀杏の気違い30年、お茶は一生90年」

課題がいっぱいのお茶の道を命の尽きるまで歩んでいきたい・・・
そして、お茶に出逢った幸せを心に刻んでいきたい・・・と。
人生100年の時代の到来と言われていますが、とりあえず90歳現役をめざしています。
皆さま、どうぞ、宜しくお付き合いくださいませ。 


2018年稽古初めは真之行台子

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1月10日は「暁庵の裏千家茶道教室」の稽古初め、気合を入れて真之行台子となっていました。

1月5日、帰省していた息子たちが帰ってしまうと、家の中が急に静かに淋しくなりました。
「そうだわっ! 真之行台子の稽古をしてみよう」と稽古始めの準備を始めました。

床の軸は、利休居士「四規七則」(紫野黄梅院・太玄和尚筆)にしました。

  和・・・人の道は和する調和すること
  敬・・・人に心より尊敬・敬意を持って対すること
  清・・・常に清浄を保って生活すること
  寂・・・何がおころうと心乱し動じてはならぬ

読み上げるたびに茶の原点に思いを馳せ、身が引き締まる利休居士悟道のお言葉です。

青磁の尺立を暮れに購入したので、青磁の皆具が揃いました。
水指は太鼓胴、蓋置は三つ人形ですが、気品高くなかなか素敵な一揃えです。
天板にあけぼの棗を荘ると、一際お正月らしい設えとなりました。




読者の方からブログの再開を喜ぶメールを頂戴し、嬉しく拝読しました。
ありがとうございます!
諸事が重なったためブログをお休みしましたが、大きな理由は右膝の怪我でした。

忘れもしません・・・2017年11月21日のことです。
11月5日に鎌倉・建長寺へ出かけた折、左足首を捻挫しました(一昨年は円覚寺で足指の骨折)。
捻挫がだいぶ良くなったので、口切の茶事に向けて膝(腿?)の筋トレをしていた時でした。
バキーンまたはボキボキッという嫌な音がし、右膝に激痛が走りました。
立つことも歩くこともできず、3日間松葉杖状態でした。
整形外科のU医師から
「MRI検査の結果、レントゲンではわからなかった損傷個所が2つ見つかりました。
 ここで無理をすると悪化するかもしれない瀬戸際なので、当分(1~3ヶ月)安静にしていてください。
 散歩や重い荷物を持つのもダメです。2週間ごとに診察を受けてください」
「先生、私お茶をしているのですが、正座ができるようになりますか?」
「う~ん、正座ですか、ダメかもしれませんが、とにかく様子をみましょう」

早く治したい一心で安静を心がけ、1ヶ月余が経ちました。
(その間、キャンセルのしまくりで、ご迷惑をお掛けしました・・・
暮れには痛みも違和感もなくなり、U医師の診察を受けると
「順調に回復しているので正座をしても大丈夫でしょう。
 風呂中で正座するなど、少しずつ正座に取り組んでください。散歩も大丈夫ですよ」 「ヤッター!

・・・それで1月5日、久しぶりの自分の稽古です。
先ずは炉の前の点前座に座ってみようとすると・・・
「あらっ!座れないわ! どうしましょう」 ショックでした 

毎日1時間以上散歩し、柔軟や筋力をつける体操など、膝や腿のリハビリに取り組んでいました。
正座も短時間なら出来るようになったので、お点前も大丈夫と思っていたのですが、
手で支えないと点前座に座れないし、立つこともできないのです(ショボン・・・)。

初稽古までの短い間、あれこれ葛藤していました。
右膝故障でも椅子に座って稽古の指導は続けていたのですが、
「このまま点前座に座れないとお茶事ができなくなる。どうしよう!
 どうしたらスムースに座れるようになるかしら?」

そのうち、現状をあるがままに受け入れて
「もう少し時間が掛かるかもしれないけれど、暖かくなるまで散歩など運動しながらあせらず身体の回復を待とう」
と今は思うようになりました。





1月10日、Fさんがステキな辻が花の着物で真之行台子の稽古にいらしゃいました。
暁庵は深緑の無地紋付の着物に、縞に金の鶴の刺繍のある綴織(?)の帯を締めました。
新年早々の初稽古なので、二人とも気合だけは十分で稽古に没頭しました。
・・・つくづくこのように奥伝の稽古に勤しんでくれる生徒さんがいることが嬉しくまた有難く思いながら・・・。

奥伝は一つ一つの所作を正しく身に着けることも大事ですが、とにかく地道に稽古を積み重ねることが一番です。
積み重ねていくうちにいろいろな疑問が湧いては消え、消えては新たな疑問が湧き、そして何よりも身体が自然体で美しく動くようになるのです。
Fさんの所作や動きがこの2年余でとても美しくなったのがとても嬉しいです。





午後はN氏とUさんが初稽古にいらっしゃいました。
みんなで花びら餅をほうばり、初釜に向けて台子で後炭手前、重茶碗、薄茶点前のお稽古をしました。
お二人ともステキな着物姿でいらしたのですが、稽古に夢中で写真がないのが残念・・・。


        暁庵の裏千家茶道教室    前へ    次へ   トップへ


暁庵の茶道教室の初釜 in 2018・・・(1)

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 (失敗して初釜の写真が1枚もありません・・・ 去年のを使いました)


2018年1月20日(土)は暁庵の裏千家茶道教室の3回目の初釜でした。

茶席は横浜市中区の茶席「K」です。
せっかくの機会なので茶事形式でお役を適宜交代し、全員にお点前をして頂きました。

初座の亭主はKさん、初座の正客はN氏、次客KEさん、三客Fさん、四客Hさん、五客Tさん、詰Uさんです。
次客KEさんは五葉会のメンバー、社中Tさんが急用のため欠席となり、急遽参席してくださり感謝です。
Fさん社中のHさんとTさんが初めて参加し、ぐっと平均年齢が下がったかしら。
中立で亭主交代し、後座の亭主はFさん、三客はUさん、詰がKさんに代わりました。
そんなわけで、暁庵が半東&水屋を務めました。

席入は11時です。
10時20分頃に着くと、皆さま、素敵な御着物でいらしてくださり、お正月らしい華やかな雰囲気が漂っています。
特筆すべきはN氏でしょうか、黒無地・染抜き五つ紋の着物に縞の袴(幻の仙台平らしい)姿がよくお似合いです。
座がきりっと引き締まり、初釜の正客にふさわしい装いです。
我が晴れ着ですが、昨年と同じ地紋のある藤色に扇面流水模様の色留袖、紺地に梅と尾長鳥を刺繍した袋帯を締めました。
着物は母の形見、帯はN先生から頂戴した大切なものです(何を着たか、書いておかないとすぐ忘れるので、お付き合いください)。

さて、茶席「K」の水屋ですが、下火が奥から運ばれ、ふんわりと美しく調えられた炉灰の上に熾った菊炭を置くと、シアワセ感がじんわり・・・。
釜がとても素敵でした。どっしりと大きく優雅な釜は芦屋釜の写しでしょうか。
あとで伺うと高橋敬典造とのこと。松の地紋、鬼面の鐶付、梅の摘み、味わいのある蓋、何度も魅入ってしまいます。

          

詰Uさんが板木を打つ音が心地好く響き、さぁ!初釜の茶事のスタートです。
梅干と結び昆布の入った福茶をお出しし、腰掛へご案内しました。
やがて、水桶を持って亭主Kさんが迎え付けに出ました。
頃合いをはかり準備していた濡れ釜を掛けます。

席入り後の挨拶では暁庵と亭主Kさんが一緒に入り、新年のご挨拶を交わしました。
お一人ずつ、新年の抱負や思うところを話して頂きましたが、健康のこと、お茶のこと、仕事とのバランス、心構えや目標など・・・伺っていると、人それぞれいろいろな思いや課題を抱えながらお茶の道を歩み、生きているのだなぁ~と。
私は、お茶との出逢いからいろいろなご縁を頂戴し、それをつくづく幸せに思っていること、
そして皆さまもお茶のご縁を大切にし、大きく育てていってほしい・・・そんなことをお話ししました。

          

待合の掛物は「笑門来福」の色紙、
床の掛物は「彩鳳舞丹しょう」、華厳宗東大寺・清水公照師筆です。
清水公照師の御筆は、五色の羽を輝かせて鳳凰が澄み切った大空を舞っているかのような・・・個性的な味わいのある書で、広い宇宙へ誘っているようでした。
天下泰平の世に現われるという鳳凰、厳しい世界情勢を考えると鳳凰が世界中の大空で飛びかう日が来ることを心から願わずにはいられません。

          

点前座には、宗旦好みの青漆爪紅及台子(せいしつ つまぐれ きゅうだいす)に青交趾七宝つなぎの皆具。
及台子の天板中央に大棗(住吉蒔絵、正春造)、左側に羽根と香合を荘りました。

初炭になり、懐石、中立まで亭主Kさんが大奮闘でした。
香合は高砂蒔絵のある溜塗「ぶりぶり香合」、香は坐忘斎お好みの「松涛」(松栄堂)です。

席に入れば、もうすべて亭主におまかせで、水屋で心配していてもどうにもならないのですが、一番心配していたのは懐石の時の挨拶でした・・・でもすぐに心配するのをやめました。
「一夜漬けです」とKさんは言っていましたが、なかなか堂々とした亭主ぶりが嬉しく大拍手です。
茶事の亭主役、懐石の給仕も初めてでしたが、多少の失敗があってもこれも勉強と思っていただければ・・・と。

縁高を運びだし、いよいよ中立です。


        暁庵の茶道教室の初釜 in 2018・・・(2)へ

暁庵の茶道教室の初釜 in 2018・・・(2)

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     ( 大雪の日に   2018年1月22日(月)15時頃撮影) 
 
(つづき)
後座の床は、中釘に一重口の竹花入を掛け、ウグイス神楽、紅白の椿を生けました。
後座の亭主Fさんの打つ銅鑼が席入りの時を告げています。
  大・・・小・・・大・・・小・・中・中・・・大

銅鑼を聴く度に音色、大小の大きさ、間合いが好くなっているのがわかり、精進ぶりが嬉しいです。
全員が濃茶を頂くので、先ずFさんに黒楽茶碗に3人分点てて頂きました。
「お服加減は如何でしょうか?」「大変美味しく頂戴しています」

ここで亭主を三客Uさんと交代して後の5人分を点ててもらい、末席へ暁庵も入り、濃茶を頂きました。
「5人分を点てるのは初めてなので・・・」とUさんは不安そうでしたが、「お稽古の通りに練れば大丈夫」と陰でエールを送ります。
湯相、濃さや練り加減もほど好く、とても美味しい濃茶でした。
濃茶は「喜雲」(小山園詰)、前席の菓子は「菱花びら餅」(打出庵製)です。

Uさんに仕舞い付けと道具拝見まで担当して頂きました。
一碗目の黒楽茶碗は銘「あけぼの」覚入作、二碗目は李朝・井戸茶碗です。
存在感のある茶入は瀬戸肩衝、加藤光右衛門造(加藤十右衛門の二男)、
異国情緒漂う柔らかな仕覆は始めて見る裂地で、たしか亀甲鶴文双魚緞子だったような?
茶杓は銘「丹頂」、紫野・藤井誡堂師作です。


     ( 大雪の翌日   2018年1月23日(火)10時頃撮影)

ここで後炭手前となり、正客N氏の登場です。
胴炭がすぐ割れるほど火がまわっていたので
「あっちちっ!!」かなり熱そうな様子で炭を調えた後に、匙香、湿し灰が撒かれ、胴炭から逆回りに炭を継いでいきます。
後炭で丸管と割管と枝炭を一緒に持つところが女性にとって難しく、美しく持つのが見せ場の一つなのですが、スイスイとなんでもないように炭を置いていきました。
「流石、力持ち・・・」と女性群はため息でした。



後炭が終わり、亭主Fさんが煙草盆、干菓子、百人一首の入った姫箪笥を運びだし、薄茶は員茶之式風でしました。
百人一首の札を詠み上げ、下の句の札を持っている人が唱和し、干菓子と薄茶を頂き、お点前をします。

  光孝天皇   君がため はるの野に出でて 若菜つむ
           わが衣手に ゆきはふりつつ

  伊勢大輔   いにしへの 奈良の都の 八重桜
           けふ九重に 匂ひぬるかな



      (初釜の台子薄茶点前に備えて稽古中です・・・17日暁庵にて)
     
最初と最後の札の人が始めの準備と仕舞い付けをしなくてはならないのですが、初参加のHさんとTさんがそわそわしだしました。
お二人とも最初と最後の札にはあたらなかったので、安心して薄茶を頂き、お点前に集中できたようです。
大勢の人前でするお点前はきっと緊張したり、その緊張が心地好かったりしたことでしょう。
また来年も参加して下さると嬉しいです。
お茶の神様の配材で、最初と最後はN氏が札を引きました。

それぞれのお役をしっかり務めながら2018年1月20日初釜が無事に終わりました。
きっときっと、ドキドキ心配あり、刺激的な体験あり、貴重な学びあり、美味しい濃茶と懐石ありの初釜だったことでしょう。
今年も楽しく仲良くそして元気にお茶の道を歩いてまいりましょう!


        暁庵の茶道教室の初釜 in 2018・・・(1)へ戻る


雪のちらつく京都へ

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1月28日(日)にS先生のお祝いの会があり、26日夕方に京都入りしました。
まだ右膝に不安があったので、早目に出かけて京都の友人K氏宅でのんびり2泊させてもらいました。

翌日、朝から雪がちらついています。
「ちょっとご主人をお借りしますね」
「どうぞどうぞ遠慮なく・・・」まり子夫人の声に送られて、K氏と雪の仁和寺へ散歩に出かけました。
K氏は大学時代の同期生、京都在住中はツレ共々お世話になり、食事会、愛宕山登山ハイキングなど楽しい思い出がいっぱいあります。
・・・そんなご縁で、今回はお宿を引き受けてくださったのでした。

いつもの散歩コースは仁和寺から双ヶ岡(ならびがおか)を登り、法金剛院を経て、妙心寺を抜けるそうですが、
この日は雪がひどくなったので仁和寺だけにしました。
雪の仁和寺は寒いけれど、雪に融け込んでいくような閑かで深遠な雰囲気が心に残りました。
それでもお詣りする観光客がいらしてびっくりです。



国宝の金堂近くの社務所でおみくじをひきました。
K氏は「大吉」、私は「吉」。
K氏も暁庵も健康面ではいろいろあったので、「大吉」と「吉」を喜び、書かれた言葉に耳を傾け、お互いにこの1年の家内安全と無事息災を願ったのでした。


     嵐電の駅から「車折神社(くるまさき)」を撮る

午後になると雪が止み、車折(くるまさき)神社へでかけました。
車折神社には芸能を司る神様がいらっしゃるそうで、お茶のためにも是非お詣りするようにK氏に勧められたのです。

車折神社には「願い事・悩み事がある方へ お勧めの参拝手順」という看板があって、それに従ってお詣りすることにしました。
 ① 「手水舎(てみずや)」で、手や口を清める
    

 ② 「清めの社」に参拝し、心身を清める
    

 ③ 社務所で「祈念神石(きねんしんせき)」を授かり、本殿の前で「祈念神石」を両手で挟み、願い事を祈念する。
   ・・・もちろん「祈念神石」を授かりました。

               車折神社の本殿
    
 ④ 「芸能・芸術関係の方」はその後「芸能神社」へ参拝し、同様に「祈念神石」を両手で挟み、願い事を祈念する。


 ⑤ 「祈念神石」は毎日肌身離さず持ち歩く。
   願いが叶ったら、「自宅や海・川・山」などで石を一つ拾い、お礼の言葉を書いて本殿前に供えましょう。
   その際、「祈念神石」も古札所へ納めましょう。ともに郵送可。
   
   お礼の言葉が書かれた「お礼の石」が山のように・・・本殿前にあります



本殿に参拝してから芸能神社へまわると、「京都  千 宗室」と書かれた裏千家お家元の朱の奉納木札を発見したので心強く思い、茶道に関する願い事(ナイショです)を一生懸命祈念しました。
願い事が叶うためには一層の精進が必要なようです・・・・汗!



       奈良の寺の雰囲気を感じる太秦・広隆寺へ

太秦・広隆寺の山門で、京都で初めてのお友達TYさんと待ち合わせ、広隆寺の仏像を拝観しました。
こちらは京都で一押しの仏像の宝庫です。
暗い館内にはたくさんの御仏がいらして、国宝・弥勒菩薩半跏思惟像の前で身じろぎもせずに祈りをささげている女性がいました。
お気に入りは重文の千手観音さま、おおらかで素朴で、火事に遭われたのでしょうか、一部焼けただれた手は劫火に焼かれてもなお、衆生を救おうと差し伸べていらっしゃるように思え、その手の表情に魅入りました。
他にも素晴らしい仏像(泣き弥勒も)が収蔵されているのですが、いつもこの仏像に釘付けです。

大映通りのカフェで温かいココアを啜り、TYさんと久しぶりにほっこりした時間を過ごしました。 


華甲のお祝いの茶会

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         冬牡丹・・・・嵐山・吉兆にて

    淡雪の灑ぐ牡丹の紅増して
         華甲の恩師慕ふごとく・・・   

1月28日(日)、S先生の「華甲のお祝いの茶会」にお招き頂きました。

「華甲(かこう)」とは還暦のことを言うそうです。
「華」という字が6つの「十」と一つの「一」からなるので六十一歳、昔は歳は数え歳で数えていました。
「甲」は「きのえ」で十干の一番目。十干十二支が一回りして最初の「甲子(きのえね)」に帰ったことを表しています。


 待合の「鶴亀寿老人」・・・上部に鶴、下部に亀が表具の上に画かれているのが珍しい

ご案内に京都嵐山・吉兆にて・・・とあり、2日前から京都入りしました。
嵐山・吉兆は気になる存在でしたが、なかなか入る機会も勇気もなく、伺うのが楽しみでした。
嵐電「嵐山」駅で降り、雪がちらつく中Oさまと吉兆へ向かいました。
門の外で男衆の出迎えを受け玄関へ入ると、着物姿の美しい奥様が笑顔でお迎えくださり、やっと安堵しました。

待合の床には「鶴亀寿老人」の図(岡本豊彦筆)が掛けられています。
穏やかな鶴亀寿老人に、茶道に向き合い切磋琢磨されて還暦を迎えられた先生の若々しいお顔を重ねました。
待合で同席の皆さまとご挨拶を交わし、「御菱葩」(道喜製)を頂戴しました。
今年3回目の花びら餅でしたが、やはり道喜製は一味違いますね。味は同じでも、味噌餡が以前より少し固めになり食べやすくなったような・・・。


   大きくて美味しい!「御菱葩(花びら餅)」(道喜製)

いよいよ濃茶席、先生自ら濃茶を練ってくださいます。
席入りの直前に奥様から「お正客をお願いします」と言われて飛び上ってしまいました。
でも、ぐずぐずしていてはご迷惑をお掛けすることになるので、覚悟を決めて席入りしたものの、待合で会記をしっかり読んでおけばよかった!・・・と後悔しました。



本席の床に「千眼看不見」の御軸、裏千家9代不見斎石翁の御筆です。
読み下しは、千眼(せんがん)を持って看(み)れども見えず。
S先生から眼からだけでなく、目に見えないものをしっかりと心で見ることの大切さをお教えいただき、時にはきっと大変なご苦労もありながら、真摯に茶の道を歩んで来られた先生の御心を推察し、胸が熱くなりました。
私も先生の御心を慕いながら茶の道を後から歩んで参りたい・・・と思いました。



今でも時折いろいろなシーンが頭を横切ります。
先生のお点前を約20名の方々が固唾をのんだように見詰めていると
「濃茶なので本来はお話をしないのですが、今日はいろいろお話をしながら濃茶を差し上げたいと思います」
それで、不肖の正客はすっかり安心して、先生のお話を伺うことにし、お話の流れの中でお祝いの気持ちを代表してお伝えできれば・・・と思ったのですが、緊張して何を話したのか覚えていないのです(トホホ・・・)。

それでもお点前が進み、先ほどから気になって仕方がなかったことをお尋ねしました。
「柄杓の柄の部分が赤く塗られているように見えるのですが?・・・」
すると柄杓の柄だけでなく、茶筅の綴じ紐、茶巾が「赤備え」でした。さらに手桶水指(認得斎好)を華甲を祝う「赤色」、そんなS先生のこだわりのお話に座が「わっ!・・・」と湧きました。
未熟な正客も一座の方々も緊張から解き放たれ、一気に席が楽しくなったように思います。



天命の釜「古狸」(認得斎銘)から湯が汲まれ、心を込めて練ってくださった濃茶を頂戴いたしました。
茶碗は如心斎好の嶋台、慶入造、濃茶は銘「延年の昔」(八女・星野園詰)です。
熱くまろやかな濃茶が喉をやさしく潤し、暁庵だけでなく順次頂戴した連客様の寿命を伸ばしてくださるように思われました。

私にとって垂涎のお道具ばかりでしたが、中でも作者・不見斎の指痕を感じる黒楽茶入「玄鶴」と、御家元からお祝いに頂戴したという茶杓・銘「天眼」が心に残っています。

素敵なお道具との、一つ一つのご縁を想像し、きっと長い歳月を掛けられたことと推察されました。
そして先生と巡り会ったお道具たちの声が一斉に聴こえたように思ったのです。
「S先生、無事に華甲を迎えられ、おめでとうございます。
 S先生と巡り会え、お祝いの席に使って頂いて喜んでいます。ヨカッタ!ヨカッタ!」
またいつかお道具たちとお目に掛かれますように・・・。





窓外に降る雪や、可憐に咲く寒牡丹にみとれ、見事な敷松葉の庭に感心しながら、あこがれの吉兆で会席料理を美味しく頂戴しました。
目に美しく上品で凝った料理を堪能しましたが、それらの器も凄かったです・・・。

不束な正客ながら、お優しいS先生のお助けのもと、素敵な御連客様のお蔭にて華甲をお祝いする一座建立ができました。
今となってはとても好い思い出となり、喜んでおります。ありがとうございました!


追伸)カメラの電池ギレで写真はFさんとMさんにご協力を仰ぎました。ありがとうございます! 

「やぶれ庵」の茶事

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2月14日、バレンタインデー。
いまだ我が家の梅は咲きませんが、ようやく春の足音が聞こえて来たようですね。

「華甲のお祝いの茶会」の翌日(1月29日)淡路島へ渡りました。

ご亭主・T氏は京都在住中に親しくなった暁庵の数少ないボーイフレンドで、いつも素敵な茶事でおもてなしをしてくださいます。
母上・SK先生の喜寿をお祝いする茶事以来ですが、今回は社中Fさんとたった二人です。
ご案内に「やぶれ庵にて」とあり、どのような茶室でどのような茶事をしてくださるのか、胸がときめきました。




12時過ぎの席入りでした。
広間の待合へ入ると、鉄瓶が掛けられた箱火鉢と煙草盆が人待ち顔に置かれていました。
床の御軸は、いきいきと画かれた天神様と北野天満宮の梅の春をうたった和歌の画賛でした。

半東はなんと!SK先生、若々しくお元気そうなSK先生にお会いできて嬉しく思っていると、自ら鉄瓶の湯で福茶を入れて下さいました。
広間のすぐ横に工夫された腰掛待合があり、懐かしい煙草盆に出会いました。
京都を去る時、餞別に差し上げた吉田神社節分の福桝を煙草盆に使ってくださって、嬉しい再会です。



「やぶれ庵とはどんな庵かしら?」
勝手にいろいろ想像していましたので、心高鳴る思いで席入りしました。
そこは、二畳に隅炉が切ってあるだけの簡素な茶室です。
余計なものを持ち込んではいけない気配を感じ、壁床の「自得」と書かれた御軸が我が心を揺さぶりました。

「六十歳還暦の時に出会った御軸です。
 もう一度、初心に戻り一から始めたいと思いました・・・そして今も・・・」
SK先生のお言葉が今でも忘れられません。
厳しい中にも自らを奮い立たせ、立ち向かっていく勇気を与えてくださる「自得」でした。

12時をとっくに過ぎていたので、先に懐石が運ばれ、美味しく頂戴しました。
コクのある胡麻豆腐、小松菜入り蓮餅の食感、そしてチーズとカラスミの和え物に舌鼓です。
珍しい縁起物だというお餅の煮物椀に無病息災を願い、取り合わせの器の美を堪能させて頂きました。
斬新な器(香合の蓋物や小吸物椀)の使い方など、懐石を楽しくするヒントを頂戴し、大いに刺激を受けました。



懐石が終わり、炭手前はT氏に交代です。
茶事のご馳走の一つはお点前と言われていますが、自然体のお点前は清々しく素敵でした。
惹き込まれる様に炭手前や濃茶点前を拝見しながら、いろいろな示唆を頂戴し有難かったです。

大きなお釜が垂涎でした。
軽々と釜があげられ、「アッ」と息を飲むほど存在感のある魅力的な丸釜が現われました。
後ほど聴いた釜鳴りは、大きさからのイメージとは大違い、優しい松風でした。
隅炉の炭手前を拝見するのは初めてで興味津々。
炉に近寄ると、懐石もあり時間が経った筈なのに、炭が黒々と3本立っているではありませんか。
どんな下火の塩梅をしたのかしら・・・流石です。

戌年に因んだ優雅な香合「犬筥(いぬばこ)」が心に残っています。
手に取ると軽く、江戸時代の張子のようですが、赤絵の絵模様が美しく精巧でした。
練り香はT氏お気に入りの「玄妙」(山田松香木店)です。
香の薫りがやぶれ庵を嫋やかに包む頃、主菓子「椿餅」を頂戴して中立しました。




後座へ席入りすると、SK先生が丹精された曙椿と黒文字が竹一重切にいけられ、
水指は釣瓶(伊勢神宮古材)、茶入は古色のある紹鴎形の町棗です。
T氏の濃茶点前が静かに始まり、私もFさんも四方捌き、端整な清めの所作に引き込まれていきました。
やがて茶香が漂い、熱くよく練られた濃茶が出されました。
「最後に私もお相伴させて頂きます」
まろやかで美味しく、ご亭主T氏と一碗をともにできたのは何よりの思い出になりました。

T氏に急用が入ったようで亭主が交代となり、続いて薄茶となりました。
SK先生が趣深い三田青磁の酒会壷から薄茶を掬い、濃茶と同じ黒楽茶碗で点ててくださったのも良き思い出です。



茶杓が深く心に残りました。
真ん中に一本通った杼が全体をを引き締め、左側に続く波打つ裳裾のような景色があります。
その景色にかつて辿った四国八十八ヶ所遍路の或るシーンを思い出していました。
厳しい修行の場である土佐(高知)の海辺の遍路道、波打ち際を遍路する墨染めの僧侶の姿が目に浮かびました。
まことに「やぶれ庵」の茶事にぴったりの、趣き深い「やぶれ衣」だと・・・。



奥様にバス停まで送って頂いた時、T氏が見送りに駆けつけて
「変則の茶事でしたが、自分としてはもう精一杯のおもてなしでした・・・」
急なお仕事が入ったのに、本当にさりげなく、誠心こめておもてなししてくださったのです・・・。
私はその御心を溢れんばかりに受け取って、思わず涙が出そうになりました。 
「そうだ! 私はこのような瞬間を求めて淡路島へやって来たのだ・・・」と以前にも増して思ったのでした。

T氏、SK先生、奥様、素晴らしい3人のチームワークのおもてなしに感激し、心から感謝申し上げます。
ありがとうございました!! 
これからも細く長くお付き合いくださると嬉しいです。   

「枝頭の春の茶会」へ招かれて

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      京都左京区吉田山近くにある「東北院」の「軒端の梅」


1月30日、Rさまの「枝頭の春の茶会」へお招きを受け、京都へ戻りました。
「暁庵さまの京都在住中には仕事が忙しく、我が家へお招きできなかったので、この機会に是非いらしてください」と嬉しいお声掛けがありました。
Rさまと御一緒した京都の思い出が懐かしく頭をよぎります。
「道成寺」など観能のお誘いや、吉田兼好ゆかりの吉田神社、茂庵や金戒光明寺(熊谷直実や平敦盛の供養塔がある)を散策したり、灑雪庵へもいらしてくださいました。

京都在住の茶友Yさま
と社中Fさんと3人で、いそいそと北区のお宅を訪ねました。
藤紫の着物に紺の袴姿のRさまにお会いするのは3年ぶりでしょうか、
「ハイカラさんみたいで袴姿がお似合いですね」とFさま。
お会いできて懐かしく、こちらも暁庵がこだわっている家庭茶事でした。
玄関の小上がりが寄付になっていて、玄関土間が待合兼腰掛待合、椅子が3つ並べてありました。
おしぼりで手を清め、温かな生姜湯を頂き、茶室へ席入りしました。

そこは新席みたいにピッカピカの四畳半の茶室、床は台目で下座床です。
床の御軸をお読み上げ頂くと
「梅花 枝頭春」(ばいか しとうのはる)妙心寺弘雲(?)和尚筆だそうです。
「お坊さまが春を探し求めてあっちこっち出歩いて帰ってみたら、我が家の梅の枝先にほころびを見つけた」と伺って、ユーモラスなお話の中に「看脚下」の厳しさを感じました。
本当に心して見ないと、見ているけれども見えないものがたくさんあり、
「いったい私は毎日何を見て、何をしようとしているのか」と時々自分に問いかけています。

     
     神社の水仙 (季節の花300)

水仙が清楚にいけられていました。
竹花入の入船が「京都へお帰りなさい」の意味と知り、大感激でした。
床に和綴じの物語香合。
蓋を開けると練香が上側に飛び出て置かれているのが珍しく、物語を紡ぎ出すお仕事のご亭主にぴったりです。

阿弥陀堂釜と炉中の趣きが素敵でした。
最初はわからなかったのですが、後で電気炉とわかりびっくり!
炉灰も入っていて、まるで炭火が熾っているかのようにあかあかと美しい景色です。
唐銅薬缶が使いたくって選ばれたという山雲棚に白磁の水指がすっきりと置かれ、天板の棗と風炉先屏風が後ほど素晴らしい物語を・・・。

ご挨拶のあと、すぐに朱膳に乗せられた点心が運ばれました。
仕事がお忙しそうなご亭主は料理が苦手らしい・・・と勝手に思い込んでいたのですが、
お手づくりの点心と煮物椀、それらの一つ一つが美味しく刺激的でした。
点心、煮物椀、主菓子の珠光餅、全部手づくり・・・のようで私も頑張って作らなきゃ!と刺激を頂きました。
「珠光餅」を早速試作してみたのですが、食感が今一つ違いました・・・。

     

上賀茂神社の御神水を汲み、御自作の黒楽茶碗で点ててくださった濃茶、初めていただく濃茶「長安」は練り加減よくまろやかで美味しゅうございました。
能面や古寺瓦の干菓子など、京都や奈良の珍しいものをご用意いただき、続き薄茶ではご連客のYさま、Fさま共々和やかにお話が飛び交いました。

槍の鞘茶入(鬼丸碧山造)や粟田焼・安田氏の茶碗も印象に残っていますが、棗の物語が素敵でした。
それは源氏香がデザインされた中棗で、蓋裏にイニシャルが入っています。
結婚○○周年記念にご主人から贈られたとか(・・・う~ン!うらやましい・・・)、作者は岩淵祐二氏でした。
もう一つ、インパクトのあるユニークな茶杓の銘(「春待つ日」だったかしら?)と作者がどうしても思い出せずにいます・・・。

     

温かい手づくりのおもてなしが京都の寒さを吹き飛ばしてくれました。
Rさま、ありがとうございました! 

たまには関東地方へも出没のご様子、どうぞ暁庵の茶事にておもてなしをさせてくださいませ。
またお会いできますように・・・。  

如月の五葉会 in 1028

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2月9日(金)は新年を迎え、初めての五葉会でした。

1月に初釜を兼ねて開催する予定でしたが、私の右膝の回復が思わしくなく、休会予定だった2月に変更して頂きました。
それでも花月の「互換機鋒看子細(ごかんきほうしさいにみよ)」についていける自信はなく見学のつもりでした。

前日、宗智さんからメールが入り、風邪のためお休みとのこと・・・・。
皆さまにご迷惑ながら暁庵が参加することに覚悟を決めました。「ヤルッキャナイ・・・



その日は、二人貴人且座、投げ込み花月、香付花月を修練しました。
お茶の神様のご配慮があり、二人貴人且座では三客(炭の役目)、投げ込み花月と香付花月では次客の札を引きました。
比較的動きの少ないお役だったので、何とかついて行く事が出来ました・・・(ふぅ~!

二人貴人且座は「花月風雅集」しか教本がなく、しかも大層わかりにくい記述になっています。
ちょうど2月のS先生の東京教室のお稽古で見学させていただいた後だったので、そのやり方でして頂きました。
(・・・それでも別なやり方もあるそうで、早く七事式の教本がほしいですね)



大好きな香付花月之式は3種の香を用意しました。
香銘は「初音」「梅ごよみ」「春の雪」、その中から「春の雪」が選ばれました。

  香付花月之記

   春の雪 庭に出でたる 愛犬の
       小さき足跡 点々々と       宗厚

   おみやげの 苺届けし 春の雪
       ブレーキきかず 顔青ざめし    宗里

   我が背子が 手術を受けし その夕べ
       春の淡雪 閑々と積めり      宗曉

   余寒とは 云いしものかな そこここに
       残る雪あと 春はいづこや     宗眞

   春の雪 輝きみそらに 舞いたれば
       花びら思い 嬉しくもあり     宗悦

                    出香  宗悦
   香銘 春の雪


新年最初の五葉会だったので、熱々の雑煮をお昼に食べて頂きました。
6つの世界遺産を巡ってきたという宗悦さんのトルコ土産のお菓子と土産話が加わります。
この場は和やかに終了したのですが、勉強熱心な皆様のこと、その後に二人且座についてのメールが賑やかに(?)飛び交いました。
いろいろな質問や議論(?)ができることが有難く、真摯で素敵な五葉会のお仲間に感謝です。

来月(弥生)の科目は廻り炭之式、結び帛紗花月、三友之式、こちらも楽しみです。 


        暁庵の裏千家茶道教室   前へ    次へ     トップへ

病院のミニ・コンサート

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       近くの公園の紅梅と白梅がまっ盛りです


2月に2週間ほどツレが神奈川県ガンセンターに入院しました。
11月に2回目の精密検査を受けて初期の癌が見つかったのです。
N先生から治療方法について丁寧な説明を受け、年明けに手術の選択をしました。
手術の選択は本人にとって大変なことだったと推察しますが、早期の段階で手術に踏み切った方が転移や癒着などの心配もなく、体力があるうちにした方が良いのでは・・・と思いました。

N先生から手術の具体的な方法とその後の処置、手術に伴うリスクの説明を受け、ツレも私も納得し、手術をお願いしました。
今は開腹ではなく腹腔鏡手術を行い、万が一の場合(血管炸裂、癒着がひどいなど)には開腹して対処すること、24時間はICU(集中治療室)で術後のケアをし、その後は病室へ戻り、管を付けたまま自力でトイレへ行く事など・・・・いろいろ変わっているようです。

一番驚いたのは静脈血栓塞栓症(じょうみゃくけっせんそくせんしょう、エコノミークラス症候群とも)の予防措置でした。
静脈血栓塞栓症は入院患者の主な死因の一つになっているそうです。
手術が長時間に及ぶと、ふくらはぎの血管に血栓が出来やすくなり、術後にその血栓が血流に乗って下大静脈・右心房・右心室を経由し、肺へ流れつき、肺動脈が詰まると肺塞栓症となることがあるそうです。
予防措置としてはタイトな膝下の靴下を履き、手術中にふくらはぎのマッサージ器を導入しています。


    プランターの蕗の薹が顔を出しています

幸いにも手術は順調に終わり、手術後すぐにN先生から経過説明を受けました。
「これが摘出部位です。ほらっ!癒着もなく、とてもきれいに摘出手術ができました」
N先生には見慣れている臓器でしょうが、私には初めての事でちょっとひるみました。
手術がよほどうまくいったのでしょうね。それを見せて説明するN先生の顔が嬉しそうでした。
「ありがとうございました・・・」
私も先生にお願いしてヨカッタ!と心から思いながら、その部位の詳しい説明を伺いました・・・

その後、短時間の面会が許されICUへ行くと、ツレの顔がしっかりしていて元気そうに見え、安堵しました。
それでも吐き気がするとのことで、あとは看護婦さんへお願いして引き上げました。
あとでその時のことを聞くと、私が来て「タコがどうとか・・・」とおしゃべりしたことをぼんやりと覚えているだけでした。


  梅  (季節の花300)
(「好文木」「木の花」「春告草」「風待草」という別名も大好きです)

経過は順調で、身体に3本付けられていた管が徐々に取れていきました。
退院も2日ほど早まって、いよいよ退院も間近い木曜日、2階のラウンジで毎週開催されている「木曜 ミニ・コンサート」へ二人で出かけました。
ボランティアさんに渡されたプログラムを見ると、第799回とあり、びっくり!

第799回 木曜 ミニ・コンサート    2018.2.15

     シャンソン独唱 美山容子(みやま ようこ)
     ピアノ伴奏   大本公広(おおもと きみひろ)

 1.再会
 2.バラ色の人生
 3.小雨降る径
 4.私の心はヴァイオリン
 5.ラストダンスは私と
 6.愛愁(美山容子オリジナル曲)
 7.なつかしの歌メドレー(皆さまとご一緒に)
 8.浜千鳥(皆さまとご一緒に)

美山容子さんは80代とのことですが、シャンソンを情感たっぷりに謳いあげてくださいました。
ピアノの大本公広さんとのデュエット「ラストダンスは私と」は息がぴったりで、もっと聴いていたい・・・と思いました。
美山さんのお話によると、美山さんも癌を患っていらして、落ち込んでいた時に、こちらのドクターにミニ・コンサート出演を勧められたそうです。
毎年1回のミニ・コンサートが励みになり19回目になるそうですが、20回目は体力のこともあり考慮中だとか。


  我が家の水墨画風「春告草」(はるつげぐさ)
 
そんな美山さんの歌と癌と戦い立ち向かっていく姿が多くの患者さんや家族を慰め、元気づけているのを感じます。
ツレと私も「なつかしの歌メドレー」を大声で熱唱して、なんか元気をいっぱい頂いた気がします。
長年のファンの方でしょうか・・・コンサート後に花束をいくつも受け取って、美山さんも嬉しそうに輝いていました。
ぜひ来年の20周年ミニ・コンサートをめざし、元気に頑張ってくださいね・・・

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